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日本を取り巻くアジア情勢の変化 世界の情報を辛口で伝える情報部ログ 世の中はめまぐるしくかわっていきます その中で取り残されない為の情報をお伝えします Changing Asian situation surrounding Japan Tell the world information by information Department log The world is rapidly mood In order not to lag behind in its informed the <a href="https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3BDZ68+72TSYA+4IRQ+5YJRM" rel="nofollow">なんでもまとめてお売りください!宅配買取「いーあきんど」</a> <img border="0" width="1" height="1" src="https://www19.a8.net/0.gif?a8mat=3BDZ68+72TSYA+4IRQ+5YJRM" alt="">
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安倍首相の靖国訪問をきっかけに、軋轢が生じている日米関係。4月のオバマ大統領訪日は、日米関係改善の一歩となるのか。アジアおよび日米関係の専門家で、ピース・ウインズ・アメリカ(アジア太平洋地域の政府、軍、NGO、民間企業の協賛による防災組織、ワシントンに本拠を置く)のCOOを務める、ウェストン・S・コニシ氏に、今後の日米関係とオバマ訪日のポイントについて聞いた。
――安倍晋三首相の靖国参拝に対する米国の対応について、あらためてどのように評価していますか?
米国の対応は適切だった。微妙だが、かなりはっきりした表現だった。オバマ政権は靖国参拝についての米国側の気持ちを日本に伝えるためにかなり舞台裏で努力してきた。しかし、それは安倍首相には通じなかった。失望したという声明はまだ余韻が続いている。一方で日本は非常に重要な同盟国であり、他方で靖国参拝や歴史をめぐる問題発言が北東アジアの関係をこじらせているという米国の見方は直截的だ。
――小泉純一郎元首相による靖国参拝に対して米国は批判をしません。そのときと今と何が違うのですか?
利害関係が一段と高まっている。尖閣諸島をめぐる中国との領土紛争は危険なほど高まっている。韓国との関係ではとりわけ竹島紛争がきわどい状況だ。全般的に東アジア地域の緊張は近年ぐっと高まり、特に靖国参拝は問題をこじらせている。米国が望んでいたのは安倍首相がより現実的な側面を重視し、この地域の政治状況にもっと配慮することだった。ところが、靖国参拝が行われ、さらにNHK幹部やそのほかの発言が飛び出し、事態はもっと失望を深めることになっている。
――米国政府にとってなぜそんなに問題なのですか?
日本政府で起こっている事態は、米国のアジア太平洋地域への「リバランス」(再均衡化)戦略を混乱させている。米国は日本にリバランスの先頭に立ってもらいたい。日本はアジア太平洋地域の同盟国のトップの存在であり、日本はその地域との関係がより前向きかつ安定していることが重要なのだ。それは米国の目的遂行に役立つものだが、残念ながら今はそうなっていない。現状は米国の対応が10年前と違っているということになってしまう。
――安倍首相は米国に対する判断を誤ったということでしょうか?
日本にいる多くの人たちはそう思っている。特に昨年12月に沖縄基地の問題が前進したことによって、靖国参拝やほかの歴史問題に対する米国の批判が弱まったのでは、という判断がある。安倍首相は何をやっても――たとえば靖国神社を参拝しても――米国は支持してくれるという誤った信頼感を持ったようだ。以前に政権についたとき、彼に対して「政治の風を読むのに失敗した(空気が読めない)」という批判が多かった。同じような政治力学が働いているように見える。安倍首相は戦略的、政治的な風を読むことができず、米国を立ち往生させている。
安倍首相を動機づけているものは何だと思いますか? 中国の台頭ないし米国の信頼性に対するイデオロギー上の信念、あるいは戦略的な懸念でしょうか。
何よりもまず個人的な信念だろう。安倍首相は第2次世界大戦中の日本の行動について、深く根差した信念をもっている。彼の認識では、戦後、日本は近隣諸国に対して平身低頭しなければならなかった。それについて彼は憤懣やるかたないと思っている。また歴史問題について、米国内にも共通認識があることを過小評価している。緊張が高まっているのは、隣国との関係だけとは限らない。
