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時代を見通す日本の基礎情報

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朝日新聞元記者 従軍慰安婦の虚報招いた吉田清治氏の嘘告発


これまでの「慰安婦報道」について「記事を取り消します」「誤用しました」などと認めた5日付朝日新聞【拡大】
韓国が喧伝する、いわゆる従軍慰安婦のデマは、いまや世界中に拡散し、欧米では「慰安婦=性奴隷」という誤ったイメージが定着してしまっている。その原点は、朝日新聞が報じた強制連行の「誤報」だろう。

 かねて朝日の報道をめぐっては、多くの識者やメディアから批判があったが、朝日は依然としてその過ちと向き合おうとしない。そんななか、朝日新聞元ソウル特派員として慰安婦問題を取材した記者の前川惠司氏(現ジャーナリスト)が、告発の声を上げた。

 * * *

 1991年5月22日付の大阪本社発行の朝日新聞の、「木剣ふるい無理やり動員 従軍慰安婦 加害者側の証言(手紙 女たちの太平洋戦争)」には、「自分は朝鮮半島で950人の女性を強制的に連行して慰安婦にした」と、告白する著述業・吉田清治氏(故人)の証言を大きく伝えた。

 実は、私が川崎支局員だった1980年ごろに、「朝鮮人の徴用について自分はいろいろと知っているので、話を聞いて欲しい」と電話してきたのが、吉田氏だったことがある。

 横浜市内の彼のアパートで3~4時間は話を聞いた。大筋は、当時、警察に直結し、炭鉱などへ労働者を送り込む組織である山口県の労務報国会にいて、朝鮮の慶尚北道に行き、畑仕事をしている人たちなどを無理やりトラックに乗せて連れ去る「徴用工狩り」をした、ということだった。

 奇妙なことに、彼はその時、その後に「告白」する「慰安婦狩り」にまるで触れなかった。当時の記憶は薄らいでいるが、それでも、彼の話には辻褄が合わないところもあった。
当時、私は、地方版で「韓国・朝鮮人」という連載を続けており、ちょうど、朝鮮人軍属の体験を書いていたので、吉田氏は、その記事を読んで電話をしてきたのだろうが、すでにたくさんの在日の方を取材し、徴用工だった人からも話を聞いていた。

 吉田氏が証言した、集めた徴用工を釜山港で船に乗せるときに「手を縛り、数珠つなぎにした」という話は聞いたことがなかった。山口県の報国会の「朝鮮人狩り」なら、徴用工を連れてくるのは、山口県内で働かせるためだろうから、どこに連れて行って働かせたかを尋ねると、行った先の現場などの名前ははっきりしなかった。重ねて尋ねると、「当時、朝鮮人はモノ扱いだったから」というような返事だった。

 余談だが、日本支配下の朝鮮は、経済的な理由や、重苦しい鬱屈した気持ちや、明日を捜そうと、朝鮮から脱出し、日本に行きたい人はたくさんいた。日本は当初、朝鮮半島出身者の流入を抑えたが、長引く戦争で、本土の労働力の穴埋めに徴用に踏み切った。徴用を日本行きの好機とした逞しい人も多かったはずだ。

 朝日新聞は、吉田氏の「慰安婦狩り」の証言を何回か紹介したようだが、私は、ソウルで伝手をたどり、

 「戦争中に日本兵や日本人警官に無理やり連れて行かれた娘がいたか。そんな噂を聞いたことがあるか」

 と60歳を超えた友人の母や、新聞社の幹部、元軍人、大学教授などに尋ね回ったが、そんな噂を聞いたという人は、一人もいなかった。ある人の返事は、

 「日本人が無理やり娘をさらったりしたら、暴動が起きましたよ」

 日本支配下の1929年に、列車の中で日本人男子中学生が朝鮮人の女子生徒をからかったことがきっかけで、生徒同士のけんかになり、とうとう大規模な独立運動にまでなった「光州学生事件」は、有名な出来事だ。そのようなことも合わせれば、日本の官憲が朝鮮人女性を暴力的に戦地へと連れ去ることなどはできることではないし、また、必要もなかったというのが私の判断だった
すでに朝鮮には、日本の公娼制度が持ち込まれ、あちこちに売春地区があった。女衒は、もう戦争前からあふれていた。そして、哀しい話だが、当時の日本本土と同様に、娘を売る親はいくらでもいた。

 ところで、吉田氏は、1992年8月12日にソウルに現われた。韓国で元従軍慰安婦を支援している団体である、「太平洋戦争犠牲者遺族会」に呼ばれ、亡くなった元慰安婦に謝罪し、慰霊するためだと、ソウルにある韓国プレスセンターで記者会見をした。

