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就職活動でも結婚活動でも、昨今まず求められるのが自己分析である。しかし、私たちは「自分」を知っているのだろうか? そもそも「本当の自分」などというものが存在するのだろうか?
自己分析してわかる「自分」、意識に上る「自分」は、脳の活動という巨大な氷山の一角に過ぎず、大部分は水面下に隠れていて意識に上らない。脳科学者たちは近年、そう主張するようになった。
本書の言葉を借りれば、「自分が見聞きするもの、やること、考えること、信じることさえも、意識のあずかりしらない脳の活動によって決まる」というのだ。
急速に進歩しつつある脳科学の知見をもとに、脳と「自分」との関係を、実際にあった事件や実験を織り交ぜながら、深く考察したのが、本書である。
著者のデイヴィッド・イーグルマンは、スタンフォード大学准教授を務める神経科学者。英米でベストセラーになった本書(原題「INCOGNITO」)をはじめとする著作のほか、テレビ番組The Brain with David Eaglemanのプレゼンターも務める。
読者の興味をそそるような有名人のゴシップやテレビドラマのなかの会話に出てきそうな「トリビア」ふうの話題を散りばめつつ、科学的な説明を積み上げていく手法は、さすがだ。
たとえば、潜在的な偏見や無意識の自己愛(「潜在的自己中心性」)のおよぼす影響について、こんな話がある。
<友だちのジョエルにばったり会って、彼が生涯の恋人としてジェニーという名の女性を見つけたと話してくれたとしよう。それはおかしい、とあなたは思う。友人のアレックスはエミーと結婚したばかりで、ドニーはデージーにぞっこんなのだ。この同じイニシャルのペアには何か意味があるのか? そんなばかな、とあなたは断定する。生涯を誰と過ごすかというような人生の重要な決定が、名前の最初の文字のような気まぐれに影響されるはずがない。>
しかし、これは偶然ではない、と著者はいう。
2004年、心理学者のチームがアメリカの二つの州で婚姻の公的記録1万5000件を調べたところ、「名前の最初の文字が自分と同じ人と結婚している人の数は、偶然の一致にしては多すぎることがわかった」。
別の心理学者のチームは、職業人名簿を分析して、デニースやデニスという名前の人はデンティスト(歯医者)に、ローラやローレンスという名前の人はロイヤー(弁護士)に、ジョージやジョージーナという名前の人はジェオロジスト(地理学者)になる可能性が高いことを発見している。
いやいや、日本人の名前でそんな話聞いたことがないし・・・と眉に唾をつけたくなる。が、「これらの発見はすべて、統計的な有意性の閾値を越えている。影響は大きくないが検証できる。私たちは自分ではアクセスできない動因、統計が暴かなければ信じないような動因に影響されているのだ」と、著者は主張する。
だとすれば、「あなたの脳をさりげなく操って、あなたの将来の行動を変えることができる」はずで、それを裏づける実験や事例の数々も紹介される。
数ページの文章を読んだあとで、不完全な単語の空白を埋めるようにいうと、被験者は、最近その単語を見たという明確な記憶があってもなくても、その単語を選ぶ可能性が高い。これは「プライミング」と呼ばれる効果で、潜在記憶のシステムが基本的に顕在記憶のシステムと別々であることを裏づけるものだという。
すなわち、「顕在記憶がデータをなくしても、潜在記憶はしっかりしまい込んでいる」わけで、その証拠に、重い健忘症の患者は、最初に何らかの文章を示されたことを意識的には覚えていなくても、プライミングによって不完全な単語の空白を埋めるのだという。
このように、私たちの「思考」すらも、自分では直接アクセスできないメカニズムによって生成されている、と著者は語る。
さらに、「脳は葛藤するパーツでつくられたマシン」であり、たとえるなら、「理性」と「感情」という二つの別々のシステムがつねに争っている二大政党制のようなものだという。
脳のなかの政党はいつも議論を戦わせていて、どの意見が勝つかは条件や状況によって変わる。最終的に勝った意見が意識に上って行動として現れる。行動が矛盾することもあるが、どちらか一方だけが「本当の自分」なのではない。
つまり、脳のなかの対立によって「自分」が容易に変わることを事実として受け止めたうえで、著者は重要な問いかけをする。
意識ではどうすることもできない脳に操られる「自分」が起こす犯罪行為は、いったい誰の責任なのか? ある行為が非難に値するかどうかを問うこと自体が、的外れではないか?