安倍首相の靖国参拝や歴史問題へのスタンスは、国内政治の読みからきているとは思えない。彼は支持率の上下をあまり気にしていない。政治アナリストの中には、安倍首相は自分の政治支持勢力をなだめるためにそういう立場なり行動を採っているという説もある。しかし、彼はいろいろな意味で自分の政治基盤をよくわきまえている。そうかといって、歴史問題や靖国参拝に関して、彼の政策を支持する世論が高まっているわけではない。
日本には声高で騒々しい少数の右翼がいる。しかし、多くの有権者を代表してはいない。日本の主流派は依然として比較的穏健派であり、どちらかといえば、安倍首相の歴史に関する見方に失望している。また、彼は自分のナショナリズムの戦略的意味合いを考え抜いているとは思えない。グランドデザインもない。日本が防衛・外交政策の面で米国から独立しようとするメッセージは、米国政府に伝えられてはいない。しかし、安倍首相はそのことを個人的な見解として残念に思っている。
日本は日中、日韓の歴史問題で繰り返し前言を撤回している。いわゆる「謝罪疲れ」が右翼グループだけでなく主流派にも広がっており、安倍首相はそういう感情に乗じている。そこまでは安倍首相もはっきりした目的を持っている。彼は日本人が自分自身や自分の国に対する従来の見方を変え、もっと歴史紛争について日本人らしい気骨を見せてほしいと思っている。
――東アジア地域の政治力学は今後どう展開していきますか。
大変な試練が待ち構えている。日韓関係はすでに急速に悪化しているが、それがいつ終わるのかの視界はゼロだ。私にはこれが最も厄介な問題だ。日韓の間には協力の可能性がかなりある。両国には戦略的、外交的、経済的に共通した利害が多い。ところが、緊張激化のために多くのものが失われている。だからといって、日中関係の重要性を軽視しているわけではない。日中両国はアジア太平洋地域の巨人だ。しかし、その関係はつねに複雑であり、大揺れが組み込まれている。
中国政府も韓国政府も日本を領土問題や歴史問題に押し込めるのに慣れっこになっているわけではないし、日本も靖国参拝に対する中韓の懸念をまったく無視しているわけでもない。一方、米国政府は日本と近隣諸国との紛争に巻き込まれるのを懸念している。米国はその地域の紛争とは一定の距離をおこうとしているが、日本政府にとって、それは米国側の日本への関与不足と受け止められている。これらの問題は、引き続き日米同盟に波及することになろう。
――米国は微妙な境界線を歩いています。つまり、安倍首相を力づけるわけにはいかないし、かといって、日米間の距離を広げると中国に付け込まれるので、その距離にも限度があるということでしょうか。
安倍首相を無視するようなことをすると、日本で日米同盟に対する心配が拡大しかねない。今までのところ、閉じられたドアの後ろから安倍首相に対していろいろなメッセージが発信されている。米国政府としては、日本政府に対して米国の心配をもっと直接的に、はっきりと伝える必要があるかもしれない。
オバマ大統領は4月訪日をチャンスに、安倍首相とアジア太平洋地域の大きな戦略について議論すべきだ。同時に歴史論争にこれ以上踏み込むことは、これから長期にわたって進めていく日米同盟の双方の努力を阻害することを、安倍首相に対してはっきり言うべきだろう。米国が日本の歴史紛争に直接的に踏み込むことは、よほど注意を要する。しかし、戦略的な文脈からすれば、米国政府にとっては安倍首相に対して過去についての個人的な信念より、もっと全体像に照準を合わせるように仕向ける絶好のチャンスとなろう。
二つの会談のそれぞれの参加国である日本、中国、韓国は言うまでもなく東アジアの主要国だ。もちろん、アメリカも東アジアの国際政治に深く関わっている。そして後述するように、日米韓首脳会談の中心課題はすなわち北朝鮮問題であるから、北朝鮮も実は、この一連の会談の陰の主役であるとも言えよう。
要するに、アジアから遠く離れたオランダ・ハーグを舞台にして、「オール東アジア」の外交が大きく動いたわけである。
そして、異なる組み合わせで行われたこの二つの会談の中身を注意深く吟味すると、現在の東アジア外交において、二つの外交志向あるいは外交路線が対立していることがよく分かる。
それはすなわち、中国・韓国の行う、日本をターゲットとする「歴史問題固執のイデオロギー外交」と、米国が中心となって進める「危機対応のための現実外交」との対立である。
