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中国共産党の重要会議である第18期中央委員会第3回総会(三中総会)が閉幕した4日後の2013年11月16日、北京から3000km以上離れた新疆ウイグル自治区マラルベシ県で、公安局の派出所が9人のウイグル族の若者に襲われ、計13人が死傷した。
目撃者情報などによると、斧や刀、手製の爆弾などで武装した9人は、2台の自動車に分乗して同日夕方5時過ぎに派出所の敷地に突入した。庭にいた派出所の職員一人を殺害したあと、建物に入ろうとしたところ、中にいた警察官が発砲して交戦状態となった。しばらく対峙状態が続いたが、緊急連絡を受けたほかの派出所の警察官が次々と応援にやって来た。
銃声を聞いて近くの市場にいた約50人の地元住民も派出所の近くに集まってきた。襲撃する若者のなかに知人や親族がいるかもしれないと考えた住民らは、派出所に入っていく警察官らに対し発砲しないように訴え続けた。「どうしても撃つなら、頭ではなく手と足を撃ってくれ」と懇願した老人もいたという。
しかし、こうした訴えは聞き入れてもらえなかった。しばらくして9人は全員射殺された。事件後に現地に入って取材した米国人記者によると、9人のうち、いちばん若いのは17歳、最年長でも23歳にすぎなかった。彼らは同じ地下モスクに所属しているという。地下モスクとは、中国当局の許可を受けていない自宅などで秘密に礼拝を行なうイスラム教の集まりの俗称で、新疆全域で少なくとも数百はあるといわれている。地下モスクでは、過激な教義を教えられることが多いという。
9人が派出所を襲った理由は明らかではない。4月に同県で起きた死者21人のウイグル族と警察の衝突事件への報復の可能性がある。中国当局は事件の直後、「外国のテロ組織が関与した組織的、計画的なテロ事件」と断定し、地元で大規模な捜査を開始した。11月22日現在、すでに100人近くのウイグル族が拘束されたとの情報がある。
一方、地元のウイグル族のあいだでは、外国テロ組織の関与を否定する声が多い。中国当局による少数民族政策への不満と、宗教弾圧への反発がもっとも重要な原因とみている。あるウイグル人は外国メディアの電話取材に対し「死んだ若者たちが襲撃したのは民間人ではなく、武装された警察官だからテロリストではない。われわれにとって彼らはウイグル独立のために戦った立派な軍人だ」と語ったうえで、「もし国際テロ組織の支援を受けたなら、彼らはもっとよい武器が手に入ったはずだ」とも指摘した。「私たちウイグル人はいま、政府に完全に追い詰められている。こういうかたちで反抗するしかなかった」と涙声で訴えた。
事件翌日の17日の『中国青年報』など中国の主要各紙は、この派出所襲撃事件について、国営新華社通信が配信した約100字の短い記事だけを掲載した。若者たちを「暴徒」と決め付け、事件の死傷者の数を伝えたうえ「社会秩序は回復された」と強調した。ある全国紙の編集者は「共産党宣伝部からこの件について取材も論評もしてはいけないといわれた」と語り、当局から情報規制が敷かれたことを認めた。
中国の官製メディアが、三中総会の“偉大なる成果”の宣伝キャンペーンを展開する最中に、このような政府に公然と対抗する事件が起きたことで、習近平政権はメンツを失う結果となった。報道規制の背景には事件の影響を最小限に抑えたい当局の思惑があるとみられる。しかし、これほど大きな事件の詳細を検証せず、拙速に結論を出して、取材も論評をも禁止することは、今後に大きな火種を残すと指摘する声もある。
ウイグル族を支援する北京の人権派弁護士は「ろくな調査もせずに9人をテロリストと決め付けるやり方は無責任だ。彼らが派出所を襲った動機は何か。全員を射殺する必要があったのか。情報をすべて公開し、しっかり検証しなければ、また同じような事件が起きる」と指摘した。そのうえで「いまのやり方では、漢族によるウイグル族への差別がますます増長し、ウイグル族の当局への不信感もますます深まる。事態のさらなる悪化は避けられそうもない」と話した。
習近平政権になってから、少数民族と当局の対立は以前と比べて深刻化したと証言する少数民族関係者が多い。前任者の胡錦濤氏は少数民族地域の貴州省とチベット自治区のトップを務めた経験があり、アメとムチを使い分けることがうまかったといわれる。
胡氏は国家主席在任中、警察力を使って少数民族の反発を抑える一方、インフラ建設などで巨額な資金投入も同時に行ない、雇用をつくり出した。警察幹部など公務員に少数民族出身者をも積極的に登用した。インドに亡命中のチベット仏教の最高指導者のダライ・ラマ14世側と何度も対話を実施し、チベット独立派を懐柔した。胡氏は在任中の10年間、少数民族問題への対応で大きな失敗をしなかった。