冒頭に問われるのは、1966年、母と妻を殺してからテキサス大学タワーに上り、無差別銃撃で46人を死傷させた男の事件。男は警察に射殺されたが、以前は平凡な私生活を送っており、「自分の脳に変化が起こっていないか究明するために検視解剖をしてほしい」と遺書に記していた。
解剖の結果、彼の脳に腫瘍が見つかり、扁桃体を圧迫していたことがわかった。扁桃体の損傷は、感情と社会性の混乱を引き起こすといわれる。
さて、この場合、彼の無分別な殺人に対するあなたの気持ちは変わっただろうか? 彼が生きていたら、量刑を加減することになるだろうか? 運悪く腫瘍ができて、自分の行動を制御できなくなる可能性は、あなたにだってあるのでは?
<脳に腫瘍を抱えてタワーに上った男性のことを考えると、私たちは非難に値するかという疑問の核心に触れることになる。法律用語で言えば、彼は『有責』なのか? 自分には選択の余地がない脳の損傷を受けている場合、その人にどの程度責任があるのか? なにしろ、私たちは自分の生体と無関係ではいられない。そうでしょう?>
著者の問いかけは、脳を探る技術が向上するにつれ、広く、重くなっている。
腫瘍のせいで突発的に小児性愛になった男性、万引きなどの脱抑制行動を止められなくなる前頭側頭認知症の患者、治療薬の作用でギャンブル依存になるパーキンソン病患者、殺人夢遊病患者の例などが挙げられており、容易に答えの出る問いではないと気づかされる。
そこで著者は、本書の前半で見てきた脳に関する新たな理解――自由意志はたとえ存在するにしても、巨大な自動化されたメカニズムのうえに乗っている小さな因子にすぎない――という理解から、犯罪の有責性を問うことは意味がない、と訴える。
現在の刑罰スタイルは、個人の意思と責任を土台にしているが、有責性は現在の技術の限界で決まることになり、筋が通らない、という意見には、たしかにうなずける。
「脳に適した前向きな法制度」として、著者は、「生物学的な理解を活用した更生のカスタマイズ」を提唱する。最新の脳画像技術を用いて、衝動を抑制するように脳を訓練するという具体的手法も提案している。
「神経法学」という新しい分野に軸足を置き、ベイラー医科大学では「脳神経科学・法律イニシアチブ」を主宰する著者ならではの、斬新だが、説得力のある主張である。
神経生物学者、法学者、倫理学者、政策立案者を巻き込んで、神経科学の新たな発見を法律や刑罰、更生にどう活かせるかを研究するプロジェクトとのことだ。アメリカのみならず、日本でも大いに参考にすべき考え方であると思う。
3月26日、中国の特別行政区である香港政府のトップを決める行政長官選挙(任期5年)が行われ、香港のナンバー2であった林鄭月娥(キャリー・ラム)前政務長官が、初めて女性として選ばれた。ナンバー3の曽俊華(ジョン・ツァン)前財務長官と、元裁判官で前選挙管理委員会主席の胡国興(ウー・コック・ヒン)氏を破った。
本来、今回の選挙は、普通選挙によって実施される予定だったが、中国の中央政府による立候補段階での事実上の振るい落としをするという条件がついた。それが「偽の普通選挙」ということで、14年の民主派や学生らによる「雨傘運動」につながり、その後の立法会でこじれた結果、これまで実施されてきた選挙委員による投票となった。立候補には選挙委員150人以上の推薦人が必要で、キャリー・ラム氏は580人、ジョン・ツァン氏は165人、ウー・コック・ヒン氏は180人の推薦人を受けていた。今回の選挙は1194人の選挙委員の投票で行われ、キャリー・ラム氏が777票、ジョン・ツァン氏が365票、ウー・コック・ヒン氏が21票だった。選挙当日の香港の有力紙『明報』の朝刊には、「キャリー・ラムは700票を抑えた」という記事が掲載されたが、結果的には大幅に上回った。結果発表時には、会場全体からキャリー・ラム氏の圧勝に驚きの声が上がった。
