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香港の林鄭月娥行政長官がついに「逃亡犯条例」改正案を正式に撤回した。9月4日夕方の発表を受け、台湾訪問中で台北市で開かれた記者会見に臨んだ香港の民主活動家、黄之鋒氏らは神妙な面持ちで「遅過ぎた決定」と批判し、「継続抗争」の意思を表明した。さらに同じ活動家メンバーの周庭氏も「条例の撤回は喜べない。遅すぎた」とツイートした。
数カ月にわたった今回のデモは「反送中」と名付けられていた。「逃亡犯条例改正案を反対し、その撤回を求める」というのが主たる目的だった。5大訴求のなかでも、メインテーマとされる目的が達成されたわけだから、少なくとも「一部勝利」といってもよさそうだが、「喜べない」とは何事か。まさか「悲しむ」べき出来事とでもいいたいのか。なぜだろう。
まず政府側の法案撤回発表の一番大きな効果はなんといっても、デモのテーマが消えたことだ。「反送中」という名称はもう使えなくなる。「継続抗争」といっても、残りの4つの要求からエッセンスを絞り込み、リブランディング(ブランドの再構築)作業が必要になってくる。
残りの4つの訴求と行政長官の回答を逐一要約しよう。
まず、デモに対する警察の暴力行為(権力濫用)について、独立調査委員会の設立に応じないものの、警察の公務執行に対する監督監査の手続規定に従って、独立監警会という専門担当機関に委ね、精査を行う。監警会はすでに国際専門家チームを立ち上げ、精査に関する情報を公開するというものである。
次に、デモ活動に対する「暴動」の定義(規定)について、法的には「暴動」という定義が存在しないため、撤回云々もない。
さらに、逮捕されたデモ参加者の全員釈放・不起訴処分については、法治社会では受け入れられないものである。
最後に、香港における行政長官と立法会のダブル普通選挙の実施については、法理的基礎に基
見ての通り、前3項目の訴求は、いずれも法的手続の規定であり、法の支配という観点からも、法の適正手続の保障が一種の先決となる。
たとえば、警察に対する監督監査について、所定の監警会が公正でないかもしれないが、では別途独立調査委員会を設立して調査に当たらせれば、公正性が保障されるのかという問題もあるし、あるいは、今後政府側も勝手に別途独自の機関を設立したり、他の方式の手続を動員してもいいのか、という同根の問題が生じるわけだ。
ゆえにこの3項目の訴求にフォーカスして抗争を継続するには、一定の困難があるように思える。さらに欧米諸国をはじめとする国際社会の同情や支援をどこまで引き出せるかという疑問も残る。
すると、ポイントは第4の訴求、1人1票の「普通選挙権」というところに移らざるを得ない。
繰り返すと、前3項目の訴求は、たとえどんな問題があろうと、「悪法もまた法なり」の原則に直面せずにいられない。それは、ギリシャの哲学者であるソクラテスの言葉に由来し、たとえ悪法だとしても、法律として守らなければならないというたとえで、いくら悪い法だとしても、法治国家であれば勝手に法を破ってはいけないという考え方である。
第4の訴求は、そもそも法そのものが「悪法」ではないかという主張に立脚する。すると、「法理」という深層に触れざるを得なくなるため、話はそう簡単にまとまらない。今後「検討していきましょうよ」と、行政長官がいっているわけだから、そこで「牛歩戦術」だの「嘘つき」だの批判し一蹴するには、さらなる「闘争」が必要になってくるだろう。
つまり、「反送中」運動の継続には、方向性の調整(テーマの変換)が必要であり、「普通選挙権」を求める運動に切り替えるとすれば、またもや2014年の「雨傘運動」という振り出しに戻ることになる。
そういうことであれば、「条例の撤回は喜べない」という理由も頷ける。ここからは、「第二次雨傘運動」あるいは「香港民主化運動」にスイッチし、モードをリセットすることはできるのか。リセットできたとしても、それがうまくいくのか。一連の問題が横たわっている。
づき、実務的検討に持ち込む。
考え方としてはいろいろある。まず今回のデモで政府側が最終的に屈服し、「逃亡犯条例改正案の撤回」という要求を飲んだ。だったら、次の「普通選挙権」という要求も飲む可能性がある、という帰納法的な考え方だ。ただ、難易度は何段も上がる。「普通選挙権」といえば、香港を誰がコントロールするかという根本的な問題であり、北京政府はそう簡単に妥協するはずがない。
すると、やはり米国の対中貿易戦争に便乗するしかない、という方向になる。そもそも、今回の条例改正案撤回という政府側の妥協はどのような背景に引き出されたのかをまず考えてみたい。
10月1日の中国建国70周年記念日祝賀行事があって、習近平主席や国家の体面を保つためにも、香港デモをそれまでに収束させなければならない。という理由もあるだろう。そこで最終的にどんな手段が考えられるかというと、まず最悪の「第2の天安門」を避け(参照:『香港が「第2の天安門」になり得ない理由とは?』)、香港政府管轄下のリソースをフル動員して、デモ参加者の大量逮捕や戒厳令の発布といった措置が選択肢として浮上する。ただし、これらの措置を実施すると、米国の制裁を招来する可能性がある。強硬手段はまずい。
さらになんと、9月4日という早い段階で林鄭行政長官があっさりと条例完全撤回の「敗北宣言」を出した。その理由は何であろうか。私の直感では、米国の「香港人権民主主義法案」が決定的な要因だったのではないかと思う。
同法案は香港デモに関連し、基本的人権や自由への抑圧行動について、香港に付与された(中国本土と違う)優遇措置を取り消し、抑圧行動にかかわる関係者らの米国における資産を凍結し、米国入国を拒否するなどの制裁措置を含んでいる。特に資産凍結のダメージが大きい。一部の情報によれば、この「香港人権法案」は9月上旬の米国会で可決される可能性が高いといわれている。
つまり条例完全撤回という香港市民側の要求を飲むことによって、米国の「香港人権法案」が立脚する基盤が崩れ、少なくとも法案現状のままでは可決できなくなるからだ。
真相がどうであれ、香港問題が根底から解決されたわけではない。たとえ、デモなどの市民運動が今回沈静化したとしても、いつ再燃してもおかしくない。さらに、たびたびの騒動で香港の国際金融センターとしての基盤がすでにぐらついている。拙稿『香港騒動、最大の受益者がシンガポールであるワケ』にも指摘しているように、香港からの資金流出がすでに始まっている。