私のコラムでもかねてから指摘しているように(『韓国・朴槿恵大統領の「反日一辺倒外交」という愚行』)、お隣の韓国は現在の朴槿恵大統領が就任して以来、ひたすら日本との歴史認識問題に固執してずいぶん歪な対日外交を進めてきた。日韓が共通して直面している現実の問題が何であるか、韓国の国益は一体どこにあるのか、そういうこととは関係なく、とにかく「歴史問題」の一点張りで日本に対する厳しい姿勢を貫くのが今の韓国外交の最大の特徴である。それはどう考えても、現実を無視したイデオロギー外交以外の何ものでもないであろう。
そして一方の中国では、習近平政権成立以降、最初は一貫して「領土問題」という現実問題を軸に日本と対立を続けてきたが、アジア外交全体において日本の安倍政権が進める「中国包囲網外交」によって中国が孤立感を深める中で、習政権はやがて日本を叩くための「歴史カード」を持ち出して反撃に打って出た。
つまり、安倍首相がアジア諸国に対し、「中国からの現実的脅威に対処して結束しよう」と呼びかけて「対中国包囲網」を構築しているのに対し、習主席は「かつてアジア諸国を侵略したのはむしろ日本ではないか」という論理をかざして日本とアジア諸国の分断を図り、「対中国包囲網」を打ち破ろうとしているのである。
そういう意味では、中国の行う「歴史認識外交」は、反日イデオロギーに囚われすぎる韓国の場合とは違って、むしろ現実の外交戦略遂行のために「歴史」をカードとして利用しようとするものであるが、いずれにしても、歴史問題をもって日本を叩くというのは中韓両国の共通した外交路線となっており、中国にとっての韓国は、アジアにおける「対日共闘」の唯一のパートナーとなるのである。
こうした中で、いわば歴史問題をテーマにした「中韓対日共闘」が露骨に演出されたのがすなわち、3月23日にオランダのハーグで行われた中韓首脳会談である。
韓国大統領府が明らかにしたところでは、習近平国家主席と朴槿恵大統領の会談では、日本の初代総理大臣の伊藤博文を暗殺した安重根の記念館のことが大きな話題の一つとなったという。
まず習主席は「私が記念館建設を指示した。両国国民の(安重根への)思いを強め、(中韓の)重要な結び付きとなる」と切り出すと、朴大統領が「両国国民から尊敬される安重根義士をしのぶ記念館は、友好協力の象徴になる」と応じた。
さらに習氏は、日本統治に抵抗した朝鮮人部隊「光復軍」を記念する石碑が近く、部隊の拠点があった中国・西安に完成すると説明した。朴氏は「意義深く思う」と述べたという。
このように、紛れもなく中国の習主席の主導下において、両国首脳は歴史上の暗殺者の安重根や幻の「朝鮮人光復軍」をもち出して、いわば歴史問題を材料にした「中韓反日共闘」の外交路線を鮮明にしている。その背後には当然、韓国を引きつけて日米韓の参加国連携にくさびを打ち込みながら、東アジア外交において優位に立とうとする中国の思惑があるのであろう。
しかしそれにしても、21世紀になった今日の中韓両国の首脳会談で、百年以上も前の一暗殺者のことが話題になるのは異様であろう。そのことは逆に、彼らが構築しようとする「反日共闘」というものは、まったく現実の根拠に乏しいものであることを如実に示している。現実の根拠がないからこそ、両国を「反日」に結びつける唯一の連結点はすなわち「歴史」なのである。
実際、たとえば韓国の視点に立って冷静に考えてみれば、本来彼らは中国と連携して日本と対立しなければならないような理由は何一つないし、「反日」によって達成できる中韓両国の共通した国益があるわけでもない。冷徹な国際政治の力学からすれば、韓国は、反日イデオロギーを振りかざして日本の対中国包囲網外交を打ち破ろうとする中国の思惑に単に利用され翻弄されているように見えるのである。
中韓両国が行った歴史固執・イデオロギー先行の首脳会談と比べれば、その2日後に開催された日米韓首脳会談はまったく異なった趣を呈している。
周知のように、会談の開催を提案しその実現において主導的な役割を果たしたのは米国のオバマ政権である。オバマ政権が会談を渋る韓国側を促して半ば強引に日程の設定を進めたからこそ、3カ国の首脳会談が実現されたわけである。
そして、オバマ政権がそれほど苦心してなんとか会談の実現にこぎ着けたかった最大の目的は、迫りくる北朝鮮による核武装の脅威への対処であろう。
つまり、3カ国の連携強化を図ること(あるいは演出すること)によって、北朝鮮の冒険的行動を封じ込めるのが最大の狙いである。言ってみれば、中国と韓国が「歴史問題」を持ち出して百年も前の過去のことを執拗に大騒ぎしている中、米国の唯一の関心事はまさに現実の政治問題にあった。日韓の間の「つまらない歴史論争」を横目にして、米国の目線はあくまでも、東アジア全体の抱える「いまここにある危機」にどう対処するか、という一点に集中しているのである。
