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時代を見通す日本の基礎情報

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韓国軍の残虐性の真実

20070422002
韓国軍は何をして来たか
女性たちを強姦した後、殺害
  韓国軍は残酷な大量虐殺を行ったため、南ベトナム民族解放戦線(NLF)さえ、できるだけ直接的な交戦は避けようとした程だったと伝えられる。前線もなく、敵が誰なのかもわからないベトナム戦でベトコンの根拠地を捜索、 破壊するという作戦上の名分が老若男女を区別しない虐殺行為を正当化させた。筆者が持っている記録は、その内容が非常におぞましく、詳細に明らかにするもので、負担がなくはなかったが、 その一部をここに紹介する。「ハンギョレ21 1999年 05月 06日 第256号」/写真は同記事より
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韓国軍のベトナム戦争参戦

 有志ブログの多くがあつかわれて来た事柄と思う。真実に取り組み、英邁な論及を尽くす諸氏に敬意を捧げ、小ブログからも小稿を呈する。読者からお知らせいただいたこともあり、小稿では、ベトナム戦争における韓国軍の行為について触れる。

 好き嫌いの感情次元の問題ではなく。特定国の侵蝕を許せば許すほど、日本社会は秩序と国益を喪失し、国民生活も危うくなる。その教訓の一端を、ベトナム戦争、およびその戦後の事例に観ることができる。

 韓国軍のベトナム戦争参戦は昭和39年(1964年)に始まっていた。当初は、医療支援団や教官等、約270名をサイゴンの南のプンタウに派遣。翌1965年2月に、米軍が北爆を開始、次いで米海兵隊が3月にダナンに上陸。それに続き、10月から、韓国軍は1万数千名を派兵して本格的に参戦した。

 以後、1965年から73年までの間、韓国軍の戦闘部隊約30万名がベトナム戦争に参戦。この過程で、韓国軍は戦死者4960余名、負傷者10余万名を記録。一方、韓国軍が殺傷したベトナム人は4万1450名(公式統計のみ)に上る、と表題記事は伝えている。

 韓国軍の派兵は、米軍に次いで多かった。その理由は、「派兵規模」に応じた「補助金と対米移民枠」を得られたからであった。いわば、韓国にとっては、あからさまな国益を兼ねた参戦であり、しかし、その残虐ぶりは、後に自国のジャーナリズムが報じるようになり、「住民虐殺」と「韓越混血児(ライタイハン)」が問題として問われることになった。
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残虐を極めた韓国軍

 同記事には、『韓国軍は残酷な大量虐殺を行ったため、南ベトナム民族解放戦線(NLF)さえ、できるだけ直接的な交戦は避けようとした程だったと伝えられる』と、特に、掃討作戦における非道の様子を記している。

 同記事は、韓国軍の残虐行為を次のように概略している。

(以下、引用)


 このような捜索掃討作戦は、一次的にじゅうたん爆撃等で作戦地域を公開して、 韓国軍等の地上軍が現場に投入されて村に残っている住民たちを即決処分した後、家を燃やしてブルドーザー等で村全体を押し潰す方式で展開した。生存者の韓国軍に関する証言で共通な点は、 無差別機関銃乱射、 大量殺戮、 妊産婦、 女性に対する強姦殺害、 家屋への放火などだ。生存者の証言を土台に韓国軍の良民虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通した類型が現れる。

-住民たち(大部分が女性と老人、 子供たち)を一ケ所に集めた後、あるいはいくつのグループにまとめて、機関銃を乱射して抹殺する。

-住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やす。

-子供の頭を割ったり首をはね、 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む。

-女性を強姦した後、殺害して、 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。

-住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させる。

 韓国軍の大量虐殺が強行された所では、子供たちの口にキャンディやケーキが含まされていた。老人たちの口にはタバコが咥えられていた場合が多かった。恐らく、村人を安心させながら一ケ所に集めるための手段だったようだ.

