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時代を見通す日本の基礎情報

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習近平氏父の自伝に欠けている歴史の真相 

中国の最高指導者、習近平の父親、習仲勲が生まれたのは、1913年10月である。今年は生誕100周年で、それを記念して、習仲勲の伝記が先月、北京の中央文献出版社から刊行された。

 伝記は上下2巻、合わせて1300ページ近くにも及ぶ。上巻は5年前に出版されており、今回刊行されたのは、49年の建国以後の習仲勲を描いた下巻である。

 下巻を中心に読んでみた。共産党公認の伝記であるため、正統歴史観に沿って、習仲勲の88年間の生涯が、社会主義の革命と建設に、そして改革開放の推進に、いかに尽くしたものであったかが述べられている。それだけに、「歴史の真相」を知りたいと思う私にとって、物足りないのである。

 たとえば、87年1月、党総書記だった胡耀邦が、トウ小平ら長老たちによって辞任に追い込まれたとき、党中央政治局員だった習仲勲はいかなる立場をとったのか。伝記は、「民主生活会」という名の、胡耀邦を集中攻撃するための会合に習仲勲も出席したと記している。それだけである。

 習仲勲がその会合で胡耀邦を擁護し、長老たちの卑劣なやり方を鋭く批判して、「これは正常ではない。党の原則に反している。こうしたやり方は党と国家の将来の安定団結に禍根を残すだけだ。私は断固として反対する」と述べたことには、まったく触れていない。習仲勲のこの長老批判を記さずして、習仲勲の伝記といえるだろうか。

 習仲勲はその生涯で3度の監獄生活を送っている。1度は国民党の監獄、2度は共産党の監獄である。最初の共産党の監獄暮らしは35年のことで、生まれ故郷の陝西省で革命闘争に従事していたとき、粛清されかけたのである。習仲勲は幸い、殺されはしなかったが、誤って反革命のレッテルを貼られて殺された者も少なくなかった。

 習仲勲は、54年に失脚した高崗(当時、国家計画委員会主席)や59年に失脚した彭徳懐(同、国防相)らと近い関係にあったため、66年の文化大革命を待たず、62年に「反党集団」のリーダーとされて失脚した。文化大革命後の78年に復活するまでの一時期、2度目の共産党の監獄を味わっている。

 いずれの監獄入りも冤罪(えんざい)によるものだった。胡耀邦をつるし上げている長老たちを習仲勲が批判したのは、無実にもかかわらず監獄入りを余儀なくされたという身に染みた体験があったからだろう。(敬称略)

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