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あっさり幕引き、深く議論せず
8月26日に開かれた松江市教委の臨時の教育委員会会議。傍聴席には市民ら約40人が詰めかけ、異様な熱気に包まれた。
この日は教育委員の5人全員が出席。市教委が決めた「はだしのゲン」の閲覧制限を是とするか非とするかが話し合われるはずだった。だが、委員からは「(閲覧制限の要請は)教育委員会議に報告があってしかるべきだ」「本来なら学校に委ねられるべきだった」などと、閲覧制限の措置を市教委事務局だけで決めた手続きに批判が集中した。
会議では、事務局が閲覧制限を要請する理由とした作品中の暴力描写について「過激な描写はあるが、全体のストーリーに影響することではない」などとされた。また市民からの陳情で主張された、君が代批判など歴史認識の間違いという点についても「(陳情は)市議会で不採択としており、改めて問題にする必要はない」などの意見が出て、突っ込んだ議論にならないまま協議を終えた。
結局、「はだしのゲン」の閲覧制限の要請については、手続きの不備があったとして「制限を要請する前の状態に戻すことが妥当。その後の取り扱いは、学校の自主性を尊重する」ということに全会一致で決定。作品の内容面や教育上の問題点などが話し合われることはなく、あっさり閲覧制限が撤回された。
会議後に会見した教育委員長の内藤富夫・島根大名誉教授はこう説明した。
「歴史認識は、閲覧制限を要請した理由になってないので議論の対象ではない。過激な描写は『ある』との意見で一致したので、大きく議論していない」
関係者を取材したところ、こうした杓子(しゃくし)定規な対応ぶりの裏にはある計算が働いていたと思われる。つまり、作品の歴史認識にまで踏み込めば結論が出るまでに時間がかかるのは必至だ。かといって、議論を長引かせては世間の風当たりも強くなる。だから、手続きの不備という1点だけをとらえ、早期の決着を図ったというのだ。
しかし、こうした対応には、「肝心なことが議論されていない」と疑問の声も上がる。
「閲覧制限は折衝案」
今回の騒動の発端は昨年8月、市内の男性から「はだしのゲン」の小中学校図書館からの撤去を求める陳情が市議会に提出されたことだった。
男性は陳情で「天皇陛下に対する侮辱、国歌に対しての間違った解釈、ありもしない日本の蛮行が掲載されている。松江市の子供たちに間違った歴史認識を植え付ける」と主張。まさに作品の歴史認識を問題としたものだった。
市議会はこれに対し、教育民生委員会での協議を踏まえて同年12月、「(書物を)図書室に置くことの是非を、議会が判断すべきではない」と、陳情を不採択とした。
しかし、同委員会では「はだしのゲン」を平和学習の教材として評価する一方、女性への性的暴行などの暴力描写について「市教委の判断で適切な処置をすべきだ」との注文も付けた。
そこで市教委が協議を引き継いだが、暴力描写で特に問題としたのは、旧日本軍が妊婦の腹を切り裂いて中の赤ちゃんを引っ張り出したり、後ろ手に縛られた捕虜の首を軍刀ではねる場面だった。
古川康徳副教育長は「平和学習に欠かせない資料だが、暴力シーンなどに過剰に反応する子供もいる。教師が一緒に読むなど教育的な配慮が必要という判断になった」と説明。「議会では『撤去する必要はない』『子供に自由にみせるのはどうか』という2つの意見があった。(自由に見ることはできないが、教師などと一緒に見ることができるという意味の)閲覧制限はその折衷案だった」と打ち明ける。
市教委事務局はこうして「はだしのゲン」の閲覧制限要請を学校側に伝えることを決めた。ある市教委幹部は「(この時点で)これほど大騒ぎになるとは思わなかった」と話す。
今度は次々開架へ
閲覧制限の要請は、教育委員の承認が必要な重要事項に当たらないとして、教育委員会会議にも諮らずに進め、昨年12月17日の小中学校の校長会で市教委が各校長に通達した
「平和教育の教材として優れているが、子供だけでなく、先生と一緒に見てほしい」。通達について市教委は指示ではなく、あくまで要請だったとしている。しかし、学校司書から「校長の受け取り方がまちまちで司書が戸惑っている」との相談もあり、今年1月の校長会で再度要請した。市教委のアンケートによると、この要請で「はだしのゲン」を所蔵する43校のうち42校が書庫に移動させるなどの閲覧制限措置を取ったという。
市教委は「(閲覧制限の)最終判断は学校と認識しており、あくまでもお願いだった」と説明するが、多くの校長からは「お願いではなく、指示と受け止めた」とする声が聞かれ、結局、ほとんどの学校の図書館から「はだしのゲン」が消えることになった。
そして今回の騒動では全く逆のことが起きている。市教委は冒頭の臨時の教育委員会会議をへて今年8月28日、閲覧制限の要請撤回を伝えるため臨時の小中学校の校長会を開催。清水伸夫教育長は「ご心配をおかけし、深くおわびしたい」と陳謝し、「校内や保護者、地域の意見を聞いて(閲覧制限の是非も含めた対応を)決めてほしい」と、「はだしのゲン」の扱いについての対応を学校側の判断に委ねる方針を伝えた。これを受け、各学校は次々に「ゲン」を開架にしている。
ともかく騒動は一応の決着をみたが、この割り切れなさはどうだろう。市教委の一連の対応にはき然としたところが全くない。閲覧制限に対する左傾がかった批判も大いに問題だろうが、それに押されて制限を撤回し、さらにその責任を「判断を委ねる」などという表現で各学校に“丸投げ”したことも問題だ。当初の「指示ではなく要請」という言い方も責任逃れの印象を与える。
今回の問題はこうした市教委の腰砕けぶりも含めて各方面でハレーションを起した。下村博文文部科学相は8月27日の記者会見で、閲覧制限の撤回について「市教委が判断したことで、文科省が指導するようなことではない」と述べ、判断を尊重する考えを示しながらも「私としては学校の判断に任せるのも、いかがかと思う」と疑問を口にした。
教育問題に力を入れる日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長も、社説で撤回を求めた朝日新聞、毎日新聞を念頭に「メディアが騒いで圧力を加えた」と指摘したうえ、「市教委はだらしない。独立性を自ら放棄したようなものだ」と批判した。
再び開架の措置がとられた「ゲン」だが、歴史認識や暴力描写などについての議論は置き去りのままだ。結局、市教委、市議会を含む松江市の今回の対応は何も解決せぬまま、臭いものに蓋をしただけと取られても仕方ない。