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時代を見通す日本の基礎情報

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肉由来のバイタリティーで58歳まで子作り 牛肉に執着した“烈公”徳川斉昭



前回、十五代将軍の徳川慶喜が薩摩藩の小松帯刀に豚肉を送るようたびたび要求したという話を紹介したが、実は慶喜の実父、水戸藩九代藩主の徳川斉昭も希代の肉好き。同様のエピソードがある。
 江戸時代はまだ表向き、肉食が禁止されていたが、彦根藩だけは牛肉の生産が許可されていた。そこで特産品の牛肉の味噌漬けを諸侯に贈っていたのだ。

 ところがその後、彦根藩の家督を継いだ井伊直弼は、仏教に傾倒。しきたりを反故にし、牛も贈らなくなった。

 斉昭は9女の八代姫の輿(こし)入れに際して、乳牛を伴わせたと言われるほどの肉食一家の主。彦根藩から牛肉が贈られてこなくなり、斉昭は彦根藩へ牛肉を贈るよう、たびたび書状を送ったという。

 以下、明治26(1893)年に匿名の元水戸藩士が書いたという「水戸藩党争始末」から抜粋・意訳する。

 「牛肉が贈られてこない。毎年楽しみにしているのだから送ってくれ。『牛の殺生を禁じた』と言うけれど、これまでも送ってもらったし、彦根の牛肉は格別。せめて私たちだけは特別扱いしてくれないか」

 頼み込む徳川斉昭を「国禁ゆえ」とソデにし続ける井伊直弼。ここで斉昭の恨みを買ったことが、直弼が殺害される桜田門外の変につながるという異聞もある。

 逸話はまだある。斉昭は計36人の子を産ませた“豪の者”。大奥にいた京都の公家出身の唐橋という美女にも手をつけた。

この唐橋、第11代将軍、家斉の娘・峰姫づき。家斉自身も側室に迎えようとしたが、唐橋の固辞に遭い、断念したという経緯があった(本来、生涯異性関係を持たない職ということになっていた)。

 斉昭はそんな唐橋と密通し、懐妊までさせた。その倫理観はさておき、肉由来であろうバイタリティーが尋常でなかったことは確かだ。

 子宝にも恵まれ、世継ぎの心配もないのに毎年のように子を作り、末っ子が生まれたのは斉昭が58歳当時。絶倫を地で行く“烈公”だった。

 あれこれヤリ過ぎたせいか、その後、斉昭は蟄居を命ぜられ、そのまま死んだ。

 まったくモー、過ぎたるは及ばざるがごとし、である

 ■松浦達也(まつうら・たつや) 編集者/ライター。レシピから外食まで肉事情に詳しく、専門誌での執筆やテレビなどで活躍。「大人の肉ドリル」に続く新著「新しい卵ドリル」が好評発売中。






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