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ジョン・ケネディは1960年11月の大統領選挙に勝利し、翌年1月に大統領に就任した。わずか3年弱の間に成し遂げたことは他の大統領の比ではない。では、アメリカの誇りとも言える大統領はなぜ、誰によって殺されたのだろうか? 結局のところ、ケネディは有言実行の士だったから、変革に反対する勢力から命を狙われることになったのだ。
ケネディの存在を苦々しく思っていたのが、軍部、CIAなど政府機関、そして企業からなる「軍産複合体」であった。彼らにとっては、戦争がビジネスの根幹だ。平和が訪れることは都合が悪い。ケネディを憎んで当然だった。「軍産複合体」という言葉を初めて公の場で使ったのはケネディの前任であるアイゼンハウワー大統領である。退任直前のお別れスピーチでこう語っている。
「軍産複合体が、不当な影響力を獲得し、それを行使することに対して、政府も議会も特に用心しなければならない。この不当な力が発生する危険性は、現在、存在するし、今後も存在し続けるだろう。この複合体が、我々の自由と民主的政治過程を破壊するようなことを許してはならない」
軍産複合体は幽霊と怪物をミックスしたようなものだ。CEOはいないしオフィスもない。メンバーシップもない。ただし含まれる企業は膨大である。自動車産業や航空産業、鉄鋼業から飲料・お菓子、タイヤ、葬儀産業まで広範な企業がペンタゴン(国防総省)と契約している。
そうした企業の大部分は自分たちが軍産複合体の一部とは考えていない。だからゴーストなのだ。そしてその存続が脅かされた時、怪物に変わる。ケネディは、この軍産複合体の虎の尾を踏んだ。ヴェトナム撤退である。
ケネディが大統領に就任する7年も前のアイゼンハウワー政権時代から、アメリカはCIA主導でヴェトナムに入り込んでいた。54年にフランスが現地から退くと、軍事顧問団(グリーン・ベレー)を送り込み関与を深めた。
しかし、アメリカが支援した南ヴェトナムのゴ・ディン・ディエム政権は腐敗し、ソ連を後ろ盾にした北ヴェトナムとの戦いは泥沼化しつつあった。ケネディはその状況を問題視し、63年10月31日の記者会見では、「今年の末までに1000人の軍事顧問団を引き揚げる予定である」と表明した。さらに側近たちの証言によれば、65年までに当時1万5000人に膨れ上がっていた軍事顧問団を完全撤退させることも決めていた。
軍産複合体は焦った。ケネディが言葉を実行に移すリーダーであることは、それまでの3年間で証明されていた。ヴェトナム戦争のエスカレーションは彼らにとって目玉商品だ。それが一人の大統領によって潰されようとしていた。ここで幽霊は怪物へと変わった。暗殺の実行犯が誰で、何をしたかの詳細は『二〇世紀最大の謀略』に譲るが、ケネディ暗殺後に誰が得したかを考えれば、答えの大まかな姿は見えてくる。
ケネディが暗殺され、その後を継いだのは副大統領のリンドン・ジョンソンだった。彼はケネディが拒否し続けてきたヴェトナムへの正規軍派兵を決定する。そして北爆を開始し、戦争は一気にエスカレートしていった。CIAや軍部の将軍たちは毎日のように正規軍を増やすよう要請し、ジョンソンはそれに応じた。そして一時は55万人ものアメリカ兵が現地に投入された。
68年、ジョンソンの戦争拡大路線に業を煮やしたボビー・ケネディが大統領選挙に出馬表明するが、予備選中に暗殺された。その年の選挙に勝ったのは共和党のリチャード・ニクソンだった。ニクソンも選挙公約では、ヴェトナム即時停戦を掲げていたが、正式に戦争が終結したのは就任から4年が経った73年。ジョン・ケネディの暗殺からは、10年もの歳月が過ぎていた。
権力を巡る暗闘は表面をなぞるだけでは真実は見えてこない。だからこそわれわれは、真のリーダーはどのような人物なのか、そうした人物を排除しようとするのはどのような勢力で、どんな手を使うのかを歴史から学ばなければならない。ケネディの死から50年というタイミングで、われわれはもう一度彼の業績とその死の理由に真摯に向き合うべきなのである。