事大主義とは何か
日本の嫌韓派の人々が韓国を批判する際によく使う言葉が、「事大主義」の弊害なるものだ。事大主義といっても若い読者はあまりピンと来ないだろうが、北東ユーラシアの地政学を理解するうえで、「事大主義」は「華夷思想」「冊封体制」「朝貢関係」などとともに、必須の概念だといえよう。
事大主義とは、「小」が「大」に事える、つまり、強い勢力には付き従うという行動様式であり、語源は『孟子』の「以小事大」である。国語辞典によれば、「はっきりした自分の主義、定見がなく、ただ勢力の強いものにつき従っていく」という意味で、たとえば次のように使われる。
事大主義とは朝鮮の伝統的外交政策だ。大に事えるから事大。この大というのはむろん中国のことなのだが。つまり中国は韓国の上位にある国だったから、そこから侵略されても、ある程度仕方がないとあきらめる。しかし、日本は韓国より下位の国だ、だから侵略されると腹が立つ。上司になぐられても我慢できるが、家来になぐられると腹が立つ、という心理だ。(2013年12月16日付『NEWSポストセブン』)
朝鮮は、中国に貢ぎ物をささげる朝貢国として存続してきた。大国に事える事大主義の伝統が抜きがたくある。日本が近代化に懸命に汗を流しているころも、官僚らは惰眠をむさぼり、経済も軍事力も衰亡していた。その朝鮮を国家として独立させ、西洋の進出に備えようというのが日本の姿勢だった。(2014年7月19日付『産経新聞』WEB版)
以上の例では、いずれも「小国である自国はその分を弁え、自国よりも大国の利益のために尽くすべきである」といった「支配的勢力や風潮に迎合し自己保身を図る卑屈な考え」を意味している。いずれにせよ、決して良い意味では使われていないようだ。
コリア半島の歴代王朝は、漢族中華王朝だけでなく周辺の非漢民族王朝に対しても「事大外交」を続けてきた。今風の言葉で言い換えれば、新羅・高麗・李朝などコリア半島に生まれた王朝の多くは、漢族系、非漢族系を問わず、周辺の強大国家に対し「事大」して、自国の安全保障を確保してきたということだろう。
他方、新羅や高麗などは中華王朝と冊封関係に入りつつも、同時にこれら中華王朝と対決したり、自ら独自の年号を使用したりするなど、きわめて柔軟で強かな外交を繰り広げたケースもある。事大主義がすべて卑屈な追随外交というわけでもなかったのだ。
主体思想と事大主義
この韓国の「事大主義」を最も厳しく批判しているのが、他ならぬ北朝鮮だ。ピョンヤンがいわゆる「米軍慰安婦問題」で韓国を「卑屈で間抜けな事大主義の売国奴」と非難している姿はほとんど滑稽としかいいようがないが、北朝鮮側にもロジックはそれなりにある。まずは関連記事をご紹介しよう。
北朝鮮国営の朝鮮中央通信は2014年8月11日付で、米軍慰安婦問題で韓国を非難する記事を発表した。同問題について沈黙を続けているソウルに対し、「このような卑屈で間抜けな売国奴らが権力のポストに就いているので、南朝鮮では今も米軍犯罪行為が日ごとにはびこり、数多くの人民が不幸と苦痛の中で身もだえしている」などと論じた。
同記事は、米軍慰安婦問題について「米帝と南朝鮮の傀儡こそ、人間であることをやめた野獣の群れ、恥しらず」であり、「米国の植民地支配」が続く南朝鮮の傀儡は「事大主義の売国奴」であり、現状が続くかぎり「人民はいつになっても羞恥と侮辱を免れることができず、不幸と災難から脱することができない」と主張した。
同様の批判は、7月31日発の以下の朝鮮中央通信報道にもみられる。
ある在米同胞が7月28日、事大主義に陥っている現南朝鮮の執権者を非難する記事を在米同胞全国連合会のホームページに掲載し、南朝鮮は米国の軍事的占領と植民地支配の下で自主権がひどく蹂躙されていると非難した。また、南朝鮮の政治圏と事大勢力は自主的に生きようとする民族の志向と要求を拒否し、米国の南朝鮮に対する永久占領を哀願する現代版奴隷の本性を余地もなくさらけ出しているとも糾弾した。