 吉田氏を取材したのは、彼が、朝鮮半島で慰安婦狩りをしたと書いた、『私の戦争体験 朝鮮人強制連行』(三一書房)を出版する1983年より前で、私は10余年ぶりの彼を見た。

 ひょろひょろとしていて、幾分か痩せたような気がしたが、ぬるっとした感じは変わらなかった。

 私は、「このうそつき」と言う目で見ていたが、記者会見では、他社の特派員も、済州島での慰安婦狩りについて、執拗に聞き続けるので、彼はちょっとしどろもどろになった挙げ句、会見の席上で怒り始めたように記憶している。

 韓国社会を熟知している各社の特派員は、吉田氏の証言を端から疑っていたのだ。朝日新聞だけでなく、ほかの新聞社も、従軍慰安婦問題の記事は、ソウル特派員ではなく、それぞれ本社の社会部などの記者が活躍していた気がする。

 結局、吉田氏は1996年には慰安婦狩りは「創作」だったと認めた。証言は、ドラマのような話だったのである。横浜のアパートで、慰安婦狩りを語らなかったのは、まだ、シナリオが十分に練られていなかったからだったか。

 ソウルの記者会見で話す吉田氏を写した写真を後から見ると、私の座っている方に顔を向けている写真は一枚もないのに気が付いた。
それにしてもなぜ、慰安婦狩りと言う「物語」が、かくも事実として広まったのか。しかも、いまも、「吉田氏は、実際にはしなかったかもしれないが、本当に済州島で慰安婦狩りをした部下の話を聞いて、しゃべったのだ。だから、証言は本当だ」と主張する人たちがいるのも事実だ。

 私は、済州島を自転車で走ったことがある。急げば一周に2日もかからない、小さな島だ。女狩りのようなことが起きれば、あっという間に、島中に知れ渡り、今でも語り継ぐ古老がたくさんいるに違いないのだが。

 韓国の繁華街で白昼、普通の娘がいきなりさらわれ、売春街に売り飛ばされることが、頻発し、大社会問題になったことがある。この人さらいのやり方は、乱暴きわまる。街で「獲物」を見つけるや、いきなり殴りかかり、「お前なんで、家を出たんだ」などと叫ぶや、ワゴン車などに押し込んで、連れて行ってしまうのだ。

 韓国には昔から、「処女が子を産んでも言うべき言葉がある」という諺がある。まあ、女性の一種の気の強さを言っているわけだが、夫婦喧嘩でも派手に夫に逆らう姿に慣れているから、街中で必死に女性が抵抗し騒ごうが、周りは夫婦喧嘩か、と思い込んでまるで気にしないという、ウソのような、韓国社会ならではの手口だ。

 李朝時代には、未亡人を再婚させるときには、相手に「拉致」させた。貞操を守ろうとしたが、無理やりにという形にして、体裁を繕うためだ。

 儒教道徳の強い韓国では、「慰安婦にされた娘がいても、口にしたりしない」という人もいるが、他家の噂話にはあけすけなのも韓国だ。おばあさんたちの証言をはっきり裏付ける話が、知る限りでないのが気になるのは私一人だろうか

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吉田証言」重用でウソ拡散、いつの間にか内容を否定していた朝日

朝日社説の論調変遷

朝日社説の論調変遷

 「そもそも朝日新聞の誤報と、吉田清治という詐欺師のような男がつくった本(『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』)が、まるで事実のように日本中に伝わっていったことで、この問題がどんどん大きくなった」

 第2次安倍政権発足の約1カ月前にあたる平成24年11月30日。日本記者クラブ主催の党首討論会で、自民党総裁の安倍晋三は慰安婦問題について問われてこう指摘した。

 首相就任前から慰安婦問題に熱心に取り組んできた安倍が朝日と吉田を名指ししたのには理由がある。吉田のデタラメな「韓国での奴隷狩り」証言を裏付けも取らないまま熱心に繰り返し取り上げたのも、事実と異なる慰安婦報道で問題を複雑化させたのも朝日だからだ。吉田証言は共産党の機関紙、赤旗なども報じているが、朝日は突出している。

 アヘン密輸にからみ入獄したこともある吉田を「職業的詐話師」と呼ぶ現代史家の秦郁彦が吉田と朝日の関係を調べたところ、朝日は慰安婦問題が注目されるようになった3年半ばからの1年間に、吉田を4回も紙面に登場させている。もちろん、それ以前にも何度か取り上げた上での話だ。

 例えば3年10月10日付の記事(大阪版)では、吉田が「慰安婦には人妻が多く、しがみつく子供を引きはがして連行」などと語るインタビュー記事を載せている。だが、貧しく慰安婦のなり手に事欠かなかった時代に、わざわざ子持ちの人妻を連行する必要性があったというのか。

