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時代を見通す日本の基礎情報

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徳川慶喜は豚肉好きで子だくさん 薩摩の黒豚を何度もおねだり



国史において豚肉を語るとき、欠かせない人物がいる。「豚一様(ぶたいちさま)」と呼ばれた徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜である。


 実父である水戸藩の九代藩主・徳川斉昭は牛肉好きだったが、同じ肉好きでも慶喜は豚肉に傾倒していた。「豚肉が好きな」「一橋家出身」だから「豚一様」。家来衆から密かにそう呼ばれたという。


 薩摩藩家老の小松帯刀は、幕末の1864(元治元)年、薩摩にいた大久保利通に対してこんな書簡を出している。


 「慶喜からたびたび豚肉を望まれるので、持ち合わせを差し上げてきましたが、何度もねだられて、結局すべて差し上げてしまいました。にもかかわらず、またも豚肉がほしいと使いの方をよこされました。しかしもう手持ちはないので、差し上げられず、断るほかありません。聞き分けがないというのは困ったものです」


 相手の手持ちがなくなってもなお要求するとは、どこまで豚好きだったのか。


 ちなみに小松帯刀がねだられていたのは薩摩の黒豚だと言われているが、実は原典には「琉球豚」と書かれている。


 そもそも「薩摩の黒豚」とはその数十年前、島津による琉球侵攻が行われたときに、琉球の豚を連れ帰り、薩摩土着の豚と交配させたもの


 琉球の血を引いているから「琉球豚」。牛好きだった徳川斉昭も「いかにも珍味、滋味(あじわい)ありコクあり、なによりも精がつく」と、この豚にはいたく感嘆していたようだ。


ちなみに現在の黒豚は、幕末の「琉球豚」にイギリス原産のバークシャー種をかけ合わせて品種改良を重ねたもの。


 平均寿命がまだ40代と短かった時代に慶喜は76歳で大往生。側室との間にできた子供は21人!


 ちなみに同じく肉好きだった父・斉昭の子は慶喜含めて36人で、親子合計で57人という子供を設ける絶倫ぶり


 斉昭にも、他藩に肉をたびたび要求しては困らせたという逸話がある。親子揃って…と嘆息する前に、次回は慶喜の父、徳川斉昭に焦点を当ててみたい。


 ■松浦達也(まつうら・たつや) 編集者/ライター。レシピから外食まで肉事情に詳しく、専門誌での執筆やテレビなどで活躍。「大人の肉ドリル」に続く新著「新しい卵ドリル」が好評発売中。







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