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時代を見通す日本の基礎情報

日本を取り巻くアジア情勢の変化 世界の情報を辛口で伝える情報部ログ 世の中はめまぐるしくかわっていきます その中で取り残されない為の情報をお伝えします Changing Asian situation surrounding Japan Tell the world information by information Department log The world is rapidly mood In order not to lag behind in its informed the <a href="https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3BDZ68+72TSYA+4IRQ+5YJRM" rel="nofollow">なんでもまとめてお売りください!宅配買取「いーあきんど」</a> <img border="0" width="1" height="1" src="https://www19.a8.net/0.gif?a8mat=3BDZ68+72TSYA+4IRQ+5YJRM" alt="">

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古賀氏“自爆テロ”が古舘氏の進退に発展? 怒り心頭


古舘氏(写真左)と古賀氏のバトルはテレ朝を揺さぶる事態に【拡大】

 3月27日のテレビ朝日系「報道ステーション」で元経済産業省官僚、古賀茂明氏(59)が“降板”させられたと発言した問題で、同月31日の定例会見で謝罪した同社の早河洋会長(71)。古賀氏の“自爆テロ”について「予兆がなかった」と危機管理の甘さを露呈した一方、社内処分も示唆。問題は、古舘伊知郎キャスター(60)の進退に発展する可能性も出てきた。

 波紋は収まりそうもない。自らも古賀氏に名前を挙げられた会長は会見で「生放送だったので、あれが精いっぱいの対応だったが、ああした事態に至ったことは反省しており、皆さまにおわびしたい」と謝罪した。

 出張先の大阪で問題を知ったという会長は「衝撃を受けた」と怒りが収まらない。「予兆はまったくなかった。意表をつかれたという感じが現場にはあった」と語ったが、古賀氏は以前からツイッターなどで“降板”“更迭”といった発言を繰り返し、スタジオにお手製のフリップを持ち込んでいることなどを見ても、危機管理の甘さは否めない。

 古賀氏が、早河会長と、制作協力の古舘プロジェクト会長の意向で降板させられたと発言したことについては、「昨年暮れに制作態勢の総点検を現場に指示したが、固有名詞を挙げて議論はしていない」と反論。

 “官邸の圧力”があったとする発言についても「私にも、吉田(慎一)社長にも圧力めいたものは一切なかった」と真っ向から否定した

その上で古賀氏には、放送直後に報道局長や番組責任者が厳重に抗議したとし、「今後については、出演を要請する予定はございません」ときっぱり。さらに「不適切であり、ルールに触れているとすれば、必要な対応をせざるを得ない」と社内処分も示唆した。

 処分は社内だけでとどまるのだろうか。報道ステーションでは、川内原発について事実誤認の報道をしたことに対して、昨年9月に古舘氏が番組内で謝罪。放送倫理検証委員会(BPO)は今年2月、放送倫理に違反しているとの意見書を出している。

 今回の件でも、批判も含めて、電話やメールによる意見が百数十件も寄せられているという。

 「現在は10%近い視聴率をとっているが、番組の信頼を揺るがしかねない失態が相次いだことで、ファン離れが加速し視聴率が低下するという事態に及びかねない」と民放関係者。そうなると、古舘氏の進退問題に発展しかねないというわけだ。

 「番組は30日から新年度に入っているので」と、古舘氏について当面続投する方針を示した早河会長だが、いずれ決断を迫られるときが来るだろう

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政府との対立緊迫する中なぜ… 翁長沖縄県知事の来月訪中

政府と沖縄県の対立が緊迫化している。林芳正農水相は30日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐり、翁長雄志知事が沖縄防衛局に出した作業停止指示を一時的に無効とする「執行停止」を決定した。防衛局側の「外交・防衛上の損害」という主張を認めたもので、海底ボーリング調査などの作業は続行される。こうしたなか、翁長氏の訪中計画が注目されている。

