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時代を見通す日本の基礎情報

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仁川アジア競技大会、残念

アジア競技大会が幕を下ろした。ところで、まず先に思いつくのが「何故こういうことをするのか」だ。一生懸命頑張った選手たちには申し訳ない話だが、事実そう思うのだから仕方がない。

  まず世界が1つになっていくグローバル時代に、アジア人同士で競うこと自体が無意味だ。ある種目は世界レベルとあまりに違いが生じるからで、ある種目は世界最高の水準だからだ。世界水準にとても及ばない金メダルが面目を失い、プロと中学生ほどの顕著な実力の差の中で行われる勝負は気まずいものだ。

  45億のアジア人の祭りだとうたうなら、それにふさわしいコンセプトがなければいけないはずなのに、哲学は見られず勝負だけがあった。だから大会期間中ずっと面目を失うことと気まずさだけが続いてしまった。

  哲学の不在は開幕式から見られた。そうそうたるスポーツスターが受け継いできた聖火が、最後に芸能人の手で点火された時は、大会のために汗を流してきた数多くの運動選手を一瞬にして脇役にするような印象だった。アジアで人気の高い韓流スターを、むしろ浅はかな商業資本主義の犠牲の羊にしてしまった悪い選択でもあった。聖火点火の光栄を直前まで固辞したというイ・ヨンエよりも若い組織委の、目先の考えに違いない。

  開幕式のフィナーレも同じだ。世界的ピアニスト、ランランと世界的スターの隊列に上ったPSY(サイ)の共演まではグッドアイデアだった。だが2人の情熱的な演奏とダンスは、選手たちが競技力を最大限に引き上げようと努める開幕式よりも、気楽な気持ちで楽しめる閉会式のほうがよりふさわしい姿だった。

  言葉だけの和合と配慮は、必然的に釈然としない判定を呼んだ。不公正の是非が絶えなかったし、さらに承服できない外国選手が銀メダルを取った韓国選手に「君が持て」と言いながら自身の銅メダルを渡す史上初のハプニングも起こった。

  ソン・ヨンジェ選手のアジア競技大会初の金メダルも、そのために、祝うばかりの状況になれなかった。テレビ中継の試合を見た視聴者たちは、情けないほどレベルの低い解説で愚弄されなければならなかった。どんな技術がどのようにして加算点になり、何ができなくて減点され、といった説明もなくただ微笑の天使、真っ赤なボール、明るい表情、軽快な足取りのといった抽象的な修飾語で一貫した中継と解説は、ファンたちさえ視線を背けた。

  むしろインターネットには、競技後の新体操の各種技術の説明と共に、ほかの選手とソン選手の動きを比較した専門家レベルのブログがあふれた。悲しいかな、そうしたブログはソン・ヨンジェの演技がそれほど圧倒的な点数を得るものではなかったと口をそろえる。それが事実ならば、和合の祭りでなく反韓感情のレンガだけをさらに積み上げた結果に違いない。ソチオリンピックでキム・ヨナ選手が不公正判定でロシアに金メダルを奪われたように、当然ホームアドバンテージがあるのではないのかという反問もありうる。だがその時に私たちが怒っていたのなら、私たちが開いた祭りでは、より一層公正に判定することが最も大きな復讐なのではないだろうか。(中央SUNDAY第395号)
コラム】仁川アジア競技大会、残念(2)
ほかの国の選手たちの非難・嘲弄だけがあるのではない。優勝しても国内で多くの批判を受けている種目もある。ほかでもない野球だ。それこそ最精鋭のプロ野球選手がシーズン途中に参加して「子供の腕をひねるようなこと」をしたといういきさつだ。そうでなくても韓国や日本・台湾の3カ国の祭りだという皮肉の中でアジア競技大会の野球廃止論まで出てきているところに、プロ選手が出場したのは韓国しかない。一部選手の兵役免除用だという非難が出てこなければ、むしろ不思議な話だ。プロ球団が喜んでシーズン中断を甘受するのも、そうした利益がなければ妥当ではなかろう。

  こうした問題などを比較すれば、1日で聖火が消えたことや、選手たちに賞味期限切れの弁当を供給したこと、天井から雨水が漏れたこと、審判まで出てきて陸上トラックの水をぞうきんで拭き取らなければならなかったことなどの未熟な運営問題は、むしろささいなことだと言えるぐらいだ。

  だれもがアジア競技大会に対する哲学が不足しているところに起因するというのが、私の考えだ。アジア競技大会がなぜ仁川(インチョン)で開かれなければならないのか、大会を通じてアジア人に仁川をどのように記憶してもらうのかについての考えもなしに、ただ自治体長の功績碑を建てる程度でことを企てたことにある。大会が終わった後、その華麗で雄壮な競技場をどのように管理・運営していくのか心配が先んじるのもそのためだ。

  この文が紙面に掲載される時、私はインドネシアのジャカルタにいるだろう。ベトナムが経済難を理由に撤回した2018年の次期アジア競技大会を誘致した都市だ。ジャカルタまで心配するべきことではないが、仁川が開催権を返却したハノイを羨むことにならなければという願いだけだ。(中央SUNDAY第395号)

  イ・フンボン中央日報国際部長


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