そして米国の思惑通り、オランダでの日米韓首脳会談の内容は終始一貫して、北朝鮮の核武装とミサイル問題に集中し、それに対処するための3カ国連携を「再確認」したことが会談の最大の成果となっている。一方、日韓両国間の「歴史問題」は会談から完全に排除されたことも注目されている。そういう意味では、米国の主導下で行われたこの3カ国首脳会談の実現は、アメリカの進める危機対処の現実主義外交の結果であるとも言えよう。
おそらくアメリカは今後も、東アジア諸国間のいわゆる「歴史認識論争」には一切関与せず、ただひたすら現実問題の対処に着眼点をおくアジア外交を進めていくこととなろう。その際、実は北朝鮮の核武装問題以外に、あるいはそれ以上に、アメリカとして全力を挙げて対処しなければならない重大な問題がもう一つある。それはすなわち、東シナ海と南シナ海という二つの海への中国の覇権主義的進出である。
この二つの海を自らの支配下に置くという中国の野望をいかに阻止するかはおそらく、アメリカの今後のアジア政策の重点の中の重点となろう。オバマ政権が「アジアへの回帰」を宣言したのも、米国海軍が2020年までに所有する艦隊の6割を太平洋沖に配置すると決めたのも、まさに中国の海洋侵略を阻止するための戦略的措置であることは誰の目から見ても明らかであろう。
今月下旬から始まるオバマ大統領のアジア歴訪も、まさにこのような「中国封じ込め戦略」の一環と見なすべきである。
アジア歴訪の訪問国は、日本、韓国、マレーシア、フィリピンの4カ国である。第二次オバマ政権発足以来初めてのアジア訪問であるが、中国の習近平国家主席が去年アメリカを訪問したにもかかわらず、今回の大統領アジア歴訪では中国を外している。
そして訪問する予定の4カ国のうち2カ国、すなわち日本とフィリピンは、今まさにアジアの海において中国と激しく対立している。特にフィリピンの場合、その国の現役の大統領が習近平政権を名指しして「現代のヒトラー」と激しく糾弾していることからも、中国との対立の深刻さがうかがえる。おそらく中国からすると、日本の安倍政権がアジアにおける「中国包囲網」構築の「黒幕」であるならば、フィリピンは「反中勢力」の急先鋒なのであろう。
しかし中国からすれば大変不愉快なことに、この4月、米国のオバマ大統領は中国を差し置いて、まさに中国にとって「敵国」である日本、フィリピンという二つの国を順番に訪問していくのである。米国の思惑は明らかである。要するに日米同盟を強化しながらそれを基軸に、反中急先鋒のフィリピンを抱き込んで「中国封じ込め」を進めようとしているのだ。
それこそが、米国の進める現実主義的アジア外交の真の狙いであり、戦略的着眼点なのである。もちろん、米国のこのようなアジア外交の志向は日本のそれとまったく一致しており、中国の海洋での膨張を封じ込めることこそ日本にとって最大の国益である。
こうして見ると、今のアジアにおける根本的な対立は、すなわちアジア周辺の海の安全と航海の自由を守ろうとする日米と、力ずくで秩序を破壊して海を支配しようとする中国との戦略的対立であることが分かる。その中で、アメリカはアジアの現実に立脚した外交戦略を進めているのに対し、劣勢に立たされている中国は、「歴史問題」を振りかざし日米同盟の一方である日本を徹底的に叩くことによって、日米同盟に対する優位を勝ち取ろうとしているのだ。
もちろん、中国にしてみれば、米国のもう一つの同盟国である韓国を「歴史問題」をテーマにした「反日共闘」に引きつけることができれば、対日米同盟の闘争において有利な立場に立つことができよう。
実はこれこそ中国が「歴史認識問題」を強調して韓国に「反日共闘」を持ちかけた狙いであるが、米中対立の狭間で大変なジレンマを抱えてこれからも苦しんでいくのは韓国の方である。「歴史問題」で反日姿勢を貫いている結果、彼らは結局、利用されるのを知りながらもアジア唯一の「反日友達」である中国と手を組むのだが、それによって韓国の国益に資することは何もないことを、彼ら自身も分かっているはずである。
中国と組んで反日を叫べば叫ぶほど、自らの同盟国であるアメリカのアジア戦略との乖離がますます大きくなり、下手をすると米韓関係にも大きな隙間が生じる恐れがある。だが、他ならぬ韓国自身が北朝鮮からの脅威に日々晒されている中で、米国との同盟関係の動揺は当然北朝鮮をますます増長させ、韓国をよりいっそう危険な立場に立たせることとなる。
