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大坂冬の陣で豊臣方の知将・真田信繁(さなだ・のぶしげ)(幸村(ゆきむら))の名声を響かせた真田丸の戦い(1614年)で、真田勢に撃退された徳川方「加賀百万石」の前田勢の戦況報告書が見つかったことが、分かった。前線に遣わされた指揮官が記したもので、血気にはやる上級武士を抑えられず混乱する状況が新たに判明。激戦の実態に迫る史料として注目され調査した岡嶋大峰(ひろたか)・大阪城天守閣学芸員は「真田勢の知略が注目されてきたが、前田勢の組織運営に起因する敗因も浮き彫りとなった」と話す。(川西健士郎)

 報告書は、前田家重臣の山崎閑斎(かんさい)が率いる部隊の前線指揮官を担った西尾隼人(はやと)が記述。加賀藩の行政史料を主とする加越能(かえつのう)文庫に含まれる「大坂御陣(ごじん)の書(しょ)附(つけたり)大聖寺(だいしょうじ)御陣」(金沢市立玉川図書館近世史料館所蔵)に残っていた。


 真田丸の戦いは信繁が大坂城の南側に築いた出丸(真田丸)をめぐるわずか1日の攻防戦。これまでに明らかになった史実によると、前田勢は真田丸の手前の丘陵地「篠山(ささやま)」に敵がいるとみて攻めるが姿はなく、真田丸に向け進軍すると、真田側の挑発を受け、さらに堀に乱入。彦根藩の井伊直孝や越前藩の松平忠直の軍勢も続いたが、銃弾、矢、落石を浴びせられ、侵入できないまま敗走した
報告書では、篠山から真田丸に進軍する前田勢が真田勢と銃撃戦を始める中、閑斎が10回余り使者を送り「今日は戦をしない。篠山の上に陣地を移すだけだ」「無茶をするのは言語道断。引き揚げろ。引き揚げないなら殿様(加賀藩主の前田利常(としつね))に申し上げて切腹する」と停戦を命じる一方、前線の隼人は「引き揚げるべきだろうが、真田丸の向かいに馬印(うまじるし)を持つような味方の上級武将も何人かいる。彼らが退却する前に引き揚げることはできない」と返答。「篠山の攻略」という軍令に従おうと必死に説得する閑斎と、戦功を立てようと真田丸の堀付近まで乱入してしまった味方の上級武士を見捨てられない隼人の混乱ぶりが生々しく記されている。


 加賀藩は、翌年の大坂夏の陣を前に、軍法に「前線部隊に属す者は組頭(閑斎など)の指図を越えて自分の働きに走ってはいけない」の一条を加えた。真田丸での敗戦の教訓を踏まえたものであることが、今回の報告書により裏付けられたという。


 岡嶋学芸員は「藩主の利常は個々の藩士が戦功を立てるための現場の判断を認めつつ、軍を統制する方法を模索した。それが真田丸の戦いで両立できず、敗因になったことを報告書は示している」と指摘している

大澤研一・大阪歴史博物館学芸課長の話「真田丸の戦いは、断片的な史料によって再現されてきたが、流れとして実態を把握できる重要史料が出てきた。これまでの通説を敗軍側の視点から裏付ける点でも意義深い


     ◇


 【用語解説】大坂の陣


 徳川家康の江戸幕府が、豊臣秀吉の子・秀頼のいる大坂城を攻めた大坂冬の陣(1614年)と大坂夏の陣(15年)の総称。真田丸の戦いは14年12月4日にあり、同22日に講和が成立。直後に真田丸や大坂城の外郭「惣構(そうがまえ)」の堀が埋められた。夏の陣で前田勢は、豊臣方の司令官・大野治房(はるふさ)の軍勢を破るなど活躍。秀吉が築いた大坂城は焼失し、秀頼は母の淀殿とともに自害した

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