開票会場となった湾仔(ワンチャイ)の会議展覧中心(コンベンション&エキシビション・センター)では、本会場の入口直後などにメディアゾーンがあり、そこで投票者に直接インタビュー出来る。キャリー・ラム氏に投票した人は「私はキャリー・ラムに入れた」と答えた人が少なくなかったが、「誰に入れたのかは答えない」と答えた人は、今思えばジョン・ツァン氏に投票したのではないかと推測される。筆者が話を聞いた中で、明確に「ジョン・ツァンです」と答えたのは、財界に力のある元立法会議員で、前自由党党首の田北俊(ジェームス・ティエン)氏くらいだった。一方の世論調査では、調査機関によって数字は異なるが、必ずジョン・ツァン氏がキャリー・ラム氏を上回っていた。一方で、「誰が当選すると思うか?」という問いには、キャリー・ラム氏と答えた人が多かった。
キャリー・ラム氏の予想以上の大勝について、香港中文大学の政治・行政学部の蔡子強高級講師は、「580の推薦人から777票まで積み上げたのは、胡氏の支持票がかなりキャリー・ラム氏へ流れたのと、態度を表明していなかった人たちの多くが、彼女に投票したことを意味する。キャリー・ラム氏にとっては、勇気づけられる良い結果だろう」と分析した。民意と実際の投票とのかい離について聞くと、「通常、当選後は(発足直後の新政権は一般的に高い支持率を示す傾向がある)ハネムーン期間があるが、彼女に関しては、まずあり得ないだろう。難しい政治課題も山積みで、就任当初から厳しい政権運営を強いられると思う」と予想した
キャリー・ラム氏は、一般庶民の家庭に生まれ、学生時代からずっと成績は首席だった(一度だけ試験で2番になったことがあり、涙したことがあったと言う)。香港大学卒業後、公務員となった。多くの日系メディアは雨傘運動から彼女を取り上げ始めたが、香港人の中で彼女の名前が広く知られるようになったのは、07年に起きた皇后ふ頭の撤去問題だ。このふ頭は中環(セントラル)という香港の中心部にあり、エリザベス女王やダイアナ妃など、イギリス王室と総督など限られた人しか使用しないという格式と伝統のあるふ頭だった。しかし、周辺の埋め立てによる再開発で取り壊しを決定(結果的には、一部が保管され、別な場所に再建することになった)。香港市民による座り込み運動が起こったが、その時に香港政府の代表として対応したのがキャリー・ラム氏だった。最終的には警察が活動家を強制排除したことで終了したが、政府はこのときの彼女のタフネゴシエーターぶりを評価。前行政長官である梁振英(CY・リョン)氏が、在任時に彼女をナンバー2に抜擢する要因となった。雨傘運動時の学生との話し合いの時は、07年に彼女が行った皇后ふ頭の撤去での対応を思い起こした香港人が多かった。彼女はしばしば「鉄の女」と評されるが、初代の「鉄の女」は、03年に香港版「治安維持法」と呼ばれる、基本法23条に基づく国家安全条例の制定を目指した葉劉淑儀(レジーナ・イップ)氏であるので、キャリー・ラム氏は「新・鉄の女」と評した方が正しいだろう。