結局いずれは、韓国はどちら側に立つかという究極の選択を迫られることとなろうが、その時の韓国の政治指導者がもし賢明であれば、韓国にとって唯一の正しい道を選ぶことになろう。正しい道とはすなわち、中国との経済的交流を含めた「友好関係」を維持していきながらも、中国との「反日共闘」からだけは何としても脱することである。あやふやな「反日共闘」は中国の覇権主義戦略に利するだけのものであって、韓国にとって百害あって一利もない代物であるからである。
そこから脱した上で、同盟国として米国のアジア戦略に寄与しながら、同じ米国の同盟国である日本とも安定した関係を築いていくことは結局、韓国の安全保障のためにもなり、東アジアにおける韓国の地位上昇に繋がるはずである。
今の朴大統領にこのような賢明さを求めるのは難しいかもしれないが、いずれ政権が変われば、韓国は無難にして現実的な外交路線に戻ることはあり得る。そしてその時、中国が苦心して構築しようとする「反日共闘」というものは、まさに砂上の楼閣が波に洗われるか如く、跡形もなく消えてしまうのであろう。
尖閣諸島の領有権や
歴史認識を巡って日中関係がかつてないほど冷え込む中、「甲午の年」が再び巡ってきたということで、中国では国威発揚のまたとない機会として党や軍の宣伝部門が「甲午戦争」を取り上げて愛党、愛国、国防の必要性を訴えるキャンペーン(『解放軍報』紙サイト「中国軍網」は特設頁〔写真〕を設けているほどだ)を展開している。
そしてキャンペーンに止まらず、これを宣伝や教育政策にも反映させる動きが出ている。立法機関である議会に当たる全国人民代表大会では代議員たちが日清戦争を記憶し、愛国主義や国防に生かす必要性を主張し、制度化しようしている。そこで『解放軍報』から二本の記事を取り上げ、紹介したい。
一本目は解放軍芸術学院の文学部主任である徐貴祥教授による「歴史の宿命?―甲午戦争文化黙考録シリーズ」であり、二本目は「今日、どのように国恥を記憶するかー全人代の軍人代表たちが甲午の年に強軍建設を提案」という記事だ。後者は3月17日に閉幕した「両会」(全国人民代表大会と全国政治協商会議の二つの議会に当たる会議)に際して連載された特集であり、日清戦争と軍の政治思想統制や教育を関連付けた代議員たちの政策提案を紹介している。
* * *
2014年3月20日『解放軍報』(抄訳)】
2014年は1894年に勃発した中日の甲午戦争からちょうど2周回甲午年を経た年だ。この120年間で世界は激変したが、中国の軍人からするとあの敗戦はあたかも体から取り出せない銃弾のようであり、胸の傷口は未だに癒えないままである。
1840年のアヘン戦争から1894年の甲午戦争の勃発までの間、中国人は既に「天に頂かれた国」(自意識過剰な国という意:筆者)という看板を下ろし、林則徐は海外に目を向けるようになった。
アヘン戦争が中国の鎖国の扉を強制的に開かせたが、中国の朝廷は依然として国力が衰退しているという事実を信じることはなく、「天朝上の国に四方から朝貢に訪れる」という美しい夢を見続け、戦争の失敗を外人の「魔術」によるものと決めつけて神が助けてくれるものとばかり希望を託していた。こうした迷信によって朝廷は麻痺し、民衆は絶望させられた。
一衣帯水の隣国である日本は中国のアヘン戦争において喝を入れられて夢から醒め、中国人に替わってこの戦争を反省した。佐久間象山は、清朝の失敗を「彼(西洋諸国)の実事に熟練し、国利をも興し兵力をも盛んにし、火技に妙に、航海に巧みなる事遥かに自国の上に出たるを知らずに居候故に」(イギリスが、清朝よりも遥かに進んだ軍事力を持っていることを知らなかった…:筆者)と指摘した。こうした惨敗を経ても朝廷は超然としており、学習しなかっただけでなく、外国を俗物と見なしていた。
日本民族は学習によって立国し、西洋列強によって開国を迫られてから中国と西洋を比較し、「学をなす要は格物究理に在り」と有用の実学を発見した。アヘン戦争後、日本人は中国の状況を把握し尽くしただけでなく打開策を見つけた。中国を侵略し「脱亜入欧」して、東方のボスとなろうとした。1868年に明治天皇は「古いしきたりを打開し、世界に知識を求めよ」と号令をかけ、西洋の進んだ文化を学び、留学生、使節団を派遣し、鉄道電信を興し、教育を普及させた。天皇も節約節食し、民衆は寄付も行い、一体となって軍備を拡充したことは伝説の様に中国人によく知られている。
李鴻章はドイツから「鎮遠」、「定遠」など十数隻の軍艦を購入し、仰々しく日本に訪問さえしたが、日本の代表団は北洋水師の艦船を訪問した際にすぐにその破綻に気付いた。洋務運動を通じ構築が進められていた中国の海軍は、艦船の排水量でも、火器の装備でも日本の海軍と遜色なかったが、装備を操作する兵士の資質に問題があった。規律は弛緩し、訓練は統制がとれておらず、汚職が蔓延しており、闘志がなかった。
