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14〜20世紀初頭まで朝鮮半島を治めていた朝鮮王朝。その王宮の後宮では、ドラマ顔負けの愛憎ラブストーリーが展開されていた。歴史書には載っていない”王宮ラブ”の実態を知ると、韓流時代劇はもっとおもしろくなる!
1392年から約500年間、栄華を極めた朝鮮王朝(李氏朝鮮)。そこでは、独特な後宮文化が形成され、多くの歴史的事件が起きた。その舞台のひとつになったのが内命婦(ネミョンブ)だ。内命婦とは朝鮮王朝内の女性品階組織のこと。メンバーには、王妃や側室、女官、内人(ナイン・女性の使用人)、宦官たちが含まれていた。内命婦の役割は、王の私生活、王子の育児や学習、祭祀や来賓の接客など王宮の生活に関わる事柄全般。王妃の絶対的権力が行使されていた。
日中韓には、『後宮3000人』、『大奥3000人』という逸話が共通して見られる。ただ、この数字が意味したものは観念的な”多数”。決して正確な数ではなく、日本の大奥は13代・家定の時代に約580人。それに対して、朝鮮王朝の内命婦は21代・英祖の時代に約700人。中国・清朝の後宮には1000人ほどの女性がいたという記録が残っている。
王朝の性生活と聞くと、『ハーレム状態の王様』というイメージが浮かぶが、実際は王朝のしきたりによってさまざまな規制を受けていた。王朝存続のために”血統”が最重要視された朝鮮王朝では、王宮SEX=後継者作りのための国家行事という意味合いが強かったからだ。当時、快楽の追求なんて二の次。そもそも側室を抱えた理由も、王妃に後継者ができない場合を想定したリスクヘッジという側面が強かったそう。
さて、気になる王宮SEXは、まず相手と日時の決定からはじまる。これは大殿尚宮(テジョンサングン)という女官が女性たちの運勢を見て選ぶのが一般的。意外にも王様のタイプで選ぶのはNGだった。その後、寝室に必要な道具(蚊帳、人を呼ぶ鐘、ろうそくなど)が用意されると夜長衣(ヤジャンウィ)と呼ばれる寝着を着た主人公たちが入場。そして、寝床の準備をしていた宮女たちが退室すると、60〜70代の宿直尚宮(スクチクサングン)が寝室を最終確認し、晴れて夜の営みを始めることができた。
寝室の周りには8つの部屋。8人の宿直尚宮たちが待機し、中には王の精力が尽きた際に”生き血”を飲ませるために生きた鶏を持つ女官も。また、時には「オッチェル センガク ハシヨ クマンハシプシオ(お体にさわりますので、もうおやめください)」と、興奮した王を制止するコーチの役割も果たしたとも。いっぽう王妃や側室たちはチャンスを逃すまいと、懐妊前後問わず、あわびやお餅など精がつく料理で体をケアしていたそう。
最後に『対食(テシク)』。これは『向き合って食事をする』ことだが、また、ガールズラブを指す言葉でもあった。宮中では特に宮女たちの対食が盛んだったといわれている。というのも、”王の女”として10代から王宮に勤めはじめた宮女たちは、一生にわたり男性との接触を禁じられていたから。奇跡が起きないかぎり、ほとんど生涯独身という理由から、対食に走る女性が少なくなかったそうだ。