(以上、引用)

 以上、ごく一端ではあるが、韓国の雑誌「ハンギョレ21」誌の記者が「自ら取材し、掲載した」とされるの和訳記事から一部を紹介した。
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韓国の謝罪も補償も無し!

 ベトナム戦争の「混血児問題」として知られている事実の中に、上述の「韓越混血児」がある。ベトナム戦争に参戦時に、韓国軍兵士や軍属の韓国民間人が「強姦」「非管理売春」「現地妻の保有」などにより、多くの混血児が生まれ、戦後に放置された問題である。

 『現地妻との間に生まれた混血児の数は、2004年9月18日付の釜山日報の記事によれば、5千~3万人と推定されている』(Wikipedia) 。また。『現時点では、韓国政府から被害者や混血児に対する謝罪や補償は行われていないが、最近、韓国人(父親)が認知しない場合でも、写真など客観的に関係を立証する資料があれば国籍を付与する法案を積極的に検討する事にした』と()ある。実施ではなく「検討」である。

 「謝罪と補償」。その見方にもよるが、速やかにそれらを実行する日本政府の対応とは雲泥の差がある。また、金大中氏(当時・大統領)が訪越(1998年)した折に、戦争当時に、ベトナム人に苦痛を与えたことに対して謝罪した、と伝えられ、その折に、『ベトナムのチャン・ドク・ルオン大統領は、両国は未来志向的に関係を構築していかなければならない」と述べ過去には関心を示さなかった』(同)とあるが、韓国は、直後に謝罪を撤回している。

 韓国にとっては、日本に対する“加害責任”を問い続ける立場から、金大中氏の「謝罪」は外交カード維持のためのポーズではないか、と認識されている。ゆえに、混血児を産んたベトナム女性は、韓国からは補償をまったく受けていない。自国民が犯した罪の謝罪と補償を果たさない韓国。このような国家が、日本に対して“従軍”慰安婦の難題を、しかも捏造をもとに延々と突きつけ、補償せよという資格はないのである。
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韓国軍の従軍慰安婦

 韓国軍には従軍慰安婦が存在していた。その多くの資料を読者からご指摘いただいているので、紹介する。

 先ず、韓国語で書かれた「韓国軍の特殊慰安婦は事実上の公娼 」(仮訳)と題する記事は、論旨が混沌としているが、韓国独自の従軍慰安婦が存在していたことを記している。。朝鮮戦争当時(1951~54年)、云く、『韓国軍が 1951年頃から 1954年まで 「特殊慰安婦」という名前で、固定式あるいは移動式の慰安婦制度を取り入れて運用したのは、否認することができない歴史的事実である』と。

 また云く、『特殊慰安婦実績統計表は、 1952年度に 4ヶ所で編成された慰安婦 89人が年間 20万4560人の兵士を 慰安したと記録している。 慰安婦 1人が一日平均 6~7人の将兵を慰安した。 またチェ名臣・チァギュホン・ギムフィオなど予備役将軍たちも朝鮮戦争期間に経験した慰安婦制度に対して 「言いたくない軍部の恥部だが事実だと証言している』とある。

 何故、事細かに記録が残っているかといえば、韓国が「公娼」と認めていたからである。この点が、「日本軍を真似た」と記述しているが、実質的に、日本軍兵士が相手にした「私娼」とは異なる。つまり、韓国の「特殊慰安婦」こそが真の「従軍慰安婦」であった。同記事の写真をご覧いただきたい。

20070326002
写真のキャプチャには、「朝鮮戦争期間に韓国軍と米軍が逮捕した人民軍看護婦 2人。当時逮捕した北朝鮮女性の一部はレイプされるなど、強制で 慰安婦になった」と。なるほど、お得意とする「強制性」「性奴隷」は韓国の行為であった。
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自国の「恥」を日本に転嫁する韓国!