 「じっくり精査して、記者会見する」

 翁長氏は30日、決定を受け、県庁で記者団にこう語った。28日には、政府の対応を「理不尽だ」とも語っていた。

 ただ、翁長氏が「サンゴ礁が損傷した」として23日に出した海底作業停止指示には、「国防意識が欠如している」「(中国による)今そこにある危機から目を閉ざしている」(元ニューヨーク・タイムズ東京支局長、ヘンリー・S・ストークス氏)などの批判もある。


翁長雄志沖縄県知事【拡大】



 防衛局は24日、指示の取り消しを求め、行政不服審査法に基づき関係法を所管する林農水相に審査請求し、審査結果(裁決)が出るまで指示の効力を止める執行停止を申し立てた。県側は27日、申し立てを退けるよう求める意見書を林農水相に提出していた。

 翁長氏は、防衛局が30日までに指示に従わなければ作業許可を取り消すと警告していたが、林農水相がの指示の執行停止により、許可取り消しは困難となった。県幹部は「弁護士の協力を得て法廷闘争への備えを急ぐ」と語っているという。

 こうしたなか、沖縄タイムズと琉球新報は25日、「翁長知事 来月に訪中 貿易促進協に同行」「翁長知事、経済交流促進で来月訪中 要人面談も」と、それぞれ報じた。あの河野洋平元衆院議長が会長を務める日本国際貿易促進協会の訪問団の一員として、4月に訪中するという。

 物流や観光などの分野で経済交流促進を働き掛ける意向というが、このタイミングでの訪中をどう受け止めるべきか。

 国際政治学者の藤井厳喜氏は「核を持った大国である中国が、沖縄県の一部である尖閣諸島周辺に連日のように侵入している。翁長氏はこの国防上の危機を理解しているのか。地政学上、米軍のプレゼンスは必要だ。政府との関係がギクシャクした時期に訪中すれば、中国が仕掛けている『琉球独立論』に利用されかねない」と語っている。

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「救急車 vs パトカー vs 消防車」道路で最優先されるのは?

どれが最優先?<救急車 vs パトカー vs 消防車>

救急車 vs パトカー vs 消防車 都心部では毎日、朝も夜も聞こえてくるサイレンの音。ときには、それぞれ別の現場に向かう救急車や消防車、パトカーなどの緊急自動車同士がすれ違う場面に遭遇することもあるが、万が一、同時に交差点に進入するような場合には、どれが優先となるのだろうか。

「人を乗せているほうが優先」「命にかかわるほうが優先」などのルールや合図はあるのだろうか。消防庁広報課に聞いた。

「取り決めなどは特にありません。ただし、道路交通法39条では『緊急自動車(消防用自動車、救急用自動車その他の政令で定める自動車)で、当該緊急用務のため、政令で定めるところにより、運転中のものをいう』となっています。赤色回転灯をつけてサイレンを鳴らして運転しているときでないと『緊急自動車』ではないため、そもそも緊急走行できないんです」

救急車 vs パトカー vs 消防車 救急車、消防車、パトカーなどの車両が「緊急自動車」ではなく、赤色回転灯+サイレン使用中の運転時のみ緊急走行が認められる「緊急自動車」なのだ。緊急走行中のほうが、当然優先になる。

 では、交差点で出合ったとき、いずれも「緊急自動車」である状況なら、どっちが優先される?

「交差点で出合うときは、どちらかの進行方向の信号が赤になっているはずです。緊急自動車は、赤のときには『徐行して通過していい』ということになっているので、赤の場合はその時点で明らかにスピードを落としているはず」

 そうなると、交差点手前で赤信号によってすでに徐行中になっている側よりも、信号が青のほうが優先となるわけだ。あとは、「ケース・バイ・ケースで、運転手同士が判断する」と言う。では、狭い道をすれ違う場合は?

