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時代を見通す日本の基礎情報

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その2)新たな権力闘争習近平の力量不足がもたらす

ところで、習氏は、李克強氏ら党内のライバルと比べて、いくつかの大きなコンプレックスがあるといわれている。まずは十五歳から二十二歳まで農村部に下放され、その間、ほとんど勉強できなかった点。二十二歳のときに特別推薦で名門、清華大学に入学したが、失脚した父親に同情する党幹部の配慮によるものといわれた。文化大革命中に入学した大学生には学力がない」というのが現在の中国で常識になっているため、同世代の政治家はほとんどその後、受験を経て大学に入り直しているが、習氏はそれをしていない。

 もう一つのコンプレックスは、二五年間も地方指導者を務めたが、これといった実績を上げられなかったことだ。省長などを務め一七年間を過ごした福建省は、同じ経済特区を持つ広東省に経済発展で大きく水をあけられた。しかし、習氏が福建省を離れると、同省の経済は飛躍的な成長を見せた。その後、赴任した浙江省と上海市でも業績と呼べるものは残していない。行く先々で、大きな汚職事件も発生している。習氏の上司を務めたことがある老幹部は「能力はあまり高くない」との評価を下している。

 また、習氏の知人によれば、習氏は若い頃から「習仲勲の息子」と紹介されることを最も嫌がっていた。父親が引退した一九九〇年代以降、地方指導者としてそれなりの地位を得たが、今度は国民的歌手と再婚したため、どこに行っても「彭麗媛の旦那」と呼ばれるようになった。習氏の知人の一人は「習氏は五十歳になるまで誰かの付属物として生きてきた。自分を取り戻したのは国家副主席になってからだ」と指摘する。しかし、習氏がポスト胡錦濤に選ばれたのは、江沢民元国家主席ら長老や各派閥にとって都合がよかっただけ。自分を取り戻したわけではない。

 習氏はいま、一九七〇年代半ばまで中国国内で絶対的なカリスマだった毛沢東を真似することで、自らの存在感を示そうとしている。同時に保守派と軍の支持を固める目的もある。また、妻の彭麗媛氏は軍所属の人気歌手にして現役少将であること、そして軍内に太子党仲間が大勢いることで、軍から見れば身内のような存在であることは、江、胡の両指導者やライバルらにない強みといえる。

 中国人民解放軍のなかで、革命を成功させた毛沢東は神様のような存在だ。若い頃に中央軍事委員会に三年ほど勤めた習氏はこれを熟知しており、いまは一所懸命努力して、少しでも自分を毛沢東に近づけようとしているようだ。

■■対日強硬は自信のなさの表れ
 尖閣諸島(沖縄県石垣市)をめぐり、最近、日本と中国が激しく対立している。双方とも相手に譲歩する気配を全く見せていないため、対峙は今後もしばらく続きそうだ。「日中関係が回復する時期」について、中国のある外務省高官は「安倍晋三首相の任期中はまず無理だろう。長ければ習近平主席の任期中も無理かもしれない」と話した。

 習近平氏の任期はあと約一〇年続くと予想される。この高官の言葉は、いまの日中対立を主導したのが習氏であることを示唆している。

 中国国内では、日中関係の悪化は二〇一二年九月、野田佳彦民主党政権が尖閣諸島の国有化を決めたことに端を発しているといわれている。しかし、複数の中国共産党筋は、本当の原因は中国側にあるという。二〇一二年八月に中国の対日政策の主導者が、穏健派の胡錦濤氏から強硬派の習近平氏に代わったことが原因だというのだ。

 習氏は、胡政権による対日協調路線が中国の国益を損なったとして、これを実質的に全面否定し日本との対決姿勢に転じたのである。党大会前の派閥間の主導権争いも背景にあると指摘されている。

 実は、胡政権は同年七月まで、日本との交渉のなかで、日本政府の尖閣国有化についても条件付きで容認する姿勢を示していた。このため、日本の外務省は「国有化しても日中関係に大きく影響しない」との感触を得て、国有化を推進した経緯があった。しかし、同年の八月十日に韓国の李明博大統領が竹島(島根県)に上陸し、韓国の主権を主張すると、中国国内の状況が一変した。「ロシアも韓国も領土問題で日本に対して強気なのに、なぜ、中国だけが弱腰なのか」「いままでの対日外交が失敗だった」との批判が党内から上がり、保守派らが主張する「国有化断固反対」の意見が大半を占めるようになったという。

 九月初めには、胡主席を支えてきた腹心の令計劃氏が、政権の大番頭役である党中央弁公庁主任のポストを外され、習派の栗戦書氏が就任した。政策の策定・調整の主導権が習氏グループ側に移ったのだ。そして、軍内保守派に支持基盤をもつ習氏は、日本の尖閣国有化に対し、強い対抗措置をとった。胡氏はこれまで日本製品の不買運動や大規模な反日デモの展開には否定的だったが、習氏はこれを容認し推奨した。

 また、国連に対し東シナ海の大陸棚延伸案を正式に提出することも決定。尖閣周辺海域を中国の排他的経済水域(EEZ)と正式宣言することに道を開き、日本と共同で資源開発する可能性を封印した。これは、二〇〇八年の胡氏と福田康夫首相(当時)の合意を実質的に否定する意味を持つ。このほか、中国メディアの反日キャンペーンや、尖閣周辺海域に監視船などを頻繁に送り込むことも含め、すべて習氏が栗氏を通じて指示したことだという。