 同記事には、さらに、『1950年当時医科大学生だった李何某(73) さん(2002年の記事当時の年齢)は、拉致、または強要によって軍隊慰安婦になる所だった。また、他の事で、6月25日当時、ソウルに残り、(北朝鮮の)人民軍に協力したかどで、(韓)国軍に逮捕されたこの李さんは他の女医大生 3人と一緒に引き渡され、部隊の将校 4人の「割当」になった。 この李さんは幸い、自分を可愛想に思ってくれた一将校の助けで釈放されたが、他の 3人はあの時以後二度と(姿が)見られなかった』と。

 北朝鮮(人民軍)の中から捕らえた女性のみならず、自国民の中からも女性を強制的に拉致、逮捕して娼婦にしていたのである。確かに「言いたくない軍部の恥部」であろう。言いたくない代わりに、自国の「行為」と「恥」を日本に転嫁し、「罪」の言い逃れを図っているのである。

 恥知らずな国家である。筆者は学者の端くれであるから、「真実」か「虚構」かで物事を判別する。その判別の目からすれば、韓国という国は「嘘」また「嘘」でグチャグチャに腐り切っている。中共と侮日策動のクラスタを形成して編み出した「虚構」は、たとえ一時的には隆盛を見せても、「真実」をもとにした日本の良識の反撃に遭えば崩壊する運命にある。

 先人英霊に汚名を着せたまま、子々孫々にこの日本国を渡すわけにはいかない。

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韓国軍慰安婦

韓国軍慰安婦 韓国軍慰安婦または大韓民国軍慰安婦 (한국군위안부、대한민국군위안부)は、1945年-1990年の韓国軍と在韓米軍によって慰安婦に動員された韓国人女性たち。韓国戦争以降1990年代まで在韓米軍の韓国駐留時[に大韓民国の国軍によって強行され、大韓民国の国軍と在韓米軍の性的欲求を解消する目的で強制的に集団的性行為を強要された慰安婦をいう。捕虜となった朝鮮人民軍女軍、女性パルチザンゲリラ、そのほかに朝鮮人民軍や中国の人民志願軍の占領地内の住民である朝鮮人女性のうちまだ疎開しなかった女性などが、共産主義者を助けたとの名目で強制的に性奴隷にされた。日本軍慰安婦との区別のために韓国軍慰安婦、大韓民国軍慰安婦と米軍慰安婦や国軍挺身隊などでも呼ばれる。 大韓民国国軍あるいは米軍にレイプされた韓国軍慰安婦の存在は、1990年代後半から韓国内で公論化され始めており、2002年2月、韓国の女性活動家金貴玉と姜貞淑などにより韓国軍慰安婦の存在が初めて公開された。旧日本軍慰安婦に続き朝鮮戦争前後にあった韓国軍と米軍による韓国女性の性犯罪の存在の調査と陳述確保などが韓国の女性団体を中心に進められている韓国軍が1951年-1954年まで「特殊慰安隊」という名前で、固定式あるいは移動式慰安婦制度を取り入れて運用したのは否定できない歴史的事実で、これは韓国陸軍本部が1956年に編纂した公式記録である『後方戦史』(후방전사)の人事編と目撃者たちの証言によって裏付けられた。 「慰安(婦)」という言葉が共通していることなどから韓国軍慰安婦は旧日本軍慰安婦にならってつくられたと考えられている。しかしながら、旧日本軍の慰安婦が民営であったのに対し、韓国軍の慰安婦は軍直営を超えて「慰安隊」として正規の軍組織となっていた点で大きく異なる。なお、通称日本軍慰安婦の場合は公募によるものであり、当時の公務員の平均給与を超えた高額給与が慰安婦に支払われていた。公募資料や給与明細などの資料が発見されている。 また、正規の「慰安隊」とは別に部隊長裁量で慰安婦を抱えた部隊もあり、ドラム缶に女性をひとりずつ入れて前線に運んだこともあるという。[軍にあって配分の際には、慰安婦は「第五種補給品」と称されていた(補給品には一~四種しかなかった)。 朝鮮戦争当時の韓国軍の公式・非公式慰安婦の規模に関する明確な情報はないが、金貴玉教授は朝鮮戦争直前の私娼の数5万人を下ることはないと見ている。なお、朝鮮戦争後には性売買をする女性は30万人余りに達したと推測されている。 朝鮮戦争後 [編集]朝鮮戦争が休戦になった翌年の1954年に「正規」の「慰安隊」はなくなったが、事実上の慰安隊が私娼の形で存続し費用は「厚生費」などの名目で支出されていた。 ベトナム戦争に参戦するにあたり韓国政府は朝鮮戦争時と同様な「慰安隊」設置を計画したが、米軍の反対に遭い実現はしなかった(駐越韓国軍司令官)。このことがベトナムの民間女性に対する強姦事件が多発したことの一因になっている。 そして、1990年ころも、軍の訓練所の外に 俗に「毛布部隊」と呼ばれる私娼窟があったとの報告がある。 国連軍(米軍) 慰安婦韓国政府は、韓国軍だけではなく国連軍のための慰安所も運営した。朝鮮戦争が始まってほどない1950年9月、釜山近くの馬山市に国連軍用の慰安所を5ヶ所設けたことが「釜山日報」に掲載されている

