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日本を取り巻くアジア情勢の変化 世界の情報を辛口で伝える情報部ログ 世の中はめまぐるしくかわっていきます その中で取り残されない為の情報をお伝えします Changing Asian situation surrounding Japan Tell the world information by information Department log The world is rapidly mood In order not to lag behind in its informed the <a href="https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3BDZ68+72TSYA+4IRQ+5YJRM" rel="nofollow">なんでもまとめてお売りください!宅配買取「いーあきんど」</a> <img border="0" width="1" height="1" src="https://www19.a8.net/0.gif?a8mat=3BDZ68+72TSYA+4IRQ+5YJRM" alt="">
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といっても、チカンアカンのあのチカンではない。
「韓国人による恥韓論」
最近出たこの新書が売れている。
評判をとった「悪韓論」「呆韓論」などの先行書にあやかった書名といえなくもないが、「恥韓論」は著者が韓国人なのがミソ。「シンシアリー」を名乗っている。
著者紹介欄などによると1970年代韓国生まれ、女性ではなく男性。韓国で歯科医院をしているとのこと。韓国の特異性をつづったブログが日本で好評ともいう。
この略歴を信頼して稿を進めるが、本名を出せないとしても無理はあるまい。たとえば10年ほどまえ「親日派のための弁明」を書き、日本の朝鮮統治を肯定的に評価した作家の金完燮(キム・ワンソプ)氏はなんと逮捕され、著書は韓国で青少年有害図書に指定されるなど、弾圧といっていい扱いを受けた。
日本で活動し、韓国に都合の悪いこともはっきりと論じる評論家で拓殖大学教授の呉善花(オ・ソンファ)氏が昨夏、韓国への入国を拒否されたのも記憶に新しい。その後、呉氏と話をする機会があった。「言論活動に命をささげている」と毅然(きぜん)としつつ、どこか寂しく不安そうでもあった。母国に帰れないという事態になったのだから、胸中は察して余りある。
さてこの「恥韓論」、韓国では反日はもはや宗教なのだという。自らを善とするため日本を絶対悪とする、「気持ち悪い宗教まがいの黒魔術」が反日なのだと。反日で声をそろえない者は韓国では売国奴、異教徒となる。的を射た見方だろう。
こちらこそ「一生、相手にしたくない」…ちかん、アカン、頓珍漢な国々
そんな韓国は著者いわく「できることなら、一生、相手にしたくない」。日本人の気持ちを代弁するような書きぶりだが、著者の姿勢は日本びいきというのではなく、まともな感覚を持った国際人のものだといってよい。ここ何年かの韓国の反日には、もはやつけるクスリがないと筆者は思っている。けれども自国の状態を内省し自ら恥じる意見が、少数とはいえ当の国民から出てくるのは、まだしもの救いといえる。
そもそも、寝ても覚めても隣国の悪口を垂れ流している国など尋常ではない。世界史的にもまれな国として記憶されるだろう。著者にはぜひ、このまれな国民性をこれからも記録していただきたい。世界史的に珍しい韓国のとんちんかんぶりを、「とん珍韓論」として報告していただきたいところである。
それから、この国が一生懸命つるもうとしている中国。今度は南京事件や慰安婦の資料をユネスコの記憶遺産に登録申請した。資料がどんなしろものか知れたものではないし、日本に圧力をかけようとする政治的思惑が見え見えである。
この国の政府にもつけるクスリはないが、国民の良心にまでは絶望しないでおく。「恥漢論」ないし、とんちんかんを文字通り漢字で書いて「頓珍漢論」が、中国人の手によって現れることを期待する
■「犠牲者らに恨みがあったわけではない」
初公判で、イ被告の弁護人は、「犠牲者らに恨みがあったわけではない」とした上で、「乗客が死んでもいいと考えて救護措置を取らず、自分だけ助かろうとして脱出したとの検察の主張は理解し難い」と主張。さらに、イ被告が操舵(そうだ)室から最後に救助されたなどとして、「(殺人の)未必の故意があったとは容易に納得できない」と訴えた。
裁判に対する社会的関心も極めて高く、傍聴スペースを確保することなどから法廷を改造し、「事実上、セウォル号事件専門裁判所を新設」(聯合ニュース)した形での裁判は、何もかも異例ずくめだった。
ただ、事故後は“韓国らしい一面”が随所にみられている。自分さえよければいいという論理だ。
中央日報(電子版)によると、日本の国会議員146人が靖国神社を参拝した4月22日、韓国政府と与野党議員が抗議の意を表明した。
「隣国に対する礼儀が少しも見られない没歴史的行動の極致」「過去に日本が犯した侵略戦争を正当化しようとする動き」