経済都市である香港の財政長官として、ジョン・ツァン氏は世論から高い評価を得ていたにもかかわらず、なぜ中国政府は支持しなかったのか? まず、選挙委員会で多数を占める新中派の支持を取り付けなければならないにも関わらず、彼は民主派の支持をとりつけようと動いたことが敗因として挙げられる。選挙改革についても、完全普通選挙に近いことをするという民主派の意向を取り入れた。中央政府の香港の出先機関である中央政府駐香港連絡弁公室の職員は、ジョン・ツァン氏を支持しなかったにも関わらず(立候補を控えるよう説得したという報道もあった)、親中派以外の票と財界の一部の票を取り込めば、彼が当選できると票を読み、出馬することとなった。ただ、取材をして見えてきたのは、彼が「見た目は香港人だが中身はアメリカ人」と判断されたことも、少なからず選挙に影響したのではないかということだ。確かに彼は香港生まれだが、13歳の時にアメリカに移住。思春期にどういった教育を受けるかは、その後の思想に大きな影響を与えるが、その意味で、彼はアメリカの考え方に強く影響を受けている。
政治ショーにイライラする香港
一方で、中央政府は、最初からキャリー・ラム氏の立候補を支持することを決めていた。だた、最初から彼女の支持を表明すると、民主派から攻撃される材料を与えてしまうため、「欽点」(事実上の中央政府による指名)をするのは避けていた。前回の行政長官選挙は、本命だった唐英年(ヘンリー・タン)元政務長官の住宅スキャンダルによって、香港市民が大反発を起こしたため、やむを得ずCY・リョン氏を推さざるを得なくなった。結果的に親中派内で分裂選挙のような状況に陥り、選挙後も影響が残った。今回はそのような事態を防ぐため、見かけ上、親中派同士の対決にはなったが、その裏で中央政府はしっかりキャリー・ラムが当選するように画策していたのだ。
また、中央政府の香港への締めつけは、また別な形でも現れていた。当選翌日の親中派寄りの新聞、『大公報』と『文匯報』には、大量の当選の祝賀広告が挟まれていた。その広告の量は、日本の新聞における年賀広告の比ではない。祝賀広告を見れば、どの組織が彼女を支持し、また選挙活動の資金源になったのかが一目瞭然だ。人材面、資金面において、彼女が圧倒的であったことを感じさせるものであった。
新民党の主席で、立法会議員のレジーナ・イップ氏が、行政長官戦に出馬すると事前に発表されていたが、彼女は先述した国家安全条例の制定問題を03年に起こしたことで香港市民から強いアレルギーをもたれていたこともあり、中央政府は彼女を支持する考えはなかったようだ。事実、彼女は立候補するための推薦人の数すら集められず立候補を断念した。
ジョン・ツァン氏が出馬表明したことで、中央政府は推薦候補の支持のタイミングなどで微妙なさじ加減を求められた。だが、表面上、民主的な選挙が香港で行われるかのように市民に思わせられたことは幸いだったと言える。
今回で5回目の行政長官選挙となったが、香港の選挙システムを知らない人が香港のテレビを見たり新聞を読んだりすれば、まさに普通選挙が行われているかのように感じるのではないかと思われる。投票権を持たない一般市民を相手に候補者が握手をしたり、演説をしたりするし、アメリカの大統領選挙のようにテレビ討論会が複数回行われたりするからだ。「各候補者の意見が分かるから、討論会は大事だと思う。でも、私は投票ができないから、イライラする」と、ある香港人は憤る。
「討論会も、開票作業も公衆の面前でやるので、公平性は担保されていると思うけど、結局投票はできないのだから、ある意味〝選挙ショー〟というか、ただのパフォーマンスに感じてしまう」と、ばっさり切る人もいた。一方で、ある年配の香港人は、「選挙については、予めすべて制度として決まってしまっているのだから、仕方がない」と嘆息を漏らす。実は香港では、年齢が上がれば上がるほど、そう考える人も少なくない。長らく植民地であったため、「政府の見解は絶対」との考えが、ある意味染みついてしまっているのだ。