 習氏が対日強硬姿勢をとる背景には、前任者を否定することによって、強いリーダーのイメージを作り出し、軍・党内の支持基盤を固める狙いがあると指摘される。ある改革派知識人は習氏について「最高指導者としての権威がほしくて焦っている」と指摘している
 これまでの中国の最高指導者が党内における自身の求心力を高めるために、外国との戦争を仕掛けたことはよく知られている初代の毛沢東は建国直後に朝鮮戦争に参戦し、米軍と戦った。文化大革命後に最高権力を握ったトウ小平は、改革開放をはじめると同時にベトナム侵攻を行った。

 三代目の江沢民氏は九三年ごろから実権を掌握しはじめたといわれているが、その三年後に台湾海峡で大規模なミサイル演習を行い、台湾の総統選挙を威嚇した。四代目は穏健派といわれた胡錦濤氏が登場し、戦争はしなかったが、北京五輪を開催し、これを国威発揚の場とした

 習氏も前例に倣い尖閣問題で軍事行動をとることを考えている危険性がある。尖閣を占領すれば、習氏は一気に中国の「民族英雄」として歴史に名を残すことになるからだ。
 二〇一三年一月、中国人民解放軍の軍令機関である総参謀部を通じて、全軍に対し二〇一三年度の任務として「戦争の準備をせよ」と指示した。これは、「尖閣開戦への準備ではないか」と国内外で大きな話題となった。その後、習氏と同じ太子党グループの軍幹部が次々と中国メディアに登場し、「日本との戦争は避けられない」といった戦争を煽る発言を繰り返した。

 習氏は二〇一三年三月と六月に、ロシアと米国をそれぞれ訪問し、日本と対立する尖閣問題をめぐり支持と理解を求めたが、いずれも成功していない。とくに米カリフォルニアで行われたオバマ大統領との会談で、習氏は一時間半にわたり尖閣問題における中国の立場を説明したが、全く相手にされなかった。中国共産党内では「習主席の主導した外交が失敗したため、中
国はますます孤立した」といった声も聞かれるようになった。

 尖閣問題では米露が共に日本寄りの立場をとったため、軍事行動は当面とれなくなり、習氏
の対日戦略は袋小路に入った。一連の反日政策は結局、中国に何のメリットをもたらすこともなかった。それどころか、観光業や日中貿易などへの影響がじわじわと表れ、習近平の対日強硬路線に対し、批判する人が増えている。胡錦濤派の汪洋副首相や、李源潮国家副主席らはすでに様々な場で「日本との関係が大事だ」と強調するようになっている。

 期待され、登場した習近平政権だが、江沢民と胡錦濤の二つの派閥ににらまれ、政局での主導権をなかなかとれないでいる。求心力を高めるために、次々と派手な公約を打ち出したが、ほとんど成果を上げられず、調整能力のなさを露呈した。メッキが次々剥がれている状態で、これからはますます苦しい政権運営を強いられそうだ。

 中国共産党内に、習氏は三十数年前に失脚した華国鋒氏と似ていると指摘する声がある。華氏は中国建国の父、毛沢東が死去した後、一九七六年に中国の最高指導者となった人物だ。毛沢東の指示に忠実だったことが評価され、その後継者に指名されたが、能力は高くなく、党内における求心力も弱かった。

 華氏はメディアを使って自己宣伝を展開し、軍の視察にも積極的に出かけるなど存在感をアピールし、自身の権力を補強するためにいろいろと努力したが、能力不足と党内の支持者が少ないためほとんど実績をつくれず、わずか二年あまりでトウ小平一派との権力闘争に敗れて失脚した。

 いま、習氏の内政と外交の一連のやり方に対し、すでに党内から不満の声が上がっている。このような状況が続くと、習氏をトップから引きずり下ろそうとする動きが出てくる可能性もある。そうなれば、権力闘争は一気に過熱化する。ただ、習氏にとってなによりも幸いなことは、いまの共産党内にかつてのトウ小平のような実力と人望を備えたライバルがいないことだ。とはいっても、ある共産党古参幹部は、「改革派指導者の中で、汪洋副首相は、政治手腕は習氏より数段上なので、将来的にトウ小平のような存在になるかもしれない」とし、火種になる可能性を指摘する。
 
 最近、酒の席で、共産党幹部からこんな小咄を聞いた。中国の指導者には四つのタイプがある。「進む方向が間違っていて、能力が非常に高いタイプ」。これは毛沢東のような人だ。文化大革命を起こして中国をメチャクチャにした。次は「進む方向が正しく、能力が非常に高いタイプ」。トウ小平がその代表的な例で、改革開放を主導して中国を豊かにした。第三は「進む方向が正しく、能力が非常に低いタイプ」。昨年の党大会で引退した胡錦濤氏と温家宝氏のような人で、「調和のとれた社会」などの理想を掲げたが、何も実現できなかった。最後に「進む方向が間違っていて、能力が非常に低いタイプ」。習近平氏のことだ。だから、中国はこれからどうなるのか、全く見当が付かないという

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