日本のある大佐は白い手袋をはめ、軍艦の砲台を撫でたあと埃がついたのをみて、軽蔑的笑いを浮かべ、絶対的自信をもって開戦を求める書簡をしたためた。中国の甲午戦争での失敗は、兵力の相違、装備の相違でも戦術、技術が原因ではなかった。民族精神、先進的文明に対する学習態度の違いだった。
今日、習近平総書記は中華民族の偉大な復興という中国の夢を提起し、中国の人々の愛国心を大いに鼓舞している。私たちは歴史を鑑とし、屈辱と失敗に向き合い、教訓を客観的に総括し、改革開放を深めて思想観念の束縛を突破しなければならない。
記事(2)【2014年3月13日『解放軍報』】
今から120年前の甲午の年。中国近代史上一つの屈辱的戦争が悲痛な傷跡を残した。時はめぐりまた再び甲午の年が巡ってきた。今日の中国は既に他人に凌辱され、分割された屈辱の歴史から脱して国際的地位でも総合国力においても天地を覆すような変化を成し遂げている。
全国人民代表会議の軍代表(軍を代表して出席した代議員たち:筆者)たちは、中華民族の発展、運命に大きな影響を与えたあの戦争から教訓として何を得たのか。
白文奇(海軍中将、元北海艦隊政治委員)代表
我々の北海艦隊の艦艇は、通常甲午戦争が発生した戦場に赴くことが多いが、毎回波しぶき立つその海域に入るたびに、沸き立つ砲声を聞くかのような思いに囚われる。歴史を刻み、国恥を忘れないことは一人一人の北海艦隊兵士たちの必修科目となっている。我々一人一人の兵士において歴史の詳細は時間の流れとともに流れ去ってはいない。
1894年7月25日、日本軍は清朝の兵士輸送艦隊を奇襲攻撃し、豊島海戦が勃発した。9月には大東溝海戦が勃発し、11月には大連が陥落した。翌2月17日、北洋水師は威海(山東省沖)で壊滅した。かつて兵士に聞かれたことがある。一体いつを記念日にすればいいのだろうかと。そこで私は次のように言った。甲午戦争記念日をいつにするかは重要ではない、重要なのは君が国恥を心に刻むことであり、どのように奮起して中華民族の悲劇を繰り返さないようにするかだ、と。
王華勇(海軍少将、東海艦隊政治委員)
一枚の「下関条約」(中国語では「馬関条約」と呼称:筆者)は屈辱的に領土の割譲と賠償を迫っただけでなく、清朝が行ってきた洋務運動(西洋化を図り近代化する活動:筆者)を通じた強国実現構想を御破算にした。中国近代の反侵略戦争において甲午戦争は最大規模で最も残酷で影響も最も深い戦争だった。中国の植民地化プロセスを加速させ、近代化を中断させ中華民族の運命は歴史的谷底に陥った。
日清戦争前に日本の大本営は制海権の策を練った。その一方で清朝、李鴻章はこの重大な戦略問題に対してぼんやりしたままだった。戦時に海軍がどのような役割を果たすか、明晰な考えを持ち合わせていなかった。朝鮮と開戦してから日本海軍は充分に準備を整え、中国艦隊に対応すべく精力を集中した一方で、中国海軍は敵との遭遇の回避を図り、決戦に備える思想、軍事的準備を整えていなかった。制海権の放棄と喪失が日中戦争で敗北した重要な戦略的原因だったわけだ。
莫俊鵬(陸軍少将、第二砲兵22基地司令員)代表
120年前にアジア最強の艦船を保有した清朝の軍隊は、それにもかかわらずあの戦争に敗北したのである。一つの重要な敗因としては、朝廷が上から下まで民族的危機感を心に刻んでいた人はそれほど多くなく、主流を占めることはなかったことが挙げられる。
北洋水師(清朝の海軍:筆者)は、風紀紊乱(ふうきびんらん)に陥り軍規は乱れ、悪弊が蔓延していた。歴史は一面の鏡であり、我が国の安全保障が直面する挑戦とチャレンジは未曽有のものだ。現在の平和ボケを徹底して取り除き、「定遠号」の鉄の錨を永遠に心に刻み、民族と国家の大業を重視し、国防と軍隊建設を念じて、戦わねばならず、準備を整える必要がある。
* * *
【解説】
日中関係が未曽有の行き詰まりに陥る中、中国メディアを賑わす日清戦争120周年の話は日本人からすると不気味に映る。中国は一体戦争を欲しているのか、日本に攻撃を仕掛け、日清戦争時の屈辱を晴らそうとしているのか、という疑問さえ湧く。
しかし、上記のように紹介した文章を詳細に見てみると、重点は日本との戦い云々よりも、歴史的教訓として軍の近代化と改革を進めるべきと考え、汚職の蔓延や効率の悪さで遅々として進まない近代化への焦燥が窺える。王毅外相は「両会」記者会見の席で2014年は「1914年でもなければまして1894年などではない」と歴史の再発を否定する発言をしている
