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工藤栄一監督から、聞いたんです。「ぼくはマキノ光雄さんに育てられた」って。先に系譜をいうと、マキノ光雄は牧野省三の次男。長男がマキノ雅弘。ぼくは、四女・智子の子です。
工藤さんは慶応法科を出て、東映の企画室に入った。のちに、集団抗争劇の傑作『十三人の刺客』や、やくざ映画を作った人です。で最初に、光雄から「毎日一冊本を読め。1年365本の企画書を出せ」と命じられた。工藤さんは3年間きっちりそれをやる。ほぼ1000冊ですね。「それがぼくの演出力とアイディアになっているんだ」と。映画を全盛に導いたのは、そのバイタリティです。そして基本。
原作を読み漁る。テーマをどうするか。何で客を呼ぶか。キャラクターをどう立てるか。
牧野省三は明治41年、日本初の劇映画『本能寺合戦』で、すでにその基本を打ち樹(た)てている。ヒーローとヒロインは同じ性格であってはいけない。相反、葛藤して初めてドラマになるといっています。それが〈ドラマチック〉だと。大映のオーナーだった永田雅一が「このごろのドラマにはチックがない」といったのは有名ですが、〈チック〉とは、匙加減で少し面白くする、派手にする、そういうサービス精神です。
それがまあ、ひとつはテレビによって日本映画はだめになった。もうひとつは左翼思想。いっとき、左翼にあらずば映画人にあらずの風潮が吹き荒れた。左翼思想は別に悪くないが、反資本になる。
私もマキノ雅彦を名乗って、いくつか監督をやった。叔父である雅弘にマキノを名乗るには条件がひとつあると言われました。
自分でカネを出すな。自分でカネを出すと、客を喜ばそうとせずわがままになる。俺が損すりゃいいんだろうと自分の喜ぶ作品をつくる。それはダメだ。金主にカネを出させる。そして必ず儲けさせる。これがマキノの鉄則ですね。
ところが左翼は、資本家を儲けさせたらだめだという
大島渚監督まではなんとかなったが、あとはどんどん芸術映画を作った。芸術映画も結構ですよ。『舟を編む』本当に地味ですが、いい映画なんです。あれこそ芸術。奥田瑛二の『今日子と修一の場合』も実にリアルでいい話なんです。まさしく芸術映画、そらぞらしくない。客も入りません。
娯楽映画がたくさんあって、たまにああいう映画がある。これが日本映画の良心です。山田洋次とはえらい違いだ。
『武士の一分』なんて作って〈一分〉を描かない。反対に、武士はだらしないという映画にする。娯楽映画でも芸術映画でもない。なんだろ、あれは。
しかしまあいま、娯楽映画といえばテレビ局のつくる紙芝居。『テルマエ・ロマエ』を筆頭に、あれは映画ではない。紙芝居。なぜか。テレビの演出家が映画、ドラマを勉強していない。起承転結、ドラマチック、キャラクターづくり。最初の掴み、終わりよければすべて良しとかね。テーマも鮮明でない。要するにストーリーだけで運ぶ。
牧野省三が映画について〈1・すじ、2・ぬけ、3・動作〉といった。すじは、脚本、ストーリー、ぬけは、キャメラや現像、撮影のこと。動作は役者の芝居です。そして長男のマキノ雅弘はこういった。「30%やぞ」と。
〈30%〉とは何か。映画は目で見る。見える部分は〈30%〉にしておけ。70%は観客の想像力を喚起させよと。想像できる内容ですよね。それがないと映画にはならんと深い所を突いているんです。
ものは、見るだけでは頭脳を発達させない。読むことこそ、想像力を働かさせる。映画に必要なものはこの想像力だと。だから、見させるだけで終わるのはテレビです。その昔は紙芝居だった。同じ類いのものですね。
マキノ一統は、見えるものだけで勝負したらだめだぞ、といってきたわけです。筋はおもしろおかしくつないでいくが、見た後で、残るものがない。見えていなかったものこそが実は残るんですよ。
ところが、観客のほとんどはテレビで脳みそを薄くされ、30%で満足している。テレビに飼いならされた大衆だ。そこで、日本の映画はどんどん衰退したんです。