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「尊敬する思想家」申栄福とは
「こちらに立ちますか」。南北の軍事境界線がある板門店。晴れ渡った空のもと、韓国大統領、文在寅(ムン・ジェイン)がこう促すと、北朝鮮の朝鮮労働党委員長、金正恩(キム・ジョンウン)は縁石をひょいとまたいだ。南北分断後、北の最高指導者が初めて韓国入りした瞬間だった。二人は笑顔で手をつないだ。
会談を前に軍事境界線を挟み握手する韓国の文在寅大統領(右)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長=4
「歴史的」と評された4月27日の南北首脳会談。演出された政治劇の布石となったのは2月の平昌(ピョンチャン)五輪だった。
今年2月9日。各国の首脳らが集う開幕レセプション会場に現れた文は、やはり満面の笑みを浮かべて次のように歓迎の辞を述べた。
「私が尊敬する韓国の思想家、申栄福(シン・ヨンボク)先生は冬の寒さを耐えるために隣の人の体温を利用するのを、“原始的友情”だと温かく表現されました」
凍てつく寒さの中で温かい友情を分かちあおうと、さりげなく「韓国の思想家」の言葉を引用したと考えた首脳もいたかもしれない。しかし、北朝鮮の最高人民会議常任委員長、金永南(キム・ヨンナム)だけは文の「深意」を瞬時に察したのではないだろうか。
申は北朝鮮の朝鮮労働党の指令の下、韓国国内につくられた地下組織、「統一革命党(統革党)」党員だった。統革党が韓国の有力者を抱き込み、合法的な政党を目指していた矢先の1968年、韓国当局に摘発された。
武装した工作船1隻、無線機7台、機関銃12丁、拳銃などが押収されたこの事件では、158人が検挙された。主犯格の金鍾泰(ジョンテ)ら3人は死刑、申も1、2審で死刑判決を受けたが最高裁で無期懲役に減刑された
情報機関、韓国中央情報部(KCIA、現在の国家情報院)の捜査報告書によれば、北朝鮮へ密入国した金鍾泰は4回にわたって最高指導者の金日成(イルソン)と面談、工作資金を受け取った。
申はソウル大学経済学部を卒業後、陸軍士官学校教官として在職中に統一革命党に入党したのだった。
韓国を転覆しようとした人物の名に「夜も眠れない」
韓国中央情報部(KCIA)の捜査報告書は「統一革命党(統革党)は表向き革新政党を名乗り、合法化された組織として反政府・反米デモを展開するなど政府に攻撃をしかけ、騒擾(そうじょう)状態を誘発することを目的に据え活動した」と記す。
処刑された金鍾泰に金日成は「英雄称号」を授与、海州師範学校を「金鍾泰師範学校」に改称するなどして功績をたたえ、韓国政府には服役中の申栄福の身柄引き渡しを執拗に要求した。
北朝鮮は、ベトナム戦争後ベトナムに抑留された韓国の外交官ら3人の解放に協力するとし、3人と申の身柄を交換しようと提案してきた。
当時、金永南は朝鮮労働党国際担当書記として外交の一線で活躍していた。申に関する記憶は今も鮮やかなはずだ。
1988年、申は転向書(思想を変える意思を表明する誓約書)を書き、その後仮釈放された。しかし、自分は思想を転向していないと公言し続けた。釈放直後の月刊誌のインタビューでは「確かに転向書は書いたが、これからも統革党に加わったときと同じく活動を続けるつもりだ」と話した。
平昌五輪という平和の祭典で文在寅が申の言葉を使ったのは思いつきでなく、綿密に準備されたものだったことがその後明らかになる。
今年2月10日、文は金永南と党第1副部長の金与正(ヨジョン)を青瓦台に招き、申が書いたとされる「通」をモチーフにした書の作品の前で記念撮影をした。
作品は特別に制作されたものだったという。北からの賓客を喜ばせるためだったのか、自分(文)が何を考えているかを暗示するためだったかは不明だ。
学生時代に金日成思想に傾倒した元運動家で、転向後は保守系の政治家となり、京畿道(キョンギド)知事などを務めた金文洙(ムンス)は韓国の保守系ネットテレビでこう話した。
「申は金日成の指示に従い大韓民国を転覆しようとした人物だ。(韓国の大統領がこんな考えを持っていることを)どうすればよいのか。夜も眠れない」
=敬称略
(龍谷大学教授 李相哲)