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紀元節とは2月11日、いまの建国記念の日に当たる。明治6年に定められた。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)はこれを祝日とすることを認めず、昭和23(1948)年の祝日法からはずされた。建国記念の日が祝日となるのは、ようやく昭和41(1966)年のことである。
こうしたいきさつがどれほど周知されているか、筆者は知らない。建国を祝う気配がこの日、この国に満ちているかと街を見渡せば、残念ながらあまり感じられない。じつは紀元節から建国記念の日への変遷は、戦後日本の左傾ぶりをよく示す事例なのだ。この機会に振り返っておきたい。
そもそも紀元節とは、初代天皇である神武天皇の即位の日。国の成り立ちに思いをはせ祝う日である。いろいろと形は違っても、どの国家にもあってしかるべきものであり、大切にされるべきものだ。
戦後、昭和23年に当時の総理庁(後の総理府=現・内閣府)が行った世論調査では、国民の8割はこの日を祝日とすることを望んでいた。そのくらい人口に膾炙(かいしゃ)した日だった。これを認めなかったGHQの見解は次のようなものだ。「この日が許さるべきでない根拠は、それが神話的起源の日であるからだけではなく、むしろそれが…超国家主義的概念を公認し、かつ一般占領目的に背くものだからである」(所功氏「『国民の祝日』の由来がわかる小事典」)。
GHQは日本の「精神的武装解除」を占領方針のひとつとし、神道や神話を敵視した。昭和23年の祝日法では、それまでの祝日の宗教色は薄められた。たとえば収穫に感謝する11月23日の新嘗祭(にいなめさい)は、「勤労感謝の日」というわけのわからないものになった。繰り返しになるがこのとき、建国の日は祝日からはずされた。
日本人による日本の否定
ところで、日本が独立を果たしたあとも昭和41年まで、建国記念の日が祝日とならなかったのはなぜだろうか。この日を祝日とする議論は独立後、国会でもなされた。しかし実を結ばなかった。
ここに戦後日本の左傾があった。GHQが定めた方針を拡大再生産し、日本という国を批判してやまない勢力が、日本のなかで猛威をふるってきたのだった。建国記念の日の制定に反対する集会が開かれ、各団体から反対声明が出された。
建国記念の日が祝日となった翌年に出された、「紀元節問題」という冊子がある。進歩的知識人らの名前が並ぶ。寄稿文や座談会にはこんな惹句(じゃっく)がついている。「紀元節復活をかちとった右翼は、つぎの計画として明治節-明治維新百年-安保危機突破をめざし…」「二月十一日は日本人にとって悪夢再現の日となった。反動政策の環が着々とつながれつつある今日…」。国の成り立ちを祝うことは「右翼」であり「反動」とされている。
あるいは、「紀元節復活問題は、対米従属下の日本に軍国主義復活の軌道が設定された時期に、そのイデオロギー的核心の一つとして登場した」。少し戦後史に関心のある人なら、こうした文言に典型的な左翼臭をかぎとるだろう。しかしこの文章がいうように、果たして日本はその後、軍国主義の道を歩んだのだろうか
このような言説が猛威をふるってきたのである。このたぐいの言説は、戦争への反動から、戦争につながるとみなされるものをことごとく否定する。共産主義のイデオロギーが根底にあるか、ないしは容共的なのだが、表層的な部分では、日本を否定することが「進歩的」であると訴える。戦争反対、憲法護持という点でこの言説は、集団的自衛権の行使や憲法改正に反対する論調として現在も続く。歴史観の点でいえば、慰安婦問題に見られるような自虐史観もこの思潮の延長にある。
神話は国民統合の物語
冒頭の「紀元節は嘘だらけの日」という中学教師の発言は、この偏った戦後日本の思潮を、よく示している。中学教師はこう言ったという。「神武天皇という実在しなかった天皇が、空から高天原に降りてきて日本を治め始めた、という嘘だらけの日」。ニニギノミコトの天孫降臨神話と混同しているだけでなく、基本的に、神話を敵視するGHQ的史観をそのまま現在に持ち出しているといってよい。
神話は史実であるかどうかより以前に、国民が神話を持てるということが重要なのだ。国民を統合する物語が、神話なのである。そのような物語を持っているということは、国民の大きな幸なのだ。
このような左傾教師の言葉を教室で聞かされる生徒こそ、不幸である