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時代を見通す日本の基礎情報

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逃亡16年、宅見組長射殺「指揮役」突然の逮捕劇裏切ったのは誰か

「最後の指名手配犯」の逃亡生活は16年で終止符が打たれた。平成9年8月、指定暴力団山口組の最高幹部だった宅見勝・宅見組組長=当時(61)=ら2人が射殺された事件で、現場指揮役として指名手配されていた暴力団中野会(解散)元組員、財津晴敏容疑者(56)が、兵庫県警に逮捕された。襲撃に直接関与したとされる6人のうち3人はすでに実刑判決が確定し、残る2人も遺体で見つかっている。財津容疑者には死亡説も流れていたが、神戸から約400キロ離れた埼玉県内のアパート前での突然の逮捕劇だった。逮捕の背景にあったのは、捜査当局の執念の捜査か、それとも裏切りか。  
■うなだれ…「はい」 しかし手元には35万円  6月5日朝、埼玉県狭山市の西武新宿線沿い。閑静な住宅街の一角にある2階建てアパートは、逃亡者が身を潜めるにはあまりにも似つかわしくない黄色い外装だった。しかし、捜査当局の目から、そして公開手配を知る市民の目から逃げ続けた男が、アパート1階「102号室」に潜伏しているとの情報を得ていた兵庫県警の複数の捜査員は、男が動く瞬間を息を潜めて待った。  午後1時45分、ドアを開けて出てきた男は長袖Tシャツに青いズボン、キャップ帽というラフないで立ちだった。2人の捜査員は瞬時に近づくと、「財津か」と職務質問した。男は逃げる素振りも抵抗する様子もなく、「はい」と答えてうなだれた。 任意同行先の埼玉県警狭山署で、指紋などの身体的特徴が一致していることを確認。午後4時すぎ、逮捕状が執行された。  「2人を射殺したのは間違いない。見届け役として現場に行った」  財津容疑者は素直に容疑を認めた。その後の調べに「1人暮らしで仕事もしていなかった」とも供述したが、逮捕時に所持していた現金は約35万円。「2~3年前から住んでいた」というアパートや公共料金が同一の別人名義で契約されていたことも判明した。  逃亡生活を支えた人物がいたことは明らかな状況だが、財津容疑者自ら協力者の存在を明かすようなまねはしない。もちろん埼玉以前の足取りを明かすことも…。兵庫県警は体制を組み直し、逃亡の経緯を含めた全容解明に乗り出した。  
 ■「何もしゃべるな」  「宅見(組長)は『パサージュ』という喫茶店におる。一緒にいるひげの男は撃たんでええ。宅見(組長)だけを撃つんや」  9年8月28日午後3時すぎ、神戸市中央区の新神戸オリエンタルホテル(当時)。ロビーのある4階を偵察していた財津容疑者は、2階と3階の間の階段に待機していた実行犯4人を手招きすると、手短に指示した。  ほぼ満席の喫茶店。上下青の作業服にサングラス姿の4人組がなだれ込んだ。山口組幹部2人とコーヒーを飲みながら雑談していた宅見組長に、至近距離から銃弾を何発も撃ち込んだ。左手を突き上げ、必死に起き上がろうとする宅見組長に、追い打ちをかけるように引き金を引いた-。  実行犯の1人で、元中野会系組員の中保喜代春受刑者(63)は、収監後に出した著書「ヒットマン」で、当時の様子を詳細にこう記している。さらに、現場指揮役として財津容疑者の口から指示された言葉をこうもつづっている。  「身元がばれるものは一切持ち歩くな」「互いの名前を呼ぶのもあかん。ヒットマンは4人やから、今後は東西南北の符号で呼び合え」「捕まっても何もしゃべるな」  財津容疑者が4人に発した指示は、慎重に慎重を期していた。とはいえ、16年の月日はあまりにも長すぎたのか。逮捕後は自身の言葉を忘れたかのように、事件への関与を素直に認めている。  ■逃亡2人は遺体で  宅見組長と中野会との対立に端を発したとされる宅見組長射殺事件。直接関わったとされる6人のうち、3人はすでに実刑判決を受けて服役している。残る3人のうち、財津容疑者を除く2人は事件後、変わり果てた姿で見つかった。  全体の指揮役とみられる吉野和利・元中野会幹部=当時(45)=は事件翌年の7月、韓国・ソウルの潜伏先のアパートで、ベッドで鼻から血を流した状態で見つかった。外傷はなく、現地の警察当局は「脳卒中と推定され、他殺の疑いはない」と判断した。  また、実行役4人の中で最後まで逃げ延びた鳥屋原精輝・元中野会系組員=当時(56)=は18年6月、神戸市東灘区の倉庫で衣装ケースに入れられたまま遺棄されているのが見つかった。遺体の体重はわずか34キロ。死因は衰弱死で、糖尿病や慢性肝炎などを患っていた。歯もほとんど抜け落ち、床ずれの痕から寝たきり状態だったことがうかがえた。  鳥屋原元組員の遺体をめぐっては、遺棄に関与した2人が「遺体を関東まで取りにきてほしい」との連絡を受け、神奈川県厚木市まで車で遺体を受け取りに行っていたという。遺体を引き渡したのは男ら3人とみられるが、2人は「3人とは面識がない」と供述したままで、壮絶な逃亡生活の謎は明らかになっていない。
 
山口組最高幹部射殺事件で逮捕され、移送される財津晴敏容疑者。逃亡は16年に及んだ=6月5日午後11時1分、JR新神戸駅 
■死亡説もある中…  携帯電話の通話記録や防犯カメラの解析などから、事件当初から現場指揮役と断定されていた財津容疑者。平成11年3月に指名手配されて以降、全国の警察署などに顔写真が張り出された。神戸市内をはじめ、北海道や福岡、出身地の大分などから数多くの目撃情報が寄せられ、兵庫県警はそのたびに捜査員を派遣してきたが、いずれも逮捕には結びつかなかった。  捜査員の間でも死亡説がささやかれる中、今回の情報は違った。複数の捜査関係者によると、「財津容疑者が埼玉にいる」との情報は3~4カ月前、財津容疑者の関係者から寄せられたという。兵庫県警はすぐに捜査員を派遣。財津容疑者の立ち回り先などを丹念に調べた結果、「財津容疑者にほぼ間違いない」との心証を得た。突然の逮捕劇だったとはいえ、決して偶然の産物ではなかった。  ある捜査関係者は指摘する。「財津容疑者を支援していたのは中野会の関係者だろうが、これだけ逃亡を続けるには数千万円単位の資金が必要。中野会自体が解散してしまっては、支援者の処遇も悪化していたはず。その不満が裏切りにつながった可能性はある」
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