10年ほど前に中国国内で『共和へ向かう(走向共和)』というドラマが話題になったことがある。日清戦争を経て革命時代に突入し、最終的には中華人民共和国を設立するまでのプロセスを描いた大河ドラマだが、戦争の描き方が党プロパガンダと少し異なっていたため議論を呼び、一度放映されたきり再度放送されることはなかった。問題視されたのは、日本が国防の近代化のために明治天皇までも食事を我慢して国力増強に備えた歴史の教訓として描いた点であり、まさに今回取り上げた論評や代議員たちの提案と似た論調だった。
中国において国の発展、軍の近代化を阻害する大きな要因の一つが汚職だということはこれまで別の記事でも紹介してきたが、その後、軍のトップだった徐才厚・元中央軍事委員会副主席が身柄を拘束された、とか現職の国防大臣の汚職関与の噂さえも華僑系ニュースを賑わすまでになっている。
こうした汚職のほかにもう一つのポイントが機構改革だ。昨年秋の3中全会以降に俎上に上がっている軍機構改革は1985年の100万人削減、1997年の50万人、2003年の20万人と大ナタが振るわれた削減に続く4回目の兵員削減に当たる。兵員削減と機構改革は表裏一体であり、それに汚職という要素が加わり、機構改革をより困難にしている。こうした中で日清戦争の教訓を持ち出して機構や人員刷新を図ろうとするのは中国ではオーソドックスな手法だ。
習近平政権は政府、党中央に改革を深める指導グループ(全面深化改革領導小組)と称するタスクフォースを設置して一気呵成に改革を進めようとしている。軍にもこれに対応したタスクフォースを設置して、習近平がじきじきにその長に就任し、許其亮と範長竜という二人の中央軍事委員会副主席がその副組長になった(許は常務副組長としてイニシアチブをとるようだ)。さらにその下に分野別タスクフォースも設けられ、更迭された谷俊山が所属した兵站部門でも改革タスクフォースの会合が開かれた。
とは言いながら、日清戦争を云々する論調は今年1年を通じてこれからより盛り上がる可能性があり、日本人にとって不気味であり、うんざりだ。それでも私たちはこうした中で発せられる一つ一つの文章や指導者の演説を冷静に分析し、メッセージの意味や発せられるシグナルを忖度(そんたく)することが重要なことには変わりはない。
さらに、人民解放軍の改革を進める意志が明確にされた。全人代閉幕後の15日に開かれた第一回「中央軍事委国防・軍隊改革深化指導小組」である。トップである組長は習近平国家主席だ。習主席は講話の中で、「思想・行動を党中央と中央軍事委の決定や指示に統一させ、強軍目標を掲げて改革を推進せよ」と強調した。主席自ら「党中央と中央軍事委に従え」と強調しなければならなかったのは、実際にはそうではないことを示唆している。
そして、今回の全人代では、空軍が元気だったと聞く。会議後の記者のぶら下がり取材に対して積極的に答え、威勢の良い発言を繰り返したのだ。海軍も勢いがあったが、空軍の勢いはそれ以上だった。これは、これまで見られなかった光景だ。
2桁の国防費増加を見せ、習近平主席への集権化を加速して改革を進め、海空軍が自らの主張を積極的に公にする。こうした動きは、一見、中国が対外的な軍事力行使を近い将来に企図しているかのようだ。実際のところ、中国人民解放軍に何が起こっているというのだろうか。習近平主席は、人民解放軍をどうしたいと思っているのか。米軍の4年ごとの戦略見直しであるQDR2014でも、中国軍が近代化を進める意図について懸念を示している。
閉幕したばかりの中国全人代は、予算を含む指導部の政策を承認するのが主たる仕事である。この場で新たな国家戦略や方針が示される訳ではないが、中国指導部が、どのような政策を用いて国家戦略を具現化するのかを見る良い機会ではある。
一方で、国家戦略を決めるのは5年に一度開催される党大会である。中国が進むべき方向を決めるのは政府の役割ではないのだ。2013年11月に開かれた中国共産党全国代表大会(18期三中全会)は、「改革」を強調するものだった。閉幕当日の11月12日には、「改革の全面的深化における若干の重大な問題に関する党中央の決定」を採択し、同日夕刻に発表された公報(コミュニケ)では「全面深化改革領導小組」と「国家安全委員会」の設置が明らかにされた。二つの新組織のトップは、習近平主席である。
これまでも、改革を進める組織として「国家発展改革委員会」が、中国の政府である国務院に存在していた。しかし、三中全会で新たに改革推進の組織を設立したということは、改革推進の担い手を、政府から党に移したことを意味する。
今回の全人代でも習近平主席の存在が目立った。政権発足当時の多くの予想と異なり、現在の李国強首相の影は非常に薄い。習近平主席が自らへの集権化を進めることに対して、中国国内でも、毛沢東時代への回帰を想起して、警戒感を示す見方もある。しかし、一方で、これこそが中国の改革の進め方だという意見もある。では、習近平主席が進めようとする改革とはどのようなものなのだろうか。
