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首都ルサカの空港に着いたのは、5日の夕方だった。成田を出発し、アラブ首長国連邦のドバイで飛行機を乗り替えるルート。もろもろ含め20時間以上の「長旅」で、すっかり腰が痛くなってしまった。
降り立った空港は、日本の地方空港ほどの大きさで、止まっている飛行機は、ごくわずか。赤道の南にあるため季節は冬で、空気はヒンヤリしている。ただ、照りつける日差しは、ジリジリと熱かった。
列を作って、1時間以上、待たされたすえに入国審査を終え、NGO「AMDA社会開発機構」が手配してくれた、若いタクシー運転手と落ち合った。
「日本人は大好きだよ。ケンカ腰の中国人と違い、優しい。争い事の嫌いなザンビア人と、気風が似ている」。キーガンさんというその運転手は、車に乗り込むなり、ニコニコと英語で話しかけてきた。
「この道路だって、日本の清水建設が作ってくれたんだ」。さしかかった幹線道路を指さすキーガンさんの口調も、うれしそうなものだった
分野にかかわらず、日本による支援は、活動のノウハウを伝授し、人材を育てるのが特長だ。日本人が去っても現地人だけで活動を続けられるようにという配慮で、「お金をばらまくだけ」(ルサカの保健センター施設長、イグニシャス・ブロンゴさん)の欧米流とは、ひと味、違う。
ブロンゴさんの保健センターにも、野菜畑がある。現地人が栄養ある食事をとり続けられるようにと、日本人が指導して耕し方を教えた畑だ。
こうした日本のやり方について、「本当にザンビア人のためを思い、愛情をもって寄り添ってくれている」と感謝する人は多い。日ごろからAMDA社会開発機構のドライバーをつとめるキーガンさんは、日本人による医療支援を、ある程度、知る立場にある。初対面での好意的な態度は、「日本流」がいかに根付いているかを、十分、感じさせるものだった。
◇
「気が良く、陽気で、楽観的」。数日間で接したザンビア人の印象だ。73もの部族があり、「できるだけ仲良くすることが、互いに滅びないための知恵なのかもしれない」(AMDA社会開発機構の稲葉久之さん)。ザンビアは1964年に英国から独立した後、一度も外国と戦争したことがないという。
だが、表面の明るさとは裏腹に、病気の蔓延は深刻だ。大人の10人に1人がエイズウイルス(HIV)に感染しており、免疫力が落ちているため、結核、マラリアといった、ほかの病気にもかかりやすい。
AMDA社会開発機構の医師、カエベタ亜矢さんによると、エイズが猛威をふるっているのは、「一夫多妻制の名残で、男性が不特定多数の女性と、性交渉を持つ傾向があるため。加えて、貧しく、売春せざるをえない女性が多いから」という。
現地の人は、みな、死につながる病気が身近だ。スラムの教会で、カエベタさんの指導のもと、住民向けの乳幼児健診を手伝っていたアイダ・ルピア・バンダさんは、「近所の若い男性がコレラで死んだ。彼はいつも、近所の小川から水をくんで飲んでいた。犬の死骸や、ゴミが浮いた小川だったのに」と話していた。
ほかの人たちからも、「知り合いの老人が結核で死んだ」「息子がマラリアにかかった」といった声が上がった。
医療体制が整わず、手遅れになって死んでいくケースも多い。
8日正午すぎに訪れたスラムの保健センターでは、何十人もの患者が建物から溢れ、診察を待っていた。行政が運営する保健センターは原則、無料で診てくれる。このため、低所得者層を中心に、この保健センターだけでも、毎日400~500人が訪れる。
あふれる人込みの中にいたバーバラ・チュンバさんは、「発熱と痙攣を起こした8歳の息子を朝6時半に連れてきたけど、まだ診てもらえない。マラリアかもしれないのに」と、怒りで声をふるわせていた
AMDA社会開発機構の事務所で運転手をつとめるデビッド・ズルさんも、別の保健センターについて、「医者が診察の途中でどこかへ行き、帰ってこなくなる」と振り返った。
患者がなかなか診てもらえない、もっとも大きな理由は、医師や看護師が不足していることだ。医学部を持った大学が少なく、せっかく医師や看護師になった人材も、より給料の高い国外へ流出する。加えて、医師や看護師の職業意識は低い。
一朝一夕に解決できる問題でなく、カエベタさんの主な仕事のように、保健当局に働きかけ、政策や教育のあり方を地道に変えていく必要がある。
◇
衛生状態が悪く、いつ病気にかかるか分からない-。そんな過酷な環境で、草の根で身を粉にしている日本人には頭が下がった。今回、主に取材したカエベタさんは、不動産会社を経営する現地人を夫に持つ日本人だ。
旧国際協力事業団(旧JICA)の小児保健支援事業のメンバーとして、初めてザンビアを訪れたのは2001年。ルサカで学校保健の普及にかかわり、健康診断や、寄生虫を殺す駆虫剤の投与といったメニューを広めた。02年には、スポーツクラブで知り合った現地人のクリストファーさんと、結婚する。
ザンビア人のおおらかな気風が好きになっていたこともあり、旧JICAの事業が終わってからもザンビアに滞在。国立国際医療研究センター(東京都新宿区)による現地でのエイズ研究の手伝いなどをへて、11年2月、AMDA社会開発機構に加わった。現在の国際協力機構(現JICA)の委託を受け、「もう一度、携わりたい」と思っていた小児保健事業を始めると聞いたからだ。
ザンビアで活動しているAMDA社会開発機構の日本人メンバーは、カエベタさんを含め4人いる。
カエベタさんは小児保健、大谷聡さんは環境衛生が専門。稲葉久之さんはルサカの事務所で業務調整をおこない、村上優子さんは、北西部州の州都ソルウェジに駐在している。
また、JICAによると、ザンビア国内に拠点を持ち活動している日本のNGOは、「TICO」「ジョイセフ」など最低でも6つある。現地で患者を診察したり、エイズの啓蒙活動をしたりと、支援のやり方は多岐にわたる。
意外だったのは、みな「困った人たちを助ける」という力みかえった使命感がなく、「海外での活動に興味があったから」(AMDA社会開発機構の稲葉さん)など、あくまで自然体であることだ。
日本人による支援は、現地の人の意識を変え始めており、近所の男性がコレラで死んだバンダさんは、酒場など人の集まる場所に出かけ、イラストを使って、手洗いの大切さなどを説くようになった。「小川の水を無防備に飲むような人は、まったくいなくなった」という。
9カ月の双子の息子を抱えるプレシャス・ムエルワさんは、月1回、スラムの教会で開かれる乳幼児検診に欠かさず通う“優等生”だ。その行動の底には、「丈夫に育ってほしい」という、強い思いがある。
折しも日本では、アフリカへの関心が高まっている。安倍晋三首相は6月1日に横浜市で開かれた「第5回アフリカ開発会議(TICAD V)」の開会式で、「(医療や保健に関する)日本の制度と経験を、アフリカに生かしたい」とあいさつし、支援を進めていく考えを示した。
支援の効果を十分に上げるためには、カエベタさんらが草の根レベルで積み上げてきた実績や信頼を、どう生かしていくか、考える必要がある。