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お説もっとも 歴史を正しく学ぼう
年初にも書きましたが、昨年末の安倍晋三首相の靖国神社参拝をみて、中国・韓国が案の定、過敏に反応し、その後も「正しい歴史認識を」の決まり文句を唱え続け、日本の多くのマスコミも中韓の顔色をうかがうかのような腰の引けた報道を繰り返しています。
中韓はともかく、同胞の「歴史認識不足」はため息が出るばかりですが、この際、中韓が要求するよう、全日本人が「正しい歴史」を学び直すべきでしょう。そうすれば、中韓は逆に困ったことになること必至だとここで断言しておきます。
紫式部「源氏物語」に遡る“大和魂”
「日本国民の自尊自重の精神は敗戦によって崩れ退廃に陥りました。多少知識があって、占領下の時勢に鋭敏な一派が、何者かに媚びる気持ちから書いた歴史などを見ると、日本および日本人を侮り嘲る風潮を煽るかに見えます」
これは、今上天皇の皇太子時代の教育に当たられた小泉信三が残した言葉です。そもそも一国民が、正しい自尊自重の心を堅持することは、自国のために他国の侮りを防ぐのみならず、世界の国民と国民、国家と国家の関係を正常で健全なものにする上で、欠くべからざる要件であると思われます。
日本人のルーツは“かん(神)ながらの国”といわれるように、その思想文化の基軸は“清明心・至誠・ふるさと・祖先安寧・国柄”にあり、受容同化力・自然万物との一体化・みそぎ(浄化/転化)・言霊の幸わう国・産霊(むすび)・和魂にあるとされてきました。
ちなみに「大和魂」という言葉の初出は、紫式部の源氏物語、夕霧元服のシーンでの光源氏の言葉です。当時の官吏養成所における和学と漢学の対比融合こそ、日本人本来の智恵や分別・感性を身につけるために深く学問する風習が庶民レベルまで広がっており、世界的にも最古とされる国民教育の原点ともいわれています。
それは、自然崇拝に根ざす表現の大和言葉を多く残したとされる縄文人にいきつく、曖昧で繊細な表現力や石器・土器に残る芸術性・現実の中に情緒の崇高さを意味づけるといった通奏低音で、日本人の意識下に流れていたはずなのですが、戦後これを捨て去ったのです。
「同じて和せず」の屈辱に陥っている
多くの日本人は、アメリカ文化風俗にかぶれ、日本人固有のDNAを忘れておきながら、片方ではアメリカがわずか230年と歴史の浅い国といっては軽蔑するなど、支離滅裂さを振りまいております。戦後日教組の偏向教育による自虐精神に貶められ、ある意味で僅か60年と言う世界で最も歴史の浅い、それも軌道を損なった根無し草のような国民性を露呈してしまう羽目におちいってしまったようです。魂を失った民は、抜け殻に過ぎず、国を衰亡させる危険性が大なのです。
聖徳太子の「和を以って貴しと為す」ではありませんが、「和して同ぜず」とは正しい主張を交わし、協調することですが、現下の日本政府の外交や多くの日本人の社交は、やってはならない「同じて和せず」という、屈辱と妥協に陥っていると考えます。今こそ、縄文2万年、有史(国史)2千年という世界最古の国柄と世界に誇りうる独自の歴史・文化を、我らが底力とし、「和の民」としての「大和魂」を取り戻すべきではないでしょうか。歴史は、一国一国民の魂であり、人も国も、自尊自重の精神を失っては、グローバル世界を生き延びられないと自覚すべきなのです。
“独立記念日”の情けない誤解
誤った戦後史は、一部の書籍・雑誌の指摘に応えて歴史を正すこともなく、NHKも大半の大手マスコミも、おおよそ“相手あっての終戦”とは関係もない8月15日を終戦記念日としています。ひどいケースでは、占領軍の去った日=本来は主権回復を記念すべき日を“独立記念日”と呼んでみたりする歴史の歪曲が垂れ流されています。以下に史実を挙げておきます。
昭和20年8月14日(ポツダム宣言受諾=終戦記念日)同8月16日=全軍に戦闘中止命令下る(=停戦記念日)同9月2日(降伏文書調印=敗戦記念日)、そして26年9月8日(サンフランシスコ講和条約調印=事実上の終戦記念日)、27年4月28日(講和条約の発効=20年8月28日に始まったGHQ占領が完了した日=主権回復記念日)-となります。