習近平政権が「改革」を強調しているにもかかわらず、今回の全人代でも、具体的な組織改革や制度改革は見られなかった。中国は、現段階で、大きく制度を変える意図はないのだ。現在、中国が強調している「改革」は、制度の変更によるものではなく、人々の意識改革に近いもののように見える。
習近平体制になってから、中国の公務員は非常に忙しくなったという。これまで、中国の公務員は仕事をしないことで有名であったから、真面目に仕事をするようになったということかも知れない。彼らの多くは、自ら真面目に働こうと思った訳ではないだろう。強制されているのだ。これこそ、習近平主席が進める「改革」だと言える。これに対して、これまでも真剣に仕事に取り組んできた政府職員等は喝采を送っている。
「反腐敗」を展開し、贅沢な食事の禁止等を含む政府機関の無駄遣い排除を進めるのは、「改革」の一部であると言える。その他にも、これまでご褒美的な意味もあった幹部の海外出張も、日数が制限される等の規制が加えられている。また、彼らに対する集団教育も復活した。
こうした意識改革を進めるために、これまでの制度の上に新たな組織を設置したのだと言える。
人民解放軍改革の主たる目的も、腐敗撲滅であるという。中国では、軍の腐敗は有名な話だ。中国メディアは、中国人民解放軍総後勤部の谷俊山元副部長(中将)が汚職容疑で失脚して2年経った2014年1月14日、同氏の実家で行われた家宅捜索の様子を報じている。同氏の汚職は、元中央軍事委員会副主席の徐才厚の失脚にもつながっているとされる巨額汚職事件だ。
後勤部は、基地や軍人の住居の建設並びに装備品の調達等にも関わるため、汚職がはびこりやすい。中国でも、不動産はお金になるのだ。総後勤部の汚職に代表される軍の腐敗は、国防予算の非効率的使用につながっている。例えば、人民解放軍では、2000年代初めから、下士官用宿舎の不足が取り沙汰されている。それが、2013年になっても、まだ、問題として報道されているのだ。
宿舎不足の原因は、後勤部による土地売買に係る不正だけではない。出来上がった宿舎を将校が不正利用していることを問題視する「下士官用宿舎は下士官に」という見出しの報道もある。いくら予算をつぎ込んでも、予算を執行する側に腐敗があれば、目的を達成できないということだ。
また、常識的に考えても、汚職によって蓄財に精を出す将校が率いる軍隊が、まともに戦えるとは思えない。また、どこの軍隊でも、兵隊は自分たちの指揮官のことをよく見ているものだ。ここに、習近平主席の危機感がある。昨年発表された「中国国防白書」の中で、これまでの「軍隊建設」から「戦争準備」へと力点を移したのは、「綱紀粛正によって戦える軍隊にしろ」という意味を含むのだ。このために、軍の上に新設されたのが、先に述べた「中央軍事委国防・軍隊改革深化指導小組」である。公務員に対する成果と同様、軍人も外食をしなくなった。「危なくてできない」という。
こうした「意識改革」は、下部の抵抗を抑える指導者の強権によって初めて実行できるというわけだ。
しかし、軍運用の効率化は、意識改革だけに止まらない。もう一つ検討されているのが、政治将校制度だ。共産党の軍である中国人民解放軍にとって、末端部隊まで配置された党組織と政治将校は、党中央の意図を末端まで行き届かせる神経のようなものである。これまでの中国指導者は、軍の武力を恐れるが故に、末端まで自らの意志に従うよう監視していたとも言える。
しかし、政治将校制度は人的にも装備的にも時間的にも壮大な無駄遣いだ。さらに、不必要に意思決定に時間を要し、時に指揮系統を混乱させる。政治将校制度が及ぼす非効率性と悪影響は、中国指導者にもよく理解されている。
習近平主席は、末端部隊に限り、政治将校制度を廃止する方向で検討しているというのだ。
末端部隊とは言え、政治将校をなくすためには、相当の自信と覚悟が必要だろう。このためにも、習近平主席は、自らに権力を集中させる必要があるのだろう。
習近平体制が進めようとするのは一種の賢人政治である。また、自らが清廉でなければならない。ハーバード大学留学中の娘を呼び戻したのは、米国に人質を出さないという意味の他に、他の高級幹部に対する手本を示す意味もあったろう。
それでも、国内に不満は残る。全人代で空軍が元気だったのは、最近数年間、空軍の不満の原因であった予算配分に、何らかの考慮がなされたからかもしれない。中国指導部は、綱紀粛正を進める先に制度改革も見据えるが、各軍や各利益団体の不満を考慮しつつ進める「改革」の道のりははるかに遠い。