 朝日は4年1月23日付夕刊の1面コラム「窓 論説委員室から」では吉田の言葉を引用してこう書いた。

 「(朝鮮)総督府の五十人、あるいは百人の警官といっしょになって村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振るって女性を殴り、けり、トラックに詰め込む」「吉田さんらが連行した女性は、少なくみても九百五十人はいた」

 このコラムは吉田のことを「腹がすわっている」と持ち上げすらしているが、当時、朝鮮半島の地方では巡査はほぼ100%朝鮮人だった。

 吉田は『私の戦争犯罪』を出す6年前の昭和52年に出版した『朝鮮人慰安婦と日本人』では、奴隷狩りで女性を集めたとは書いてはおらず、朝鮮人地区の女ボスの手配としている。

 ただ、朝日も徐々に吉田の話を疑問に思い始めたようで、強制連行や吉田証言に対する論調を変えていく。平成9年3月31日付朝刊の慰安婦問題特集記事では、吉田についてこう書くに至った。

 「朝日新聞などいくつかのメディアに登場したが、間もなく、この証言を疑問視する声が上がった。(吉田が奴隷狩りを行ったと証言した韓国の)済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。吉田氏は『自分の体験をそのまま書いた』と話すが、『反論するつもりはない』として、関係者の氏名などのデータの提供を拒んでいる」

 結局、吉田証言を何度も紹介したことの非は認めず、「真偽は確認できない」とするにとどまり、訂正はしていない。

『慰安婦狩り』を行ったという元軍人の話を信じ、確認のとれぬまま記事に…

朝日の前主筆、若宮啓文は昨年9月に出版した著書『新聞記者 現代史を記録する』の中で次のように振り返っている。

 「朝日新聞もこれ(慰安婦問題)を熱心に報じた時期があった。中には力ずくの『慰安婦狩り』を実際に行ったという日本の元軍人の話を信じて、確認のとれぬまま記事にするような勇み足もあった」

 今回、産経新聞が若宮に取材を申し込んだところ、多忙などを理由に「お受けできかねる」と拒まれた。

 朝日新聞広報部に「一連の吉田氏を取り上げた記事について訂正する考えはあるか」と問い合わせると、書面で回答があり、前述の9年3月31日付の慰安婦問題の特集を挙げたうえで、こう続けた。

 「吉田清治氏の証言について、弊社は特集ページで、証言の真偽が確認できないことを詳細に報じ、証言内容を否定する報道を行っています。歴史に関する証言報道は、その検証などによって新しい事実が判明した場合、その事実を伝えることが重要だと考え、そう努めています」

 朝日の指摘する記事が、果たして「証言内容を否定する報道」といえるだろうか。それまでに繰り返し無批判に吉田を取り上げ、国内外に間違った慰安婦像を広めてきた経緯と比較考量して、これで十分とはいえない。(敬称略)




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Асахи симбун, Yoshida показаний и считается false, отмена статей

Некоторые размышления о Yoshida показаний в Асахи симбун, комфорта женщины выпуск и считается ложным, отмена статей

「慰安婦問題どう伝えたか 読者の疑問に答えます」と題した8月5日付け朝日新聞紙面 
«Женщин для утех вопрос ответы на вопросы читателей и сказал ему, как ' и 8/5 с газетой Asahi под названием
Утренняя газета Asahi Shimbun от 5, 1 сторону и перекрещенные женщин вопрос комфорта лучшее в 16-17. Первой странице статьи, «продолжал писать статьи, основанные на показаниях бывшего комфорта женщин и один из немногих материалов, которые мы. Потом выяснилось, что часть этой статьи, факты были неправильные отношения. Отражение точка является произошла ошибка на сцене не знаю проблема всего изображения, но освещение недостаточно "и писать, признал некоторые дезинформации в комфорте женщин сообщили пока.

 О принуждения принимая комфорта, что показания собственн-professed Asahi 16 раз покрыты, от труда Yamaguchi Префектура патриотической ассоциации Симоносеки отделение мобилизации директор Сэйдзи Yoshida была отмена статей и затем считается ложным.
Также для публикации статей и женские группы добровольцев были мобилизованы для первоначально несвязанных комфорт с фабрики, в том числе неоднократно путать злоупотребление сделал результат из статьи не была перспективных исследований по проблеме женщин комфорт, обращаясь к журналистам, в том числе, женщин и добровольцев корпуса, который были признаны ошибки.