歴史上、日本国は建国以来、他国の植民地となったり、統廃合とか併合されたことはなく、上記7年間の占領下、主権を失っていただけですから、この日を“独立記念日”などと呼称するのは誤りで、やはり主権回復が妥当な用語ではないかと考えます。
ちなみに、建国記念日の2月11日も昔は紀元節と呼び、初代天皇の即位を祝う日だったのですが、正しい歴史教育を受けなかった若者などが、この日を独立記念日などと口にするのを耳にすると、大いなる誤解を説くまでもなく、情けなくなります。
北方領土、竹島、尖閣諸島…とんでもない言いがかり
こうした史実に鑑みても、日ソ中立条約を破棄した上、昭和20年(1945年)9月2日(日本が降伏した日)を過ぎてからのロシア(当時のソ連)による北方領土不法占拠は、明らかな国際法違反行為であると言わねばなりません。戦後占領下にあったわが国のドサクサに紛れて、李承晩・韓国大統領が勝手に線引きして自領内へ取り込んだ竹島(昔、後鳥羽天皇が流された隠岐諸島の一つで、歴史上・国際法上も明治期に島根県領土とされた)もしかり。
そして、元は薩摩藩に属し、維新後、沖縄県石垣市所属の尖閣諸島。ここには、わが国の漁民が生活した痕跡まであるのに、1970年代初め、大陸棚に油田の存在が発見されてから急に中国が領有権の主張と不法上陸を始めたのでした。これらの事例は、とんでもない言いがかりや無法行為で、史実を内外に訴え、強気折衝を欠く政治行政やマスコミの勉強不足を疑わざるを得ません。
高杉晋作の胆力
幕末の志士には、日本の危機を救う歴史観と気概がありました。長州が英米仏蘭との下関戦争に敗れたとき、講和条件で彦島の租借を要求されたのに対し、高杉晋作は「日本国土は神から授かったもので明け渡しは断じて不可なり」と日本書紀の建国神話まで持ち出して論陣を張り、租借を阻止した史実もあります。外交折衝で強気を通すには、歴史を語れる教養力と胆力が欠かせないといえそうです。
この際求められるのは、より厳密な戦略的外交を展開するため、国内法と国際諸法規(領土・領海法、排他的経済水域、海洋法、国連諸条例、国際司法裁判条例など)をつぶさに照合し、必要な国内法を早急に改正・強化することです。併せて、大半の歴史教科書と日教組教育の瑕疵を徹底的に排除することも急務です。
万死に値する政治家たち
歴史認識で極めて根源的かつ重要なポイントを一点述べておきます。先に記したサンフランシスコ講和条約の締結(と発効)11条に「東京裁判の諸判決は受諾し執行するが、連合国側諸国とその後交渉し、この諸判決を変えても良い」と明記されていたことを十全に理解した政管界人が少なかったという戦後日本の不幸です。
現実的には、日韓、日中、日ソ間の国交回復諸条約を通じて、賠償金を含むすべての請求権の相互廃棄を決め、すでに解決済みの状態になっていました。にもかかわらず、今も蒸し返させられることになったのは、自民党末期政権と一部官僚、民主党政府が不用意な発言・談話・無用な謝罪などを繰り返したからなのです。
鈴木善幸首相時代の宮沢喜一官房長官、外務省の小和田条約局長、日本新党細川護煕首相、社会党の村山富市首相、菅直人・鳩山由紀夫の民主党両首相などの致命的な外交発言は国益を損ねた大失策であり、万死に値するというほかありません。その他、宮沢内閣の河野洋平官房長官による慰安婦関連談話でも重大な歴史認識ミスを惹起したことが、今にも続く不毛な議論の火種となりました。
今こそ憲法改正の時期
こうした戦後日本の諸悪の根源を問うならば、どうしても避けて通れないのが憲法改正です。敗戦後、占領支配された中で一方的に押し付けられた憲法に、果たしてどれだけの正当性があるのか。すでに多くの心ある有識者はもちろんのこと、当の米国でさえも、多くの外交官や有力政治家が改正を勧告しているのが現実なのです。
前文や9条を始め、浮薄な平和信仰のセンチメントを廃棄し、手かせ足かせを外して、現代人間社会の公理を体現し、日本人と日本国家の自尊自重を織り込んだ真の自主憲法を創作すべきときがきたと信じます。安倍政権がそれをやり遂げてくれるであろうことを期待しつつ、この稿を終えます。