胡氏と比べて、習国家主席は少数民族地域で暮らした経験もなければ、指導者として危機を処理したこともない。2009年7月に、ウルムチでウイグル族暴動が起きた際、当時の国家主席の胡錦濤氏は欧州訪問中だったため、国家副主席だった習近平氏が暴動対策チームの責任者となった。
しかし、事態を穏便に処理しようとした温和派と、武装警察の大量投入を主張する強硬派のあいだで右往左往し、事態を拡大させた。結局、胡錦濤氏はイタリア訪問の日程を途中で切り上げて早期帰国し、緊急政治局会議を開き、漢族のウルムチ市党委書記を更迭するなど一連の対策を講じて、事態はようやく沈静化した。この件で、習近平氏は危機管理能力の不足を露呈させたかたちとなった。
習氏のいまの少数民族政策は、「アメをほとんど与えず鞭打ちばかり」といわれている。2013年春から夏にかけてウイグル族地域で大きな暴力事件が3件連続して発生したことを受け、8月から同地域で、刃渡り15cm以上の刃物を強制的に回収する「刀狩り」キャンペーンを開始した。遊牧民族であるウイグル族には羊をさばくためにつねにナイフを持ち歩く習慣があり、ナイフを取り上げられることは成年男性にとって大きな侮辱にあたることから、反発が大きかった。
また、新疆南部のホータン地域などで「男性は40歳までひげを蓄えてはいけない」という規定も設けられた。漢族の警察官から見れば、ひげを蓄えているウイグル人はみな同じように見えるため、犯罪が発生した際に捜査しにくい事情があるほか、ひげを蓄えることはイスラム教の伝統であるため、若者を宗教から切り離したい狙いもあるといわれている。
こうした少数民族の文化、宗教伝統を破壊する習政権のやり方が、ウイグル族の政府への不満を募らせた。これまでに漢族と友好的だった多くのウイグル族が政府に協力しなくなる結果を招いた。
新疆ウイグル自治区での派出所襲撃事件をはじめ、2013年夏以降、中国各地で同じような大量殺傷を狙った暴力事件が相次いで発生している。
7月20日に北京国際空港のターミナルで車椅子に乗った男が、爆竹の火薬を材料に造った手製の爆弾を爆発させ、二人をけがさせた。10月28日には北京市中心部でウイグル族の3人が400リットルの市販のガソリンを自動車に積み、天安門楼上に掲げた毛沢東の肖像画をめざして突入・炎上させて約40人が死傷した。実行犯の3人は、夫婦と70歳のその母親だった。一家の親族が警察に殺害されたとの情報もあった。
さらに11月6日、山西省太原市の共産党委員会の庁舎ビル前で、連続爆発事件が発生。手製の爆弾のなかに詰められたクギや金属玉が飛び散って、一人が死亡、8人が重軽傷を負った。数日後、地元政府に陳情を繰り返した41歳のタクシー運転手の男が逮捕された。中国の司法関係者によれば、この男は死刑判決を受ける可能性が高い。
一連の凶悪事件で共通しているのは、身近な材料で簡単につくれる凶器が使用されたことだ。それほど殺傷力は高くないことから、犯人はプロのテロリストではなく、当局に不満をもつ一般民衆であることを強く印象づけた。
ウイグル族の事件も漢族の事件も、背景には、政府の理不尽なやり方や党官僚の横暴や腐敗に対する一般庶民の不満があった。今回の三中総会の期間中、土地の強制収用や冤罪などの不満を最高指導部に訴えるため北京に集まった陳情者は数万人にも及んだといわれる。
当局へ陳情を繰り返したにもかかわらず解決の見通しが立たないため、絶望状態に陥った陳情者が世間の注目を集めるために大量殺傷を狙った事件を、北京の人権派弁護士のあいだでは「絶望型陳情事件」または「陳情テロ」と呼んでいる。
2012年11月に習近平政権が発足して以降、「陳情テロ」が急増している。その原因について、ある弁護士は「政権交代によって、施政方針が変更されたことと関係している」と指摘している。2012年まで続いた胡錦濤政権は、貧富格差の解消などをめざし「和諧(調和のとれた)社会」という政策スローガンを掲げていた。
たとえば、2005年に「陳情評価制度」を全国で導入し、北京で全国からの陳情を受け付け、集計をする。同じ地域から来る陳情者の数が多ければ、その地方指導者の責任を問うというやり方を実施した。陳情者の問題を早期解決するように地方政府に圧力をかける目的だった。
結果として、北京に陳情者が多く集まり、地方政府が彼らを強引に連れ戻す暴力事件が頻繁に発生した。「陳情評価制度」はうまく機能したとはいえないが、弱者にとって問題解決の窓口があることは大きな救いだったといえる。
また、温家宝前首相は在任中よく各地の陳情者が集まる場所に出かけ、要望を聞き入れた。パフォーマンスともいわれ、実際問題が解決されることは少なかったが、政権が陳情者たちに対し一定の配慮を示したことで、弱者たちにとって大きな希望となっていた。