 Не такие факты намеренно искажено защищал для написания с другой стороны, бывший южнокорейский комфорта женщины, деньги, заказать показаний г-н статьи, Ким, такие, как имя девушка добровольно корпуса вышли на поле боя и фактического опыта и различным содержанием, подожгли женщин вопрос комфорта Уемура т. репортер ( слева компании в марте этого года )


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Asahi Shimbun "encuentra la comodidad mujeres emiten información falsa

El diario matutino de Asahi Shimbun fechado 5, 1 lado y cruzó el tema de las mujeres de confort ofrecido en 16-17. Artículo de portada, "continuó escribiendo artículos basados en testimonios de ex esclavas y uno de los pocos materiales que somos. Entonces descubrió que parte del artículo, hechos eran relación incorrecta. El punto reflejado es que ha producido un error en el escenario no conoce el problema de toda la imagen, pero la cobertura era insuficiente "y escribiendo, reconoció alguna información errónea en la comodidad de mujeres reportadas hasta ahora.
「慰安婦問題どう伝えたか 読者の疑問に答えます」と題した8月5日付け朝日新聞紙面 
"Las mujeres de solaz emitir respuestas preguntas de lectores y le contó cómo ' y 8/5 con el periódico Asahi titulado

Sobre la compulsión tomando confort que testimonio de autotitulados Asahi 16 veces cubierto, del trabajo de la Prefectura de Yamaguchi movilización patriótica Asociación Shimonoseki rama Director, Seiji Yoshida fue cancelar los artículos y entonces se considera para ser falsa.
 También para la publicación de artículos y cuerpo de voluntarios de las mujeres se movilizaron para la comodidad originalmente sin relación con la fábrica, incluyendo abuso repetidamente confundida resultado de un artículo de no era investigación avanzada sobre la cuestión de las mujeres de confort, refiriéndose a los periodistas, entre ellos, las mujeres de solaz y el cuerpo de voluntario que se reconocieron errores.

 Tales hechos no distorsionados intencionalmente defendió por escrito por otro lado, esclavas ex Corea del sur, dinero, orden artículo Sr. testimonio, Kim, como en el nombre de la chica voluntariado cuerpo marcharon al campo de batalla y la experiencia real y diverso contenido, prendieron fuego a la cuestión de las mujeres de confort Uemura reportero t. ( izquierda la empresa en marzo de este año )

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Asahi Shimbun comfort vrouwen desinformatie aanvaard artikel verwijderen

Enkele beschouwingen over Yoshida getuigenis in de Asahi Shimbun, het comfort vrouwen uitgeven en valse, geacht annuleren artikelen

「慰安婦問題どう伝えたか 読者の疑問に答えます」と題した8月5日付け朝日新聞紙面 
"De troostvrouwen geven antwoorden lezers vragen en vertelde hem hoe ' en 8/5 met Asahi krant recht

De krant Asahi Shimbun gedateerd 5, 1 kant en gekruiste de comfort vrouwen deel van 16-17 bevatte. Voorpagina artikel, "bleef het schrijven van artikelen op basis van het getuigenis van voormalig troostvrouwen en één van de weinig materialen die we zijn. Vervolgens kwam te weten dat deel van het artikel, feiten waren onjuist relatie. Het teruggekaatste punt is dat er is een fout opgetreden op het podium weet niet het hele beeld probleem, maar dekking onvoldoende was "en sommige desinformatie in de comfort vrouwen rapporteerden tot nu toe schrijven, erkend.

 Over de dwang nemen comfort die getuigenis van zelf beleden Asahi 16 keer vallen, van de prefectuur Yamaguchi arbeid Patriottische Vereniging Shimonoseki Branch mobilisatie directeur, Seiji Yoshida was annuleren de artikelen en vervolgens die valse worden geacht.

Ook voor het publiceren van artikelen en vrouwen vrijwilligers korps werden gemobiliseerd voor de oorspronkelijk ongerelateerde comfort met fabriek, met inbegrip van herhaaldelijk verward misbruik deed was resultaat uit het artikel niet gevorderd onderzoek comfort vrouwen betreft, verwijzen naar de verslaggevers, met inbegrip van, troostvrouwen en het vrijwilligerswerk Corps die fouten werden erkend.

 Voor het schrijven aan de andere kant, voormalige Zuid-Koreaanse troostvrouwen, geld, volgorde als Mr. getuigenis artikel, Kim, zoals in de naam van het meisje uit vrijwilligerswerk Corps marcheerden naar het slagveld en de werkelijke ervaring en verschillende inhoud, die brand aan het comfort geven vrouwen Uemura t. verslaggever ( links het bedrijf in maart dit jaar ) verdedigd niet met inbegrip van feiten opzettelijk vervormd.


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