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習近平主席も注視哀悼の動き広まる中国・李克強前首相の「突然の死」の真相


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改革派だった中国の李克強・前首相(写真/EPA=時事)
改革派だった中国の李克強・前首相(写真/EPA=時事)

中国No.2の座を長く務めた李克強・前首相の死は中国本土のみならず、全世界を揺るがした。まだ68歳という若さであり、共産党幹部が次々と姿を消した後でもあったからだ。一体、中南海で何が起きているのか。ジャーナリストの峯村健司氏が迫る。

* * *

「元総理の李克強同志が2023年10月26日0時10分、休暇で滞在していた上海で心臓発作を発症し、懸命の救命処置をとったにもかかわらず死去した。享年68。正式な訃報は追って発表する」

中国国営中央テレビが、李氏の死去を報じたのは10月27日午前8時過ぎ。7か月前までNo.2だった高官の死を報じるには、素っ気ないものだった。

国家指導者の訃報は「中国共産党の優秀な党員で」という決まり文句で始まり、肩書をすべて読み上げて功績を讃えるのが一般的だ。「正式な訃報は追って発表する」という表現はあまり使われない。李氏の死去が突然のことで、あらかじめ準備していなかったことがうかがえる。
無理もない。毛沢東=82歳、トウ小平=92歳……中国の国家指導者経験者は総じて長寿だからだ。彼らには退任後も秘書や車が付き、最高峰の医療で健康管理に当たる。退任したばかりの李氏が亡くなるとは想定していなかったのだろう。
最近、習近平政権では、高官の失脚や「自殺」が相次いでいる。国家指導者級である5人の国務委員のうち秦剛・外相と李尚福・国防相という、外交・軍事を司る高官2人が失脚するという異常事態となっている

ミサイル・核兵器を運用するロケット軍は司令官などトップ2人を含む数十人の幹部らが拘束されている。苛烈な取り調べによって「自殺」する幹部も少なくない。中国人民解放軍の機関紙『解放軍報』によると、習近平国家主席側近の共産党幹部が直接、部隊の訓練や演習、装備などの調査をしており

、「戦闘準備態勢に不備があった」と判断したという。

毛沢東が1966年に発動して10年余り続いた「文化大革命」を彷彿とさせるような大粛清がいま、中国国内で展開されているのだ。

李氏の突然死についても「陰謀があるのでは」と疑う声が上がるのは理解できる。筆者も第一報を聞いた時に、「暗殺」という言葉が頭をよぎったからだ。真相を探るべく早速、地元の政府関係者と連絡を取った。

「李総理は滞在していた上海市浦東にあるホテル『東郊賓館』のプールで泳いでいました。総理の姿が見えなくなったため、警護をしている中央警衛団の職員が異変に気付いて、プールの底に沈んでいるところを発見しました。すぐに近くの病院に緊急搬送され、医師が救命処置をしましたが、帰らぬ人となってしまいました。死因は心筋梗塞でした」

この証言は、公式メディアの報道とおおむね一致する。筆者も李氏は病死だった可能性が高いとみている。李氏と家族ぐるみの付き合いがあった共産党関係者によると、李氏は昨年初めから持病の心臓病が悪化しており、心配した家族も早めに引退して療養に専念するように勧めていたという。

いまだに一部の日本メディアは、「習近平VS李克強」といった「権力闘争」観で分析している。

しかし、揺るぎない「一強体制」を固めた習近平国家主席に対して、李氏を含めたいかなる引退幹部も習氏の政策や方針に反対したり、異論を唱えたりすることはない。習指導部にとって、すでに引退した李氏を暗殺する必要も動機もないのである。

充満した不満のガス

ただ、気になる点がある。通常、引退した国家指導者が上海で宿泊する際、虹橋空港に近く、医療施設が整備されている「西郊賓館」があてがわれることが多い。「東郊賓館」は2006年、地元出身の江沢民・元国家主席の肝いりで建てられたが、施設はそれほど充実しておらず、指導者はあまり使ってこなかった。このことは李氏が引退後、厚遇されていなかったことを物語っている。歴史に「もし」はないが、李氏が「西郊賓館」に泊まっていれば救命されていたかもしれない。

筆者が李氏と初めて会ったのは2007年。習氏とともに異例の2階級特進で最高指導部の政治局常務委員に抜てきされた党大会の会合だった。遼寧省トップの書記を務めていた李氏は、筆者の質問に対し、原稿を読むことなく、立て板に水の如く細かい経済統計や政策の文言などを答えていたのが印象的だった。

首相に就任した2013年以降、改革開放政策を進めようとしたが、マルクス主義に回帰する習氏との路線の違いは浮き彫りとなった。李氏の権限を吸い取るかのように、習氏は安全保障や経済、改革などに関する「指導小組」を次々と立ち上げ、自らがトップに就任して直接指揮をとるようになった。晩年の李氏は顔色がどす黒く、演説中も読み間違えたり水を飲む頻度が増え、精彩を欠く場面が目立つようになった。

久しぶりに李氏に笑顔が戻ったのは、全国人民代表大会開幕日直前の今年3月2日。国務院弁公室の政府幹部ら約800人を前に訴えた最後の演説でのことだった。
国営メディアは放送していないが、筆者は参加した人物から演説を撮影した映像を入手。李氏は引退を控え、ほっとしたような表情を見せていた

「人がしている事は天がしっかり見ている。蒼天には目があるからだ(中国語で『蒼天有眼』)」

一部では、演説中に発せられたこのセリフが「習氏を批判する隠語」といった分析がなされている。しかし、筆者はこの見方には同意しない。確かに、李氏が使った「蒼天有眼」は日本語で「お天道様が見ている」に近い意味がある。ただ、中国では一般的に「悪い結果を予期していたのに、天のおかげで良い結果になった」という意味で使われることが多い。李氏の発言の真意について、部下として李氏に仕えたことのある中国政府関係者に尋ねた。

「特定の人物を批判したわけではありません。経済成長が鈍化して失業率が上がるなか、後任や部下がしっかりと対処できるかどうか案じているのでしょう」

李氏の死去が発表された日、安徽省合肥市にある李氏の生家の前には多くの市民が花を手向けたほか、各地で哀悼の動きが広がっている。李氏の母校・北京大の一部の活動は中止となった。

首相を務めた周恩来、総書記だった胡耀邦。国民に愛された2人の指導者の死が、1976年と1989年の二つの天安門事件の引き金となった。

改革派だった李首相の死が、厳しい国内統制や経済減速によって国民の間に充満した不満のガスに「引火」することはないか、習近平指導部が民意を注視しているのは間違いない。

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