救急車 vs パトカー vs 消防車「道路状況によってどちらのほうによけるスペースがあるかによって判断します。そうしないと通れないからで、一般車両と同じです」

 以上が消防庁の見解だが、「基本的には道路上のことなので、道路交通法を扱う警察庁さんのほうがルールなどを設けているかもしれません」とのことで警察庁に聞くと……。

「道路交通法上では取り決めは特にありません」、以上。ちなみに、緊急自動車の速度制限は、一般道路は時速80kmまで、高速道路は100kmまで。車両による区別はないそうだ。

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キャバ嬢はこうして面接でウソをつく

昨年、日本テレビのアナウンサー職に内定していたミス東洋英和の笹崎里菜さんが、在学中に銀座でホステスをしていたことが発覚。内定取り消しを不当として訴訟するトラブルがあった。同局は和解協議のすえ、彼女に内定を与えたが、この顛末は「昼の世界」が「夜の世界」に対して未だに不寛容であることを示す一例になったといえよう。

 キャバクラに通う客のなかには当然ながら昼の世界に生きるサラリーマンも少なくない。両者は裏表の関係というよりも、むしろ地続きの関係にあるといえるだろう。にもかかわらず、「昼と夜とは別」というダブルスタンダートがまかり通っているのが現状だ

女子アナ内定取り消し騒動後も何も変わらない! キャバ嬢はこうして面接でウソをつく

サキさん

 では、キャバクラ嬢が昼の世界に身を置こうとしたとき、彼女たちは面接をどのように切り抜けているのだろうか。昼と夜との分断を乗り越えるために彼女たちがとっている方策とは何か。過去にキャバクラ嬢を6年間勤め上げたサキさん(仮名・32歳)に話を聞いてみた。4年前にキャバクラを辞めた彼女は、現在、都内の有名百貨店で接客の仕事をしている。

「昼の面接を受ける前はお客さんだったサラリーマンや社長さんに色々相談しました。面接で『前職はなにをしていましたか?』って聞かれたらなんて答えればいいのか聞いて回ったんです」

 彼女によれば、お客さんから提案された回答は大きく2種類だったという。

「1つは『飲食業をしてました』。こうやってなんとか切り抜けるコが全体の8割くらいらしいです。もう1つはまったく関係ない派遣の仕事を言ったり、『家事手伝いをしていた』と答えて夜の仕事を完全に隠すパターンです」

 いずれにせよ、キャバクラのことは隠して「バレなきゃOK」というスタンスで受け答えするのがベストのようだ。やはり、ストレートにキャバ嬢経験を伝えて面接を通過することは難しいのだろうか。

「キャバを辞めたくて昼職(=昼の仕事)の面接で正直に『キャバクラで働いてました』と言って落ちた後輩を何人も見てきました。ていうか、受かったコを見たことないかも」

 サキさんによれば、たとえ飲食業界だとしてもキャバクラ嬢だったことを口にして面接を通過することは難しいのだという。ということは、自身もやはり面接はごまかして現在の職に就いているのだろうか。

「私はウソつけないタイプなんで正直に『キャバクラだけを6年間やって、そこでナンバー1でした』って言いました。いま思えばありえないですよね(笑)。でも仕事に誇りを持ってたし、そこで身につけたスキルは昼職でも使えると思ったので」

 とはいえ、サキさんの会社でも彼女を採用することに上層部では最後まで反対があったのだという。やはり、ナンバー1を取っていたからといって、夜職を堂々と口にしにくい現状があるようだ。

「女子アナ内定取り消しの事件は、テレビ局だったから注目されて内定が復活したんだと思う。ほかの会社だったら元キャバ嬢が発覚したら内定取り消されてそのままだったんじゃないかな。いくら『キャバ嬢だって立派な仕事!』って言われても、ウチらが世間から見て見ぬふりされてる存在なのはみんなわかってますよ」

 建前と本音を使い分けるのも社会人としての器量。この問題に関しては、やはり「ウソは方便」の心持ちが得策なのかもしれない。 

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「井伊の赤牛」井伊直孝 豊臣家に引導渡した〝徳川最強〟の「赤備え

 井伊直孝が使ったとされる「赤備え」の甲冑。大きな角が特徴で、滋賀県彦根市のゆるキャラ「ひこにゃん」のモデルになった(彦根城博物館所蔵)

