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【ホノルル共同】米ハワイ州ハワイ島のキラウエア火山の噴火活動は21日も続き、海に流れ込んだ溶岩流が同日までに海水と化学反応を起こし、有毒ガスを含む水蒸気が発生した。地元当局は肺障害や皮膚炎を引き起こす恐れがあるとして住民らに注意を呼び掛けた。
AP通信によると、沿岸警備隊は、周辺海域への船舶の接近を制限する措置を取った。
キラウエア火山の山腹や周辺の道路などにできた亀裂も20カ所以上に拡大。当局は噴火は今後も続くとみて、噴石の飛散や有毒ガスの発生に警戒を続けている。
「アナタの記憶は自在になくなったり、思い出したりするのですか?」
独特の少しハスキーな声で、柳瀬唯夫元首相秘書官にこう噛み付いたのは、立憲民主党の蓮舫参院議員だ。加計学園問題をめぐる、参院予算委員会の参考人招致(10日)。この挑発的な言い方に、冷静沈着だった柳瀬氏は一瞬ムッとした表情を見せた。
参院予算委員会の参考人招致で質問する蓮舫氏。過去のインタビューが注目されている=10日、参院第1委員会室当然であろう。柳瀬氏の心中は分からないが、あえて勘繰り代弁するなら「お前が言うな」ではないか。日本国の国会議員、いやしくも国務大臣まで務め、野党第1党党首になりながら、自身の国籍がどこにあるかさえ「知らなかった。記憶が曖昧」と言い逃れようとした人物が、他人の記憶をとやかく言うなど、笑止千万だ。
蓮舫氏は、もはや多くの国民がウンザリし、冷ややかにチラ見するだけの「モリカケ国会劇場」に何とか衆目を取り戻そうと、捨て身のギャグを炸裂(さくれつ)させたのか。かわいそうな人だ。
そう思いながら、国会審議のビデオを見返していた私の元へ、作家の百田尚樹氏から電話が入った。
「『有本さんが20年以上前に、蓮舫氏から国籍に関する、すごい発言引き出していた』とネット上でちょっと話題になってるで。(問題の雑誌)覚えてる?」
その後、複数のメディア関係者からも問い合わせをいただいたので、ここでお答えしたい。
問題の雑誌とは、1995年7月18日発売の旅行雑誌『ジョイフル8月号』(近畿日本ツーリスト刊)で、「すごい発言」は巻頭インタビューで語られていた。私は当時、この雑誌の編集人(編集長)で、蓮舫氏にインタビューしたときのことも記憶している。
アメリカンフットボールの「殺人タックル」問題で春季オープン戦が全試合中止となるなど孤立を深める日本大学。内田正人監督(62)らが19日、選手が負傷した関西学院大学の関係者と会い、謝罪と事情説明を行うが、遅きに失した感は否めない。何よりも、選手に責任を転嫁する立場を変えていないことに選手たちの不満が爆発し、指導者一掃へ決起する事態も予想される。
悪質な反則行為があった試合から約2週間。日大の内田監督らは19日、関学大の鳥内秀晃監督(59)、小野宏ディレクター(57)に謝罪する。
ただ、日大側が問題解決に本腰を入れているのかは疑問だ。18日に理事会を開いたが、悪質反則問題については正式な議題にはならなかったという。常務理事を務め、実質的に学内ナンバー2とされる内田監督について大学側は「理事会に出席したかはコメントしない」とした。
各大学の「日大外し」は続き、6月17日に行われるはずだった日大-桜美林大も取りやめに。日大は予定されていた全試合が中止となった。
スポーツライターの小林信也氏は「このままでは試合を行うことはできないだろう。けがをするかもしれないのに、試合をしようとする相手がまず出てこない」とみる。
「監督の指示は絶対」といった体制が悪質な反則行為の背景にあったといえる日大だが、ここにきて選手の不満も噴出している。その最大の要因が、監督や指導者側の「無責任体質」だ。
関学大の抗議文に対して日大が送った回答書では、日大の選手が反則行為を繰り返した理由について「意図的な乱暴行為を行うこと等を選手へ教えることは全くございません」「指導者による指導と選手の受け取り方に乖離(かいり)が起きていたことが問題の本質」とした。
選手が勝手に反則行為を犯したことを示唆するかのような内容で、監督からの指示があったという選手側の証言と大きく食い違っている。
産経新聞によると、日大アメフト部が17日に開いたミーティングの中でも、コーチが同様の説明を行ったという。現役選手が同紙に「僕らは本当のことを分かっているので、コーチの説明に納得できない。怒っている部員はいっぱいいる」と明かした。
同部は18日も全体練習を行わず、一部の選手が自主練習で汗を流した。チーム内では反則をした選手を心配する声もあるといい、選手の一人は「このままではチームが崩壊してしまう」と悲痛な面持ちで心境を語ったという。
