中国の軍事拠点化が進む南沙諸島のスビ礁。写真手前には数千メートル級の滑走路もある (写真・INQUIRER.NET/PHILIPPINE DAILY INQUIRER)
国内外に波紋が広がる中、フィリピンのロケ大統領報道官は会見で報道陣に対し、「中国が埋め立てによって軍事化を進めていたことはすでに熟知しており、特にニュースではない」と一蹴し、7つの環礁以外に実効支配を拡大しないと中国が確約した点を重視し、軍事化に抗議しない考えを示した。
南沙諸島でフィリピンが実効支配する地域を管轄するカラヤアン町のビトオノン元町長は2年前、海外メディアとともに小型飛行機で南シナ海の上空を飛んだ経験がある。その時に見た光景を基に、筆者の取材にこう語った。
「(中国が実効支配する)スビ礁、ミスチーフ礁、ファイアリークロス礁などを上空から眺めた。すでに埋め立てが進んでおり、滑走路や複数の建物を見た。上空を旋回中、中国側から『侵入禁止区域であるため直ちに引き揚げろ』と無線で警告を受けた。船で南シナ海を横断した時も中国艦船から妨害を受けた」
南沙諸島の領有権を巡ってフィリピンと中国の緊張が高まったのは、アキノ前政権下の2012年4月。ルソン島中部の西方沖約230キロの海上にあるスカボロー礁で、両国の艦船が2カ月以上にわたりにらみ合いを続けた。フィリピン政府は翌13年、領有権問題の平和的解決に向け、国際仲裁裁判所に中国を相手取って提訴したが、同年後半にはすでに、中国が実効支配する7つの環礁で埋め立てが始まったとされる
(出所)各種資料を基にウェッジ作成
(写真3点・INQUIRER.NET/PHILIPPINE DAILY INQUIRER)
写真を拡大
仲裁裁判所は16年7月、南シナ海ほぼ全域に主権が及ぶと主張する中国の境界線「九段線」について、「中国が主張する歴史的権利には法的根拠はない」とする判断を下した。これで中国による軍事化に歯止めがかかるはずだった。しかし、中国と対峙(たいじ)してきた前政権に代わり、16年6月末に発足したドゥテルテ政権は、それまでの親米路線から親中へと舵(かじ)を切っていた。
ドゥテルテ大統領は、漁民のスカボロー礁での操業再開に加え、中国から巨額の経済援助を受けることと引き換えに、南シナ海問題を事実上棚上げした。この結果、中国はすでに埋め立てを行っていた7つの環礁の軍事化を着々と進めた。これまでにも米国のシンクタンク戦略国際問題研究所による空撮写真の公開でその進捗(しんちょく)状況は明らかにされてきたが、今回のInquirerの報道で軍事拠点の規模や整備の様子がより詳細に明かされた。
海事分野に詳しいフィリピン大学のバトンバカル教授は、「中国の軍事化を黙認したドゥテルテ大統領の思惑は中国からの経済援助だ。しかし、中国がこれまでに表明した巨額のインフラ整備事業は何一つ行われていない。フィリピン政府は譲歩しすぎだ」と批判した。
フィリピンは16年10月、中国からインフラ建設支援など総額240億ドルという巨額の経済援助の約束を取りつけた。その内実についてジェトロアジア経済研究所企業・産業研究グループ長代理の鈴木有理佳氏は、「240億ドルのうち、約150億ドルは民間企業の投資が大半で、実現性は不透明。インフラ整備に関しては、案件の確定に時間がかかっているようで、現時点で着工に至ったものはない」と語る。
中国からの援助としては、銃器類の供与や昨年5月に紛争が勃発(ぼっぱつ)したミンダナオ島マラウィの復興支援(300万ドル)などが挙げられるが、同教授によると、南シナ海問題の棚上げに比べればフィリピンが受けた利益ははるかに少なく、「不公平な取引」だという。しかし、ロケ大統領報道官は、スカボロー礁におけるフィリピン人漁師の活動再開や、中国人観光客や中国からの投資増などを挙げ「両国の互恵関係を発展させ、わが国民に明らかな利益をもたらしている」と述べている。