南朝鮮の現実は、まさに代を継いだ親日、骨髄まで親米、反民族的な現執権者の事大主義政策の所産であると暴いた。同記事は、現執権者がこれからでも事大主義的根性を捨ててわが民族同士の立場に立って自主的に、民族の統一と平和を成し遂げるために努めるべきだと強調した。
とまあ、こんな具合だ。いかに北朝鮮でも「事大主義」が軽蔑されているかがよくわかるだろう。それもそのはず、北朝鮮と朝鮮労働党の最も重要な政治思想である「主体思想」の意味する「自主・自立」とは、中華王朝などに対する「事大主義」の克服を意味しているからだ。
つねに変わる事大先
事大主義が「はっきりした自分の主義、定見がなく、ただ勢力の強いものに付き従っていく」行動様式であれば、弱者の付き従うべき強者がつねに一定とは限らない。そもそも定見がないのだから、定義上も、弱者は事大する先をときどきの状況に応じ、より強い相手に変えていったのだ。
実際に歴史を振り返れば、コリア半島の事大主義の相手は必ずしも漢族中華王朝だけではなかった。たとえば紀元前108年に漢王朝に挑戦した衛氏朝鮮は漢の武帝に滅ぼされ、それから約400年間、コリア半島の一部はいわゆる「漢四郡」により直轄支配されている。
高句麗は1世紀に後漢、4世紀には非漢族の鮮卑族が建国した前燕、前燕を滅ぼしたチベット系といわれるテイ族の前秦に、それぞれ冊封された。また、百済は唐に、新羅も北斉、陳、隋、唐に朝貢し、それぞれ冊封を受けている。
10世紀にコリア半島を統一した高麗は、漢族の宋、明だけでなく、契丹系の遼、女真系の金、モンゴル系の元にも朝貢し、それぞれ冊封を受けた。李氏朝鮮も漢族の明、女真族の清と冊封関係を維持した。李氏朝鮮が清の冊封体制から離脱したのは、1894年の日清戦争後のことである。
下関条約締結後、コリア半島は1897年に大韓帝国として独立したが、1910年には全土が日本に併合され、第二次大戦後には大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国に分裂する。伝統的な東アジアの冊封・羈縻関係ではないが、20世紀以降のコリア半島が日本、米国、中国の強い影響下にあったことは間違いない。
以上のとおり、コリア半島歴代王朝は例外なく、なんらかの隣国と冊封・羈縻関係を結び、強者の臣下として臣従関係を誓わざるをえなかった。しかし、こうした冊封・羈縻関係は必ずしも屈辱的なものばかりではなく、また、つねに変化していったものであることを忘れてはならない。
このように、コリア半島の事大主義がかくも変幻自在であった最大の理由は、歴史的にコリア半島北西部に自然の要塞がなく、地政学的に脆弱だったからだと思われる。高句麗・渤海滅亡後のコリア半島の諸国家は、中華王朝の一部や満州・蒙古の遊牧帝国など半島北方からの攻撃に抗しきれなかったのだ。
とくに、高麗が元に降伏して以降、中華王朝はコリア半島独自の皇帝号の使用を厳しく制限するようになった。さらに、李氏朝鮮末期になると、国内で政変が起きるたびに事大先が清、ロシア、日本、米国と代わっていった。事大主義の柔軟性とその限界を示す興味深いエピソードだ。
いかに安全保障を確保するためのやむをえざる措置とはいえ、李朝末期の高宗や閔妃が事大先を次々に変えた行動はあまりに場当たり的な対応であった。韓国の朴槿惠大統領の父親である朴正熙元大統領は生前、「民族の悪い遺産」の筆頭として事大主義を挙げ、その改革を真剣に模索していたという。
こうみてくると、コリア半島の対中華事大主義は中華に対する「憧れ」を示すと同時に、中華王朝に対する「劣等意識」を反映したものでもあったことが理解できるだろう。しかし、この「事大主義」に象徴される対中華「劣等感」は、じつは対中華「優越感」の裏返しでもあった。それを理解するための概念が「小中華思想」である。
小中華思想とは何か
「事大主義」と同様、韓国を理解するうえで非常に重要な概念が「小中華思想」だ。この二つの概念は一見相反するようで、じつは「コンプレックス」という同じコインの表裏である。この醜い劣等感・優越感の塊こそが、コリア人の魂の叫びなのかもしれない。