 朱塗りの武具で統一した「赤備え」は常勝を誇った甲斐・武田氏の軍団をルーツとする。豊臣方と徳川方が激突した400年前の大坂の陣でも精強部隊の代名詞となった。豊臣方は知将、真田信繁(幸村)の真田隊、そして徳川方にも〝徳川最強〟とうたわれた井伊直孝率いる井伊隊がいた。野戦の名手として鳴り響いた家康が認めた「井伊の赤牛」。野戦となった夏の陣で真価を発揮した直孝の戦いぶりとは-。(川西健士郎)

 「井伊の赤備え」のルーツは、天正10(1582)年の武田氏滅亡にさかのぼる。このとき、武田旧臣を徳川に組み入れる交渉をしたのが直孝の父、直政だった。家康は武田旧臣を直政に付け、武田隊の兵法が継承された。
「徳川四天王」の一人に数えられた直政が慶長5(1600)年に起きた関ケ原の戦いの2年後に他界すると、直孝の兄、直継が家督を継ぐ。しかし家康は慶長19年の大坂冬の陣に際して、病身の直継に代わって直政に似て剛直な直孝を井伊隊の大将に指名した。

 同12月。井伊隊は豊臣方の真田幸村が大坂城南に築いた出城「真田丸」に攻め入って失敗、大きな損害を被った。ところが戦いぶりを見た家康は「若い者は少々粗忽(そこつ)でもよい」と直孝をほめたと伝えられる。

 翌20年の夏の陣。井伊隊は、外様大名で最も家康の信頼が厚かった藤堂高虎隊とともに先鋒(せんぽう)を務めた。5月6日、屈指の激戦として知られる八尾・若江の戦いで豊臣方の木村重成隊と激突。高虎は長宗我部盛親(ちょうそがべもりちか)隊と戦った。

 八尾市立歴史民俗資料館の小谷利明館長は「直孝と高虎は戦いに至る過程が対照的だった」と指摘する。

 前日5日の晩、生駒山地中腹の八尾市楽音寺周辺に陣取った直孝は村の民家を壊して兵を野営させた。すぐ南側で陣取った高虎は民家に兵を泊まらせた。


徳川方の軍議で両隊は約8キロ南方の道明寺に向かうことになっていた。そこが決戦の場になると予測されていたからだ。ところが6日未明、大坂城を出た豊臣方の軍勢のうち、南東方向の道明寺に向かう後藤又兵衛隊などとは別に、長宗我部隊と木村隊は東進を始めた。

 東進は想定外だったが、忍びの情報から奇襲攻撃の動きを察知した直孝は、家康の軍令を守らず、迫りつつある木村隊と戦う決断を即座に下す。一方、長宗我部隊の来襲を知った高虎は軍令変更の命令を受ける必要があると考えて逡巡し、攻撃が遅れた。

 藤堂隊は長宗我部隊に大敗。だが、井伊隊は木村隊を破り、その勢いで長宗我部隊も退散させた。冬の陣の雪辱を果たし、家康の期待に応えたのだ。

 「東進を見通していたかのように臨戦態勢を敷いて野営し、奇襲に完璧(かんぺき)に対応した直孝の判断力は際立っている」と小谷氏は語る。

 同8日、直孝は秀頼と母の淀殿が逃げ込んだ大坂城の山里曲輪を包囲。「秀頼母子を生かし置いては終(つい)に後の禍(わざわい)を遺すものなり」(『徳川実紀』)と一斉射撃を浴びせて自害に追い込んだ。この武功で井伊家の5万石加増とともに官位昇格を得て、島津家の薩藩旧記に「日本一の大手柄」とたたえられた。

幕政中核担った政治家

 彦根藩主・井伊家といえば、徳川家康を支えた「徳川四天王」の直政、開国の決断を下した幕末の大老、直弼(なおすけ)が有名だ。知名度では劣る直孝も剛毅な人柄が伝えられる一方、武功を立てた大坂夏の陣の後、40年以上にわたって幕府や彦根藩の政治を取り仕切った実務家の顔を併せ持つ。井伊家18代当主で滋賀県彦根市文化財課職員の直岳さん(45)は「目配りの行き届いた人物という印象が強い」と語る。


