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時代を見通す日本の基礎情報

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中国軍に大激震 軍史上最大の汚職」を2年越しで公表  記事1

国軍の内部ではいま一体何が起きているのか。対外拡張的な強硬路線は習近平によるお墨付きを得たものなのか。「軍事的冒険主義」に突っ走っているという見方もあるが実態はどうなのか。

 外から見ると現在、中国軍では二つの動きが同時並行的に進んでいることが窺える。一つは日本の安全保障に大きく影響する海洋や空、宇宙空間での拡張主義的動きであり、もう一つは綱紀粛正を図って規律を引き締めながら機構改革を進める動きである。強硬的態度は拡張主義的動きの表れか、それとも機構改革を巡る反発や自己主張の反映なのか。

軍史上最大の汚職「谷俊山事件」とは?

 軍に対する汚職摘発、贅沢禁止、綱紀粛正での統制強化の実態が伝えられることはない。軍内部の問題はあまりに敏感なので公開がはばかられるのだ。腐敗した国民党に代わり、抗日戦争を戦って国を作った解放軍という筋書きが崩れ、共産党の正統性が揺らぎかねないためだ。しかし現在、空前の激震に見舞われている。「軍史上最大の汚職」と言われる谷俊山事件が起き、更迭から2年たってやっと中国国内で報道されたのだ。

下記翻訳した財新網の記事。写真が谷俊山(http://china.caixin.com/2014-01-14/100628804.html
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 谷俊山は兵站を統括する幕僚部門である総後勤部のナンバー3(副部長)だった。軍の階位は上将に次ぐ上から2番目の中将だが、解放軍230万のトップ30に入る。一説に200億元(3000億円超)と言われる巨額の汚職額だけでなく、地位の売買もあったと言われ、背後にはより高位な高官や軍を代表する美人歌手(湯燦:彼女は収監されているのか、行方知れずになっている)の関与も取り沙汰されている。

 情報が出たタイミングには政治的意図が働いた可能性が大きい。薄煕来事件を巡る混乱が収束し、共産党中央委員会3回総会も無事に改革案を打ち出して実働段階に入っている。ゴーサインを受けて出た情報と言えそうだ。ただそれでも『財新』誌が谷俊山事件の報道にかけた意気込みは評価してしかるべきだ。

 そこで今回、2本の記事を紹介したい。『財新 新世紀』誌サイトの記事「総後勤部副部長の谷俊山が捜査されて既に2年」と、『財新』に続けて社説で取り上げ、遠慮がちながらも事件の公開を政府に求めた党機関紙『人民日報』系統の『環球時報』サイト社説「軍の汚職取り締まりは公開すればするほど民衆の信任を獲得できる」である。

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記事1

20人以上の私服の武装警察隊員が二列に並んで軍用特別供給マオタイ酒のケースを一箱一箱2台の緑色の軍トラックに積み込んでいる。金製の船の置物、盆、毛沢東像も押収した。2013年1月12日深夜のことだ。家宅捜査されたのは軍総後勤部の谷俊山副部長の実家だ。谷の名前が国防部ホームページから消えて既に1年経っている。

2013年8月、国防大学の公方彬教授が人民網「強国論壇」(党機関紙『人民日報』のBBS:筆者)のゲストとして登場した際に谷俊山の汚職問題を明らかにした。彼によると「谷俊山とその前任という軍高官二人続けての犯罪に民衆は不満」という。権威筋が谷俊山の汚職捜査を明かしたのは初である。

 公が言う「前任」とは海軍の王守業元副司令官のことだ。1億6000万元(約25億円)の汚職額と愛人を囲んでいた容疑で2006年に軍事法廷にかけられ、執行猶予付き死刑判決が下された。共通するのは二人とも総後勤部のインフラ・住宅建設部門の長歴任の経験があることだ。

繁華街にある軍用地を払下げ、巨額のキックバックを

 谷の実家は河南省濮陽市孟軻郷東白倉村にある。弟の家など3軒が地下でつながり、30メートルの通路になっている。ここに名酒が山のように積まれ貯蔵されていた。家宅捜査は2晩続き、物品はトラックに積み込まれ、深夜になって市内の武装警察支部に運ばれていった。「市民に目撃されるのを避けたかった」ためだろう。しかし、谷はここに住んでいなかった。村トップで党支部書記だった谷俊山の実弟、谷献軍の家も家宅捜査されたが、無駄足だった。既に物品は移された後であり、酒の空箱だけが残っていた。

 既に前年の旧正月前に北京からやって来た軍の規律委員会、検察院の捜査員が濮陽軍分区内部宿舎に滞在し、谷の捜査は濮陽中に知れ渡った。旧正月にも捜査チームは留まり、3、4月には党中央規律委員会(日本でいう地検特捜部のような汚職取り締まり機構:筆者)、最高検察院の捜査員も加わって十数人の合同捜査班が組織されて捜査に実質的進展があった。

 捜査グループは谷献軍が濮陽で起業した軍用物資メーカーを捜査し、派出所から谷俊山の戸籍資料を取り寄せて照合した。捜査グループは濮陽市の主要幹部、濮陽市高新区責任者にも捜査協力を仰ぎ、谷俊山についての報告書を作成した。12年5月に谷俊山は正式に職務停止となった。

 谷俊山は総後勤部のインフラ住宅部事務局の主任、住宅土地管理局局長、インフラ建設住宅部副部長、部長や全軍緑化委員会事務局主任、全軍住宅改革事務局主任などを歴任した。在職期間中に軍の住宅基準は大幅に引き上げられ、軍宿舎は4回にわたり大規模な住宅建設を拡大し、住宅レベル向上が図られた。この過程で繁華街にある軍用地を払下げ、巨額のキックバックを受けたのだ。

 北京で谷が目を付けた環状二号線地域の軍用地は数十箇所、マンションは数十部屋に上る。贈り物として考えていたという。上海ではある軍用地を20億元(300億円超)で売却し、その6%が谷の懐に入ったとされる。濮陽で谷一族が土地を奪い取り開発したマンションは悪名高く、谷は不動産業者と結託して土地を横流しして手数料を受け取った。更に上をめざし、パートナー作りにも精を出した。自分の「赤い血統」(共産党の血筋を強調する言い方:筆者)を強めるべく、人を雇って父親の伝記を執筆させ、彼の経歴を誇張し、「革命烈士」にでっち上げた。父親の「革命烈士墓地」さえ造成した。

谷俊山の汚職発覚から10か月経って捜査員が濮陽の実家を家宅捜査し、栄華を誇った谷一族の崩壊が始まった。13年1月16日に谷俊山の弟、谷献軍が贈収賄の容疑者として指名手配され、8月に捕まった。


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