小中華とは、中華文明圏のなかで、非漢族的な政治体制と言語を維持した勢力が、自らを中華王朝(大中華)に匹敵する文明国であって、中華の一部をなすもの(小中華)と考える一種の文化的優越主義思想である。
コリア半島の歴代王朝の多く、とくに李氏朝鮮は伝統的な「華夷秩序」を尊重した。表面的には中華王朝に事大する臣下という屈辱的地位に甘んじながらも、内心は自らを漢族中華と並ぶ文明国家と位置づけ、精神的に優越した地位から漢族中華以外の周辺国家を見下していたのだろう。
ところが17世紀に入り、その李氏朝鮮が拠り所としていた明王朝が滅亡してしまう。しかもよりによって、これまで李氏朝鮮が見下していたマンジュ(満州)地方の女真族が明を圧倒し、中華に征服王朝を樹立したのだ。当時の李氏朝鮮の儒者たちにとっては青天の霹靂であろう。
それまで夷狄だ、禽獣だと蔑んできたマンジュの女真族には中華を継承する資格などなく、李朝こそが中華文明の継承者だと彼らが考えたのも当然かもしれない。一方、実際には軍事的に清朝に挑戦することは不可能であり、李朝の仁祖は清への臣従を誓わざるをえなかったのだろう。
夷狄とは文明化しない、すなわち儒教化しない野蛮人であり、禽獣とは人間ではなく獣に等しい存在をいう。17世紀以降、コリア半島の指導者たちは女真系の清を徹底的に蔑む一方で、事大主義に基づいて、その夷狄・禽獣に朝貢を行なって冊封関係に入るという矛盾した世界観と行動様式を維持してきた。
この屈折したコンプレックスの塊とも思えるコリア半島の住民の民族性は、李氏朝鮮以降、事大主義という劣等感と小中華思想という優越感を、心中で巧みに均衡させることによって維持されてきたのではないだろうか。そう考えれば、激高しやすい韓国の国民性の理由も理解できるだろう。
ならば、コリア半島の住人のこの屈折・矛盾した「事大主義・小中華」的世界観は、最近の韓国外交が大きく変節した原因なのだろうか。韓国は中国との関係をほんとうに全面的に見直すつもりなのだろうか。
ネオ民族主義の時代
現在、世界各地で地政学的な大地殻変動が起きている。半世紀近く続いた東西冷戦が終了してから早くも、四半世紀近くの年月が流れた。共産主義超大国・ソ連の崩壊によって真の平和と安定が始まるはずだった欧州では、皮肉なことに「ロシアの巨熊」が復活しつつある。
顧みれば冷戦とは、共産主義と自由主義という二つのイデオロギー・国際主義同士の戦いであった。幸いなことに、欧州各国の不健全で、ときには暴力的な民族主義は米ソ冷戦の陰で事実上、封印されてきた。ナショナリズムよりもインターナショナリズムが優先した時代だったからだろう。
ソ連の崩壊とは、共産主義イデオロギーの崩壊だけでなく、それまで封印されてきたロシア民族主義復活の可能性をも意味していた。危機感を抱いた欧州各国は、1990年代以降、旧東欧社会主義地域までEU・NATOを拡大し、ユーロ通貨まで創設してロシア民族主義の復活を回避しようとした。
2014年3月のロシアによるクリミア併合は、こうした欧州諸国の過去20年間の努力が失敗したことを示す歴史的事件だ。もちろん、あの不健全で、ときに暴力的な民族主義はロシアの専売特許ではない。英、仏、ハンガリー、ウクライナなどで極右ナショナリストが台頭していることは偶然ではない。
このような「プレ冷戦的」「ロシア革命前」の醜い民族主義が復活しているのは欧州だけではなく、東アジアでも中国、韓国などにみられるとおり、各民族の不健全で、ときに暴力的な民族主義が徐々に頭をもたげつつあるとみるべきである。
実際に、ロシアが欧州の陸上で行なっていることは、中国が東アジアの海上で行なっていることとなんら変わらない。東西の二つの旧大帝国は、その不健全な民族主義的衝動により、近年失われた帝国の既得権を回復すべく、力によって国際秩序の現状を変更しようとしている。これが筆者の考える現実である。