フィリピンを中国の州に」
大統領発言に批判続出
Inquirerの報道から2週間後、ドゥテルテ大統領による発言がまたもや物議を醸した。マニラのホテルで開かれた、中華系フィリピン人が集まるビジネス会合でドゥテルテ大統領は、スカボロー礁に実効支配を拡大しないと約束した習近平国家主席を称賛した上で、こう発言した。
「フィリピンを中国の一つの州にしよう。中華人民共和国、フィリピン州」
会場からは失笑を買い、その中には趙鑑華(ジャオジャンファ)駐比中国大使の姿もあった。これはリップサービスとみられるが、政治家や有識者からは「フィリピン人を侮辱しているようで、到底受け入れられない」「国家の尊厳を失わせる発言で、一国の大統領として恥ずかしい」などといった批判が続出した
両国の友好関係は、ドゥテルテ大統領が所属する政権与党、PDPラバンの活動にも及ぶ。同党党首のピメンテル上院議員率いる一団は昨年、中国福建省を訪れ、中国共産党員と親交を深めていたことが明らかになっている。東アジアの国際政治を専門にするデ・ラ・サール大学のデ・カストロ教授は、「大統領は中国のような権威主義体制を望んでいる。自身も『独裁者』と認めているように、メディアからの監視をはじめとしてチェック・アンド・バランスを極度に嫌う。だが、大統領の中国寄りの思想と国民の認識の間にはズレもある」と指摘する。
民間調査機関ソーシャル・ウエザー・ステーションによる、フィリピン国民の関係各国に対する信頼度を調査した最新結果(17年5月)では、1位の米国に日本、オーストラリアが続き、中国はワースト2位だった。中国の軍事化には国民の間でも懸念が相次ぎ、麻薬撲滅戦争など国内政策ではドゥテルテ大統領が高支持率を維持する裏で、外交政策は賛同を得られていないという現状が透けて見える。
ドゥテルテ批判の急先鋒、アレハノ下院議員は「大統領は、中国との良好な関係をアピールし、『中国も地域の安定を望んでいる』と持ち上げているが、それは一時的にすぎない。中国は最終的に、南シナ海全域を支配するだろう」と危機感を募らせる。
中国の軍事化が連日メディアで騒がれている中、フィリピンを訪問中の米海軍幹部は2月半ば、海外の報道機関に対し、「人工島における中国の軍事拠点に阻まれることなく、米軍は南シナ海上での航行を続ける。国際法はこの地域におけるわが国の航行、そして飛行を認めている」と語った。
米国のイージス駆逐艦が1月半ば、スカボロー礁の領海に侵入したことで国際社会に再び緊張が走った。中国外務省の報道局長は、中国の主権と安全に損害を与えたとして「強烈な不満」を表明。中国はその対抗処置として南シナ海で戦闘機による「戦闘パトロール」を実施した。こうした米中間の抗争について、日本国際問題研究所主任研究員の小谷哲男氏は、「中国は米軍が航行の自由作戦を行う度に、これへの対抗を口実にさらに軍事化を進めるが、米国は航行の自由作戦を止めるわけにはいかない。米中とも軍事衝突を望んではいないが、不測の事態が起こる可能性は高まる」と分析する。
米駆逐艦によるスカボロー礁の領海侵入では、ロケ大統領報道官が「比は米中間の問題に立ち入りたくない」と発言し、あくまで米中間の争いとの認識を示した。だが、中国と良好な関係を築くドゥテルテ政権の任期は2022年まで。次期政権が親中路線を継承するとは限らない。仮にアキノ前政権と同じく親米路線に軸足を戻した時、南シナ海を巡る現在の〝均衡〟状態は大きく崩れ始めるだろう。