いずれも、相変わらずの表現だが、その中で、与野党議員による「正しい歴史教育のための議員会」はこんな声明を出している。
「セウォル号沈没事故の時期に靖国神社を集団参拝し、供物を奉納した日本指導層の後進性をひとつひとつ世界に知らせる」
もちろん、沈没事故と、靖国参拝とはまったく関係がない。
■「無能な政府OUT」…事故を悪用する輩
事故を政治利用しようとする動きもあった。
中央日報(電子版)によると、教職員の労働組合は、追悼動画を作成したが、その中では「この組はもう国家ではない。朴槿恵政権の無能さによる他殺だ」と攻撃。とても追悼動画とは思えない内容だったという。このほか、インターネットでつくられた団体は、焼香所で「無能な政府OUT」などのプラカードを持ちデモを行った。これも犠牲者を追悼する姿勢はない。
こうした動きは事故直後からあった。事故を政治利用し、自らの勢力を伸ばそうと考えた不届きな人たちだ。
例えば、セウォル号の臨時保護者対策委員会代表として活動していた男性は「家族の代表」としてふるまっていたが、保護者ではなく、実は6月4日投開票の統一地方選で野党側から出馬予定の候補者だった。
与野党の指導部や地方選挙の出馬予定者ら政治家たちが大挙して事故現場を慰問。海洋警察警備艦艇に乗って海域を見回った。いずれも、自らの顔を売るための政治利用だろう。
犯罪まがいの行為をした人もいた。大統領府への抗議活動をしようと扇動した不明者の家族以外の人がいたり、「1億ウォン(約1千万円)を出せば、子供を助けてあげる」と不明者に家族に近づくブローカーもいたとされる。
■悪用は続ける…でも、責任は取らない。
「必ずや、法の裁きを受けさせる」
朴大統領は、杜撰な運航管理が沈没の原因になったとみて、運航会社「清海鎮運輸」の事実上のオーナーで、背任容疑などで指名手配されている兪炳彦容疑者(73)に対し、こう明言したが、一方で、政治利用も扇動も収まる気配はない。そのうえ、乗客の犠牲を回避できたかもしれない乗組員たちは自らの「責任」を取ろうともしない。
中央日報は、今回の事故の政治利用や扇動などを厳しく批判した上で、「今回もまともに収拾できなければ、韓国社会の病気はより一層深くなる」などと指摘した。
例えば、セウォル号の臨時保護者対策委員会代表として活動していた男性は「家族の代表」としてふるまっていたが、保護者ではなく、実は6月4日投開票の統一地方選で野党側から出馬予定の候補者だった。
与野党の指導部や地方選挙の出馬予定者ら政治家たちが大挙して事故現場を慰問。海洋警察警備艦艇に乗って海域を見回った。いずれも、自らの顔を売るための政治利用だろう。
犯罪まがいの行為をした人もいた。大統領府への抗議活動をしようと扇動した不明者の家族以外の人がいたり、「1億ウォン(約1千万円)を出せば、子供を助けてあげる」と不明者に家族に近づくブローカーもいたとされる。
■悪用は続ける…でも、責任は取らない。
「必ずや、法の裁きを受けさせる」
朴大統領は、杜撰な運航管理が沈没の原因になったとみて、運航会社「清海鎮運輸」の事実上のオーナーで、背任容疑などで指名手配されている兪炳彦容疑者(73)に対し、こう明言したが、一方で、政治利用も扇動も収まる気配はない。そのうえ、乗客の犠牲を回避できたかもしれない乗組員たちは自らの「責任」を取ろうともしない。
中央日報は、今回の事故の政治利用や扇動などを厳しく批判した上で、「今回もまともに収拾できなければ、韓国社会の病気はより一層深くなる」などと指摘した。
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問題とされている発言の一部は、すでに韓国KBSテレビのニュースなどで放映されている。このうち「日本」と「民族」という言葉が出てきた複数の場所での、主な発言を列挙する。
文氏は2011年、自身が「長老」を務めるソウル市内の教会で説教し「(韓国が)日本に侵略され植民地になったのは、神の意向があったからだ。『おまえらは(李氏)朝鮮王朝500年を無為に送った民族で、試練が必要』という神のおぼしめしだ」と語った。
また、朝鮮王朝末期に言及し「朝鮮民族の象徴は怠けること。怠惰で自立心に欠け、他人の世話になること。それが民族のDNA(遺伝子)として残っていた」と述べた。
このほか、「(慰安婦問題は)深く考えなくとも、われわれはよい暮らしができる。(日本から)謝罪を受けなくていい。」「日本からの技術導入で韓国は経済発展した。日本は韓国より(最近は)衰退している。神が暗かった地政学を祝福の地政学へと変えてくれた」などとも発言している。
文氏については、これまで中央日報の論説やコラムを通して、“大記者”として当然、知っていた。ただ、敬虔(けいけん)なキリスト教徒で、しかも信者を前に説教をする姿には新鮮さを感じるとともに、意外な印象を受けた。
「神様」の表現を除くと…
文氏の発言は本人も言っているように、宗教の場で口にしたもので、「逆境や試練は神様の意向」という“宗教上の戒め”のようだ。事実、そのように語られている。しかし、韓国ではメディアを中心に“総スカン”を食らっている。
