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5月19日、朴大統領は謝罪と再生のための「国民への談話」を発表し、犠牲者の高校生名を読み上げながら涙を拭おうとしなかった。この「涙の謝罪」以来、世論は変わり保守の逆バネ(強すぎる進歩派への反発)が起きた。
朴氏の涙の理由は何だったのか。救えなかった命への謝罪の意味もあったろう。しかし、「経済優先の効率主義」という父の時代への批判に対する無念の涙だったのでは-とも取り沙汰された。感情を出さず「氷姫」のあだ名もある朴氏だが、父に関しては感情があふれるからだ。
2年前の大統領選終盤でも朴氏は目を真っ赤にして声を震わせたことがある。朴正煕時代の人権侵害について問われ、窮地に追い込まれた朴氏は緊急会見を行い、初めて父の軍事体制を正面から批判したのだ。
父の影は朴氏をいまも追いかけてくる。
「愛国者になるしか」
愛国心は父のDNA、強い倫理観は母、陸英修(ユク・ヨンス)氏の教育によるものとされる。小学5年生で大統領府(青瓦台)に入り、父の暗殺を受け27歳で妹弟の手を引きながらひっそりと出た。
『青瓦台という空間で15年間暮らしている間に、私は愛国者になるしかなかった』(自伝)との文章には、父母に恥じない娘であろうと生きた日々の心情がにじんでいる。
政界入りは1997年のアジア通貨危機が発端。財政破綻寸前の祖国は国際通貨基金(IMF)体制下に入った。これを機に『私は「政治家朴槿恵」の道を行くことに決めた。自分の生活の全てを捧げる覚悟を固めた』(自伝)という。実は、通貨危機の際も原因の一つとして「60~70年代の朴正煕時代の産業化」がやり玉に挙げられ、父の時代が批判されていた。
朴槿恵氏を突き動かしたのは愛国心、そして使命感、正義感だったといえる。
イデオロギーを体現
65年の日韓国交正常化を主導したのは父、朴正煕だ。朴正煕は親日派に分類される。だが、朴槿恵氏は、慰安婦や靖国問題でひたすら韓国国民の歴史観に寄り添う。
「加害者と被害者の立場は百年、千年たっても変わらない」と言い続け、外国首脳に「日本の歴史認識が問題」と訴えるのだ。
真意はどこにあるのか。韓国出身の評論家で朴槿恵氏より4歳下の呉善花(オ・ソンファ)氏は朴氏が受けた60年代の教育は「(文化的な)韓国優越、日本蔑視一色だった」と振り返る。
「日本は、朴正煕のイメージから朴槿恵氏に親日の幻想を抱いたが、韓国で朴正煕は反日教育を徹底した人物として知られる。朴槿恵氏はその時代の反日イデオロギーの体現者なのだ」
韓国現代史に詳しい木村幹・神戸大教授は朴氏の心情をこう推し量る。「朴正煕は徹底した実利主義者だった。一方で朴槿恵氏は、国を奪われた恨(ハン、韓国語で悲しみ、恨みの意)を父が持っていたことも知っている。国交正常化当時、韓国は国力が弱く言いたいことも言えなかった。朴槿恵氏は『だからこそ“未完に終わった日韓交渉”を私が完成させる』という気持ちではないか」。歴史問題は“未完”というわけだ。
朴槿恵氏の原点は父・朴正煕にある。その父の偉業である「漢江(ハンガン)の奇跡」「日韓国交正常化」という遺産が、21世紀のリーダー朴槿恵氏の政治力を問うてもいる。