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F35「未完成品」の納入確定 防空と価格高騰への懸念現実化

米国防総省による最新鋭ステルス戦闘機F35の開発見通しに関する報告書などで、航空自衛隊が日本側の要求を満たさないF35Aを米国から導入せざるを得ない状況が浮き彫りになった。東シナ海上空での制空権などをめぐり、日本の防空網に深刻な懸念をもたらしかねない事態となっている。

 巨額の資金をかけすぎて今さら後戻りできない-。4千億ドル(約40兆円)に迫るともいわれる巨額の開発費をかけた米軍史上最大のプロジェクトに対し、米国防関係者の間でささやかれるF35開発への恨み節だ。

 開発の遅れは取り戻しようもなく、米軍が窮余の策として導き出した結論は、納期の確約を求める日本にF35Aをいったん納入し、ソフトウエア開発を待って増額分の費用を請求するというものだ。

 ただ国防総省の内部資料によると、空自が2017年3月末までに納入するF35Aのソフトウエアは「ブロック3I」で、至近距離での対空戦が不可能だ。

 空自が“未完成品”の引き渡しに甘んじなければならないのは、米側が価格や納期を変更しても違反を問うことができない有償軍事援助(FMS)という特殊な契約を採用しているためだ。

 焦点の価格もカナダやオーストラリアが調達見送りを決めるなど高騰を続けている。国防総省が4月に発表した2014会計年度(13年10月~14年9月)国防予算案は1機約1億9千万ドル(約190億円)。日本政府は最初の4機について12年度予算で1機当たり102億円で計上しており、価格は2倍近くに高騰した。

価格高騰や性能低下についての懸念は日本政府の機種選定以降も、米国内で強まっていた。だが、日本政府は民主党の野田政権時代の昨年7月、政府答弁書で「防衛省の要求する期限までに同省の要求性能を備えた機体が納入される」と明記した。財務省が機種選定の経緯と契約の実態調査に乗り出している。

 尖閣諸島(沖縄県石垣市)付近上空で急増する中国軍戦闘機への緊急発進(スクランブル)に対応するF15も疲労寿命という限界がある。武器輸出3原則の足かせは外したが、価格高騰と防空網への懸念が現実化し、防衛戦略上の本質的な欠陥が見えにくくなっている。


ステルス戦闘機F35A(米ロッキード・マーチン社提供、共同)

