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韓国が強弁する「独島」は全く別の小島だった
「これら資料を見てください。これをご覧になっていただければ、竹島が日本固有の領土であることを他ならぬ韓国政府自体が認めていたということは、小学生レベルでもわかることです」。これまで竹島の領土問題を追及してきた、前出のジャーナリスト・水間政憲氏は、そう言って切り出した。
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日本が閣議決定を行い、国際法にのっとって竹島を島根県に編入したのが1905年。ところが52年、日本がサンフランシスコ講和条約発効により占領状態から脱する直前の隙をついて、韓国の李承晩大統領(当時)が一方的に竹島を不法占領。それが現在の竹島問題にまでつながっている。
「ところが」と水間氏が示したのは、韓国の歴史公文書と数点の古地図。そこに並ぶのは、韓国がある一定の歴史段階までは、竹島は日本の領土であると認めていた証拠だった。
まずは1899年に韓国で発行され、教科書として使用されていた「大韓地誌」中の文章。ここには、
「大韓民国の東端は東経130度35分と記されており、東経131度52分の竹島は含まれていないことになります」(水間氏)
次に示されたのは、国定教科書に掲載されている朝鮮の古地図と、03年版「韓国の高校地図帳」だ。そこには、
「国定教科書に掲載された地図では、『左側の大きな島が鬱陵〈うつりょう〉島(朝鮮半島のすぐ東にある、現在の韓国領)で、その右側の于山〈うざん〉と書かれた島が独島〈どくと〉とである』との記述があります。ところが見てください。03年版の地図帳では、この鬱陵島でも于山島でもない右下端の島、つまり現在の竹島を独島と表記しています。今の韓国政府は竹島はかつて于山だったと言っている。つまり、現在の竹島とはまったく別の位置にある于山を独島としているんです。仮に韓国政府の言っていることが正しいとすれば、まったくつじつまが合わず、こんな教科書を作った文部官僚や大学教授は即刻クビになっていないとおかしいですよ」
これらの資料は確かに、1952年以前の韓国は竹島を自国の領土外の島と認識しており、また歴史が下るにつれ、まったく別の小島である于山と竹島を混同するよう教科書が改ざんされていることがわかる。
かつて竹島に上陸し、韓国による実効支配の様子を写真に収めてきたフォトジャーナリストの山本皓一氏も同様の証言をする。
「竹島の古地図に関しては、確かに韓国が捏造しているんですよ
于山=竹嶼=独島=竹島!?
山本氏が続ける。
「1つは鬱陵島。江戸時代には朝鮮族も日本人も竹島と呼んでおり、現在の島根県の竹島は、松島と呼ばれていました。2つ目は鬱陵島の東にある于山。3つ目は鬱陵島の沖合2キロにある竹嶼という島で、実はこの島が、かつての于山のことなんです。ところが韓国は、この于山=竹嶼の所在地点を東南東に90キロも勝手に移動させ、独島=竹島と言いだした」
つじつま合わせのためのデタラメな強弁にもほどがあるが、つまり4つ目が現在の竹島なのである。
「昨年、竹嶼に行ってみたら、『竹島地区』と書かれた看板が立てられていました。韓国としては、竹島が2つあっては困るので、『地区』と入れているわけです。つまり、この島が竹島であっても于山島であってもまずいんですよ」(山本氏)
何ともややこしいかぎりではあるが、これら韓国がみずから残している歴史的証拠を見れば、現在の韓国側が言っていることが矛盾だらけなのは明らかだ。
だが、歴史的経緯はともかく、1952年以後の韓国の実効支配に対し、戦後史の立場から日本が対抗していくのは難しいと話すのは、ジャーナリストの西牟田靖氏。8月20日に東京都議や区議らと尖閣諸島に上陸したメンバーの一人だ。
「竹島に限らず、尖閣諸島でも北方領土でもそうですが、ここまで領土問題でモメている原因は、サンフランシスコ講和条約を作成したアメリカの責任にあるんです。日本が戦争で併合した領土を放棄するにあたって、竹島を含めた島の領有をどうするかについて、わざと中身がスカスカのままの条約にしたんですよ。この曖昧な戦後処理のせいで、日韓双方が互いに領有を主張するようになり、それが現在にまで至っているのです」
そして前述したように、韓国側は李承晩大統領が講和条約発効直前、実効支配の強硬姿勢に出たというわけなのだ。
「こうした戦後処理の観点から竹島問題を考えないかぎり、コトの本質は見えない」
と西牟田氏は言う。が、だからといって、韓国の実効支配を許していいわけもない。
「50年代には日本も韓国と争って上陸合戦を繰り返し、竹島を取りに行った経緯がある。それを長い間放棄して、韓国の実効支配に任せて『日本固有の領土』などと言うのは弱腰外交から出た言葉遊びでしかない。一方的に支配されているんですから、そこで主張すべきはしないと」(西牟田氏)
日本政府は弱腰外交から脱し、韓国による捏造、改ざんの事実をハッキリと国際社会に示しながら、不法占拠の苦しみから脱する努力をすべきではないか。