この選挙は日本を含め世界各国から報道陣が集結した。メディアセンターで筆者の隣に座ったのは、スペインのラジオ局だった。雨傘運動によって、社会が分断したまま選挙を迎えるということで、開票会場前では、民主派と親中派の両方のデモ隊が集結。一部のデモ隊は、警察と揉める事態になった。選挙前から物々しい雰囲気であったため、メディアパスを取得するまでのセキュリティーは厳しく、パスの受付所にたどり着くまでに、最低3回は警察やガードマンに身分の証明をする必要があった。
現地メディアの報道も一段と加熱していた。たったの1194票しかないため、即日開票どころか、候補者、投票した人、メディア、開票の様子が、傍聴する権利をもった市民の目の前で開票される。現地メディアは双眼鏡を抱えたスタッフを用意し、担当者の手の動きをカウント。数え終わった時点で、すぐにソーシャルメディアやウェブサイトに開票結果の速報値を流した。筆者は偶然、カウントする人のすぐ傍にいたので、キャリー・ラム氏の得票数が物凄いペースでどんどん積み重なっていくのを聞いていた。ちなみに、公式の投票結果発表前には、選挙管理委員会が無効票だったものを大きな画面に映しだし、なぜ無効票であったのかを説明した。
開票現場では、メディアと立候補者と投票者のゾーンは腰までの高さの仕切りで区切られているため、会場全体を俯瞰することができた。そこで感じたのは、「人口700万人を超える先進都市のトップが、『この仕切りの中で決められている』という不条理」である。
携帯電話はわれわれの生活を変えたが、トラブルにも事欠かない。中国の情勢に詳しい拓殖大学海外事情研究所教授の富坂聰氏がレポートする。
* * *
日本にも「中二病」という言葉があるが、思春期を迎えようとする子供との関係に悩む親は日本も中国もないようだ。親子関係のちょっとしたトラブルや行き違いが、とんでもない事件にまで発展してしまうことも珍しくない。これも同じような事情だろう。
中国ではこのところ中学生や小学生の覚せい剤使用の問題や販売に関わっていたなどのニュースも見かけるが、やはり多いのはスマホや携帯電話をめぐるトラブルだ。
今年2月の末から3月にかけて、相変わらず多くの関連ニュースが見つかった。代表的なものを二つ紹介しよう。
まずは『中国新聞ネット』が2017年2月27日付で流したニュースだ。タイトルは、〈携帯のゲームを禁止されて怒った11歳の息子が、父親の骨董茶碗を叩き壊す 骨董品は180万元(時価300万元=約525万円)だった〉である。
ただ、この話はタイトルから想像するのとは少し違っていた。11歳の息子がゲームに夢中になり過ぎ、歩いていても食事中もずっとゲームをし続けているのを親が見かねたというのはどの家庭にも共通する話だが、問題はその後だ。父親が息子の眠っている隙にすべてのゲームを使用不能にしてしまったのである。
目覚めた息子は携帯電話が壊れたと思い、それを思いっきり床に投げつけた。それでも怒りが収まらずにものを投げつけた。そのとき不幸にも骨董品に直撃したというのだ。この話のオチは、「ゲームを使えなくするなら、先に息子の同意を得るべきでしょう。あなたはファシストか」と妻に罵倒されておわるというものだった。
一方、もう一つの話はちょっと重い。報じたのは『澎湃新聞』(2017年3月14日)で、タイトルは、〈携帯電話を没収されて怒った11歳の息子が自宅寝室に放火〉だ。
現場は重慶市、少年は中国でいう携帯電話依頼症だという。
放火事件の原因は夕食時にゲームに夢中になって食べない息子から携帯電話を取り上げたことだった。その日、息子は自分の部屋に閉じこもって出てこなかったが、朝、母親が野良仕事に出かけると自分の部屋の土棚の本に火を着けた。だが、火が広がった瞬間に怖くなって祖母の家に逃げてしまい、正午に母親が帰宅したころには部屋は丸焼けになっていたという。
悩み深い問題だ。