直岳さんは三重県桑名市出身。京都大大学院で日本史を専攻し、『新修彦根市史』の編纂(へんさん)のため彦根市の市史編纂室で勤務するまで井伊家とは無縁だった。職場結婚の相手が井伊家の長女で男子の兄弟がいなかったことから、家督を継ぐことになった。

 「井伊家には今に受け継がれる家訓のようなものはない。ただ、彦根藩の礎を築いた直孝にはいくつかの逸話が伝わっている」

 少年時代に屋敷に飛び込んだ盗賊を撃退したという言い伝え。独眼竜で知られる伊達政宗が関ケ原の戦いの際に家康から拝領した「百万石のお墨付き」を取り上げ、新たな火種になるからと焼いたという逸話も残る。

 ネコが寺の門前で手招きをするようなしぐさをしたので寺に立ち寄ると雷雨になり、ネコに感謝して雨宿りをした寺に寄進した-という言い伝えは、全国的な人気を誇る彦根市のゆるキャラ「ひこにゃん」誕生のモチーフになった。

 こうした逸話からは、夏の陣で武功を立てた武人らしく豪胆で実直な人柄が伝わる。ただ、直岳さんが着目するのは、事実上の初代大老として幕政の中核を担った直孝の「政治家」としての側面だ。

 「直孝が江戸から藩に送った指示書やその写しが200通以上も残っている。内容はキリシタンの取り締まりから藩の人事まで多岐にわたる」

 直孝の活躍によって15万石から30万石に加増された彦根藩では、大きな農民一揆が起きなかった。「藩の安定と指示書の因果関係は今後の研究課題だが、直孝は幕政を大局から判断する役割を担いながら、一方で藩の現実もよく見ていた」と評価するのだ。

 「着眼大局、着手小局」の故事を想起させる政治姿勢は、徳川方を勝利に導いた夏の陣での戦いぶりに相通じる。

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 井伊直孝が使ったとされる「赤備え」の甲冑。大きな角が特徴で、滋賀県彦根市のゆるキャラ「ひこにゃん」のモデルになった(彦根城博物館所蔵)

 朱塗りの武具で統一した「赤備え」は常勝を誇った甲斐・武田氏の軍団をルーツとする。豊臣方と徳川方が激突した400年前の大坂の陣でも精強部隊の代名詞となった。豊臣方は知将、真田信繁(幸村)の真田隊、そして徳川方にも〝徳川最強〟とうたわれた井伊直孝率いる井伊隊がいた。野戦の名手として鳴り響いた家康が認めた「井伊の赤牛」。野戦となった夏の陣で真価を発揮した直孝の戦いぶりとは-。(川西健士郎)

 「井伊の赤備え」のルーツは、天正10(1582)年の武田氏滅亡にさかのぼる。このとき、武田旧臣を徳川に組み入れる交渉をしたのが直孝の父、直政だった。家康は武田旧臣を直政に付け、武田隊の兵法が継承された。
「徳川四天王」の一人に数えられた直政が慶長5(1600)年に起きた関ケ原の戦いの2年後に他界すると、直孝の兄、直継が家督を継ぐ。しかし家康は慶長19年の大坂冬の陣に際して、病身の直継に代わって直政に似て剛直な直孝を井伊隊の大将に指名した。

 同12月。井伊隊は豊臣方の真田幸村が大坂城南に築いた出城「真田丸」に攻め入って失敗、大きな損害を被った。ところが戦いぶりを見た家康は「若い者は少々粗忽(そこつ)でもよい」と直孝をほめたと伝えられる。

 翌20年の夏の陣。井伊隊は、外様大名で最も家康の信頼が厚かった藤堂高虎隊とともに先鋒(せんぽう)を務めた。5月6日、屈指の激戦として知られる八尾・若江の戦いで豊臣方の木村重成隊と激突。高虎は長宗我部盛親(ちょうそがべもりちか)隊と戦った。

