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時代を見通す日本の基礎情報

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「竹島は日本領」江戸時代に定着 複数の学者、地図に記載 「日本海」表記も

 江戸時代後期に作製された複数の地理学者らによる地図5点に、いずれも竹島が日本領として記載されていることが21日、島根県の竹島問題研究会の調査で分かった。政府は、竹島が記された初期の日本地図「改正日本輿地路程(よちろてい)全図」(1779年初版、長久保赤水作製)などをもとに「遅くとも17世紀半ばには竹島の領有権を確立した」と主張しているが、長久保以外の学者も竹島を日本領としていたことが裏付けられ、当時から認識が広まっていたといえそうだ。

 研究会が、全国の図書館や博物館で確認したのは、寛政2(1790)年作製の「蝦夷風俗人情之沙汰付図(えぞふうぞくにんじょうのさたふず)全図」と「蝦夷草紙(えぞそうし)全図」(2点の内容は同じ)、寛政8(1796)年の「寛政亜細亜(かんせいあじあ)地図」と「日本並北方図(にほんならびほっぽうず)」(同)、文化3(1806)年の「華夷一覧図(かいいちらんず)」の5点。

「華夷一覧図」の日本部分。隠岐諸島の上方に「松シマ」「竹シマ」と記された竹島と鬱陵島が日本領として赤く塗られている(島根県提供)

「華夷一覧図」の日本部分。隠岐諸島の上方に「松シマ」「竹シマ」と記された竹島と鬱陵島が日本領として赤く塗られている(島根県提供)

研究会によると、「蝦夷」2点は幕府の蝦夷地調査隊に参加した探検家、最上徳内(もがみとくない)(1754~1836年)が作製し、現在の竹島と鬱陵島を日本領として茶色に彩色。「沙汰付図」には紀州徳川家の文庫「南葵(なんき)文庫」の蔵書印があり、地図を入手したことが分かるという。

 「寛政」と「日本並」は地理学者、本多利明(としあきら)(1744~1821年)によるサハリンや朝鮮半島などの東アジア地図で、竹島を「松島」、鬱陵島を「竹島」と記し日本領としている。

 地理学者の山村才助(1770~1807年)の「華夷」はアジアや欧州が描かれ、竹島を「松シマ」、鬱陵島を「竹シマ」と示し日本領として赤く彩色。同時代の地図には珍しい「日本海」の表記も。

 研究会は「当時の著名な地理学者らの地図で共通して竹島を日本領としており、幕府や主要な藩、知識人に認識が広まっていたことが分かる」としている。

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