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中国、尖閣問題の舌戦にもはや我慢できず―米華字メディア

2013年5月31日、米華字ニュースサイト・多維新聞は記事「中国、尖閣問題の舌戦にもはや我慢できず」を掲載した。

31日、米華字ニュースサイト・多維新聞は記事「中国、尖閣問題の舌戦にもはや我慢できず」を掲載した。まもなく習近平主席の訪米が予定されているが、オバマ大統領に尖閣問題における中国の強硬姿勢をアピールすると予想されている

習近平(シー・ジンピン)国家主席は、6月7日、8日と米国を訪問しオバマ大統領と会談する。その際、中国の領土問題、すなわち核心的利益が議題に上ることは間違いない。専門家は習主席が尖閣問題に対する中国の態度を明確に述べる可能性が高いと分析している。 習主席の訪米に向け、中国メディアも雰囲気づくりを始めている。中国軍関係のシンクタンクが「このまま日本が一方的な行動を続ければ、偶発的な軍事衝突が起きる可能性が高い」との報告書を発表し、中国メディアは大々的に報じた。また、ドイツを訪問した李克強(リー・カーチアン)首相は戦後の新秩序を破壊するなと日本に警告している。 日本は尖閣諸島を日米安保の対象にすることを求めており、米軍からもそれを受け入れる声は少なくない。しかし中国がますます強硬になる中、米国が自国ではない地域を守るために偶発的な衝突のリスクを受け入れるかは疑問だと専門家は指摘している

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ナイナイ岡村を無視した久米宏 日産・ゴーン氏に無視される

5月中旬のある日曜日、都内の紳士服店にいた久米宏(68才)は、偶然、過去に何度もインタビューしている日産自動車社長のカルロス・ゴーン氏(59才)にバッタリと出くわした。 「当然、ご挨拶したわけです。“こんにちは”って。そしたらね、無視です。チラッとこっちを見て、“何か言ったか?”という顔でね。挨拶を無視されるってこういう気分なのか、と思いました。ちゃんと挨拶したら、挨拶し返すべきですよ!」  これは5月18日放送の『久米宏 ラジオなんですけど』(TBSラジオ)で、久米が披露したエピソード。不満げに語る久米をよそに、パートナーの堀井美香アナ(41才)が苦笑しながら、こうツッコミを入れた。 「やったことはやり返されるんですねぇ…」  堀井アナがこう語ったのも、久米もまた、まったく同じことをやっていたからだ。5月10日放送の『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、岡村隆史(42才)がこんな話を暴露した。 「(TBSに行ったときに)前から久米宏さんが来はったんですよ。オレは“おはようございます”って言って、頭を下げたんです。ところがですよ、久米さんはそのまま素通りしたんです…」  久米は岡村を無視し、マネジャーと話していたという。 「芸能界に22年いて、まだこんなことあんのかって。悲しくなったというか、もうええわって思って…」  そう嘆いた岡村だが、久米のこうした態度は、今に始まったことではなかった。話は久米が『ニュースステーション』(テレビ朝日系)に出演していた1980年代後半にまでさかのぼる。 「久米さんは、メーンキャスターということで、毎日みんなから挨拶され、それがあまりにも煩わしくなり、ある時“挨拶はもうやめた”と決意したそうです。以来、誰に対しても会釈すらしないという徹底ぶりです。オンエア前の久米さんは、いつもスタッフルームで新聞を読んでいるんですが、挨拶してもまったく無反応なので、いつしかスタッフも彼に挨拶しないようになったほどです…」(テレビ関係者)  そんな久米が、あえて挨拶の話題に触れたのは、岡村の発言を受けてのものだろうが、そうやってさりげなく“自己反省”をアピールする久米のあざとさもまた、岡村は気に入らなかったようだ。5月24日放送の『オールナイトニッポン』で、岡村はこう皮肉った。 「久米さんがそれ(挨拶)について喋ったんですよ。“ゴーンに挨拶を無視されました”って。ぼくの名前に一切触れることもなく、シレっとこの話題に触って…。さすが久米宏ですよ…

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