 八尾市立歴史民俗資料館の小谷利明館長は「直孝と高虎は戦いに至る過程が対照的だった」と指摘する。

 前日5日の晩、生駒山地中腹の八尾市楽音寺周辺に陣取った直孝は村の民家を壊して兵を野営させた。すぐ南側で陣取った高虎は民家に兵を泊まらせた。


徳川方の軍議で両隊は約8キロ南方の道明寺に向かうことになっていた。そこが決戦の場になると予測されていたからだ。ところが6日未明、大坂城を出た豊臣方の軍勢のうち、南東方向の道明寺に向かう後藤又兵衛隊などとは別に、長宗我部隊と木村隊は東進を始めた。

 東進は想定外だったが、忍びの情報から奇襲攻撃の動きを察知した直孝は、家康の軍令を守らず、迫りつつある木村隊と戦う決断を即座に下す。一方、長宗我部隊の来襲を知った高虎は軍令変更の命令を受ける必要があると考えて逡巡し、攻撃が遅れた。

 藤堂隊は長宗我部隊に大敗。だが、井伊隊は木村隊を破り、その勢いで長宗我部隊も退散させた。冬の陣の雪辱を果たし、家康の期待に応えたのだ。

 「東進を見通していたかのように臨戦態勢を敷いて野営し、奇襲に完璧(かんぺき)に対応した直孝の判断力は際立っている」と小谷氏は語る。

 同8日、直孝は秀頼と母の淀殿が逃げ込んだ大坂城の山里曲輪を包囲。「秀頼母子を生かし置いては終(つい)に後の禍(わざわい)を遺すものなり」(『徳川実紀』)と一斉射撃を浴びせて自害に追い込んだ。この武功で井伊家の5万石加増とともに官位昇格を得て、島津家の薩藩旧記に「日本一の大手柄」とたたえられた。

幕政中核担った政治家

 彦根藩主・井伊家といえば、徳川家康を支えた「徳川四天王」の直政、開国の決断を下した幕末の大老、直弼(なおすけ)が有名だ。知名度では劣る直孝も剛毅な人柄が伝えられる一方、武功を立てた大坂夏の陣の後、40年以上にわたって幕府や彦根藩の政治を取り仕切った実務家の顔を併せ持つ。井伊家18代当主で滋賀県彦根市文化財課職員の直岳さん(45)は「目配りの行き届いた人物という印象が強い」と語る。


直岳さんは三重県桑名市出身。京都大大学院で日本史を専攻し、『新修彦根市史』の編纂(へんさん)のため彦根市の市史編纂室で勤務するまで井伊家とは無縁だった。職場結婚の相手が井伊家の長女で男子の兄弟がいなかったことから、家督を継ぐことになった。

 「井伊家には今に受け継がれる家訓のようなものはない。ただ、彦根藩の礎を築いた直孝にはいくつかの逸話が伝わっている」

 少年時代に屋敷に飛び込んだ盗賊を撃退したという言い伝え。独眼竜で知られる伊達政宗が関ケ原の戦いの際に家康から拝領した「百万石のお墨付き」を取り上げ、新たな火種になるからと焼いたという逸話も残る。

 ネコが寺の門前で手招きをするようなしぐさをしたので寺に立ち寄ると雷雨になり、ネコに感謝して雨宿りをした寺に寄進した-という言い伝えは、全国的な人気を誇る彦根市のゆるキャラ「ひこにゃん」誕生のモチーフになった。

 こうした逸話からは、夏の陣で武功を立てた武人らしく豪胆で実直な人柄が伝わる。ただ、直岳さんが着目するのは、事実上の初代大老として幕政の中核を担った直孝の「政治家」としての側面だ。

 「直孝が江戸から藩に送った指示書やその写しが200通以上も残っている。内容はキリシタンの取り締まりから藩の人事まで多岐にわたる」

 直孝の活躍によって15万石から30万石に加増された彦根藩では、大きな農民一揆が起きなかった。「藩の安定と指示書の因果関係は今後の研究課題だが、直孝は幕政を大局から判断する役割を担いながら、一方で藩の現実もよく見ていた」と評価するのだ。

 「着眼大局、着手小局」の故事を想起させる政治姿勢は、徳川方を勝利に導いた夏の陣での戦いぶりに相通じる。

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