実際に神様の意向であったのかどうかは分からないが、ここで思いついたことがある。文氏の発言から「神の…」「神が…」の表現を除いて書き直して、あらためて読んでみれば、どうなるかだ。実にダイレクト(直接的)で分かりやすい。「神うんぬん」はともかく、これが“反民族・親日的”と問題視されているわけだ。
韓国メディアは「わが民族をおとしめている」と文氏の発言を総攻撃しているのだが、これほど直接的ではなくとも、韓国では過去に、日本の支配を許した「民族」への反省を促した言葉も事実、ある。1981年8月15日の光復節(日本の朝鮮半島統治からの解放記念日)に、当時の全斗煥大統領は次のように演説している。
「われわれの国恥について日本帝国主義だけのせいにするのではなく、当時の国際情勢に疎かったわれわれ、国内的団結を期することができなかったわれわれ、それから国力が弱かったわれわれ一人ひとりのせいであることを厳格に自責する姿勢を持たねばなりません」
自虐性に乏しい韓国でかつては、大統領が自ら民族を戒めた時代もあった。その後、特に1990年代の文民政権の登場(金泳三政権)以降は、日本にからんで韓国の民族を卑下するような言動はタブー視された。そうした発言をしたり論文や書物で発表したりする人物は、例外なく全員がメディアから総攻撃を受け、その主張は封殺され、社会から干されている。
事実はどうだったのか
韓国のメディアや世論から見れば、文氏の発言は「民族をおとしめた」ものであるのだろう。ただし、全く的を外したものとは言えない。日本と韓国以外の第三者から見たかつての朝鮮半島が、日本の統治を許さないほどの状況にあったかは、100年以上も前に欧米の人物によって記録されている
たとえば、フランス人宣教師のシャルル・ダレや、英国の女性紀行作家イザベラ・バード(ビショップ)、米国人宣教師のホーマー・ハルバート、その他複数のジャーナリストらによって、李氏朝鮮王朝末期の朝鮮半島がどうだったが、書物として鮮明に残されている。ここでの詳細は割愛するが、当時の朝鮮半島では、官僚(両班)の腐敗が横行し、内紛は続き、為政者らは朝鮮半島を取り巻く国際情勢の把握に疎く、庶民は極度の貧困に苦しんでいた-ことなどが先人の客観的な目で詳細に観察されている。
これらの記録を再度読み返して、あえて言わせてもらえば、当時の朝鮮半島は「どうしようもない状態」だったのだ。全元大統領の戒め通りであり、問題とされている文氏の発言も、表現はともかく、決して外れているとは思えない。
しかし、“民族”の卑下、とりわけ過去の日本統治がからんだ民族おとしめはデリケートで微妙な問題で、現在の韓国社会では許してもらえない。社会の雰囲気として“あってはならない”ものなのだ。
土壇場に置かれて
韓国では“触れてはいけないもの”に文氏はあえて触れ、何年か前の発言をほじくり返されてしまった。
発言についての謝罪の意思を問う韓国メディアからの質問に、文氏は当初「何か謝罪すべきことがあるのか」と答えた。その後、問題となっているのが「記者時代の記事やコラム、宗教家として教会での発言だ」と断った上で、「一般の国民感情とやや離れたところもあり、誤解される可能性があるのは遺憾」とした。文氏は「(首相にふさわしいかどうかを見極める)国会の人事聴聞会で全てを話す」と述べている。
「元記者とか特定宗教の信徒とかの立場ではなく、首相候補としての資質が問われているために、問題が起こっているという事実を文氏は忘れてはならない」(朝鮮日報)と、韓国メディアの比較的冷静な論調は、文氏の首相としての資質、首相にふさわしいかどうかに疑問を投げかけている。
言論人として毅然(きぜん)とした態度で、自ら公の場で考えを述べるという文氏ではあるが、本人を取り巻く状況は極めて厳しい。ことさら“日本”がからんでいるためだけに、置かれた立場は相当にきつく、大変だろう。。
メディアはもちろん、慰安婦問題で対日非難を続ける挺身隊問題対策協議会などの市民団体、野党勢力に加え、与党の一部からさえも文氏に対して「首相候補指名を辞退すべきだ」と非難する声が続出している。
“民族”についての論議は
文氏が首相指名を辞退するのかどうか、首相にふさわしいのかどうか、韓国の次期首相に誰がなるのかは、筆者のような一日本人の物書きがあれこれ言うことではない。韓国国民が決めることだ
ただ、筆者が注視しているのは、文氏が聴聞会でどのように持論を明らかにするかについてである。これまで“民族”に関わる問題で俎上に挙げられバッシングを受けた韓国人は、自分の主張を取り下げるか、批判に屈し迎合して終わった例が多い。文氏も前例に倣うのかどうかだ。
また、懸念されるのは、首相になろうがなるまいが、文氏がこれまで長年、残してきた文筆家(記者)としての業績がすべて葬り去られはしないかだ。韓国人がよく口にする“民族の自尊心”がいくら大切であっても、気に入らなくとも、“民族”が言論の自由を圧迫し、抹殺するようなことがあっていいものだろうか。
文氏をめぐる問題に加え、もう一つ関心を持っていることがある。今回の「文昌克発言」を機に、韓国で自らの民族性についての掘り下げた議論が起こるのかどうか。興味深いテーマだと考えているのだが、現時点で“文氏バッシング一色”の韓国社会には、その兆候さえ見られない。