部内では下級生を中心に、内田氏が監督を続けた場合、練習をボイコットする動きが出ているほか、退部を決意する選手も増えているといい、前出の小林氏は「指示の有無に関係なく、監督ならば普通は選手を守るべきだ。当たり前のこともしない監督に、選手の不満がはじけたのではないか」と話す。
内田監督は厳格な指導で知られ、昨年、監督に再就任した際には「甘いことをやっていたら日本一になれない」と猛練習を課し、約20人が大量に退部した。結果的に日大が学生王座に返り咲いたことから、当時は優勝の背景にあるエピソードの一つとして紹介されていたが、今となっては意味が違ってみえてくる。
小林氏はこう指摘する。
「内田監督は、最新の知識というより根性論に基づいた練習を行っていた。古いやり方に嫌気がさし、日大の付属高校でアメフトをしていた部員が、あえて日大を避けて他大学に進むという話も聞く。アメフトでの推薦で進学した選手もいるが、積極的な理由で入部を決めた選手ばかりではないだろう。今回の問題で抱えていた不満が爆発したのではないか。今後、チームとして試合ができるようになるには、監督の辞任は避けられない」
建国日」めぐり未だに激しく対立する左派と保守系
2017年12月、中国を公式訪問した韓国大統領、文在寅(ムン・ジェイン)は内陸部の重慶市を訪ね、韓国の独立運動家、金九(キム・グ)が拠点としていた大韓民国臨時政府旧庁舎を見て回った。文は芳名録にこう書いた。
「大韓民国臨時政府はわれわれの根っこ。われわれの精神である」
文が分刻みの日程を割いてわざわざ重慶を訪れたのには深い意味があった。
韓国では未だに「建国日」をめぐり左派と保守系が激しく対立している。文は昨年、大統領就任後初の「光復節」(日本による朝鮮半島統治からの解放記念日)の祝辞で「2019年、大韓民国は建国と臨時政府樹立100年を迎える」と述べた。
これまで建国日とされてきた1948年8月15日を否定、1919年4月12日、上海で結成された亡命政府樹立記念日を建国日とする姿勢を明確にした。
しかし保守系の知識人らからは「臨時政府がつくられた当時、韓国は日本の植民地だった。臨政は領土や国民を実行支配したわけではない。国民も領土も主権もない国がこの世に存在するというのか」と疑問の声が出ている。
日本統治下でも南北は一つだった…
文在寅が建国日にこだわる理由を左派系メディアはこう解釈する。
「1919年起源論(韓国建国)の核心は“国民主権”“民族共同体”、すなわち同じ民族にある」(オーマイニュース)
当時の朝鮮半島は日本の統治下にはあったが、南北はひとつだった。48年の建国は北朝鮮を抜きにした分離選挙でできた単独政府だから正統性は認められないという主張だ。
臨時政府で同志だった李承晩(イ・スンマン)と金九が決別することになった決定的な理由も統一政府樹立をめぐる意見の違いだった。金九は民族が一つになれるなら金日成の共産主義勢力とも手を結ぶつもりだった。
終戦直後から朝鮮戦争が勃発する50年6月までの期間を韓国では「解放空間」と呼ぶ。日本支配からの解放後、朝鮮半島で真っ先に主導権を握ったのは左翼勢力を代表する呂運亨(ヨ・ウンヒョン)、金日成(キム・イルソン)・朴憲泳(パク・ホンニョン)が率いる急進的共産主義勢力、朝鮮共産党だった。
朴は当初、呂と活動をともにするが決別し、46年霊柩(れいきゅう)車に隠れて北へ入る。後に北朝鮮で内閣副総理などを務めた。朴が北へ渡った後の47年7月、呂は暗殺された。
南朝鮮(当時)では金日成と統一政府をつくることに懐疑的な世論が高まり、主要政治家の多くが南の単独政府樹立を主張するようになったが、同年12月、単独政府派の著名言論人、張徳秀が自宅で射殺されるなど世情は混乱を極めた。
くしくもそのタイミングに金日成は、統一民主国家樹立を話しあう「連席会議」参加を南側に呼びかけた。南側で単独政府樹立の動きが進むのを止めたかったからだ。
「朝鮮をソ連の衛星国家にするつもりの者たち」米国の反対押し切り平壌へ
金九が南北協議に応じることに政敵はもとより、側近らも反対したとされる。金九は呂らへの暗殺事件への関与が疑われ、裁判をうける身だったが、平壌行きを決行する。
後に、金九は当時の心境を次のように語った。「北が準備した式場に付き添い役として呼ばれているのではないかという指摘もあるが、とにかく行くのが正しいと思う」
米側も会議への参加に反対だった。軍政庁のホッジ長官は、「南から金日成が主催する会議に参加する人々の中には“有名な人(金九らを指す)”もいる。大多数は共産主義者の道具として朝鮮をソ連の衛星国家にするつもりの者たちだ」と声明を発表した
結果的に金日成の平和工作に利用される金九を文はたたえたのだった。
=敬称略
(龍谷大学教授 李相哲)
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