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たとえば、中高年男性も加入歴を延ばし、受給額をアップさせる方法がある。それが「任意加入」と「付加年金」だ。いずれも厚生年金に加入していない65歳未満の人であれば、各自治体の窓口で加入できる。
大卒のサラリーマンは22~23歳で働き始めて60歳で定年を迎えるケースが一般的だが、その場合、1階部分にあたる基礎年金の加入期間は37~38年となり、満額(年78万6500円)受給の40年には足りなくなる。
そこで加入期間37年の人が定年後、国民年金に3年間任意加入すれば、支払う保険料の合計額は53万9280円だが、平均余命の84歳まで生きれば受給額は112万1000円アップし、58万1720円も得するのだ。
付加年金は国民年金の毎月の保険料に追加して400円を払えば〈200円×加入月数〉が毎年、生涯もらえる制度である。毎月400円を3年間(36か月)支払えば負担は1万4400円だが、65歳から受給する付加年金額は〈200円×36か月〉の年7200円だから、2年間受給すれば支払った保険料分の元は取れ、その後は長生きするほど大きく得することになる。
70才まで働く覚悟を決めたAさんだが、こんな問題が!
「なんと夫が20才から4年間も年金を未納していたんです。“見習い期間で薄給だったから”っていい訳するけど、なんでいままでほっとくの!」(Aさん)
未納は10年前まで遡って納付することができるが、Aさんの夫の未納は20年以上も前の話。挽回する作戦は? 年金セミナーを各地で開く社会保険労務士・東海林正昭さんは次のようにいう。
「国民年金に加入した期間が40年に満たない場合、60才以降の5年間に『任意加入』で引き続き国民年金を払い、満額に近づける方法があります。Aさんの夫の場合、60才から4年間引き続き国民年金を払うことにして、満額の受け取りを目指すことができます」
さらに年金額を増やしたい場合、このような「プチ年金」も検討してみるべきだ。
「国民年金の保険料に、月400円を上乗せして払う『付加年金』を利用すれば、受け取れる年金を少し増やすことができます」(東海林さん)
「付加年金」は、毎月支払う保険料にプラス400円払うと、65才から毎年、「200円×支払った月数」の年金額が“付加”されて受け取れる仕組み(国民年金のみ)。
現在44才のAさんが、いまから付加保険料を支払ったとすると、付加保険料の支払い総額は60才までに「月400円×192か月=7万6800円」になる。一方、65才以降に受け取れる額は年間3万8400円(月200円×192か月)、1か月あたりの年金は3200円アップする。
「2年もらえば7万6800円で、元が取れます。かなりお得な制度です」(東海林さん)
夫婦ふたりで加入すれば、年金は月6400円もアップ。
「夫にたばこを我慢させて、月800円を払わせることにします」(Aさん)
サラリーマンの妻(専業主婦)は年金制度では「第3号被保険者(3号)」と呼ばれ、保険料を負担せずに基礎年金(国民年金)を受け取れる仕組みになっているが、妻が就職することで年金を増やすことも可能だ。
妻の再就職を考える場合、パート勤務であっても厚生年金に加入できる“年金制度上の正社員”になることが、妻の年金額を大きく増やす早道だ。特に40代以下の世代なら、定年まで共働きすれば厚生年金加入期間を20年近く延ばせる。仮に平均月給15万円で20年間勤めれば、年金額は月額で8万2000円(基礎年金を含む)。専業主婦の月額から1万6000円アップする。日本人女性の平均寿命(86歳)まで生きたら、実に400万円以上も得するのだ。
ただし、妻が厚生年金に20年以上加入すると、年額22万7000円の「加給年金」がもらえなくなる(妻が年下の場合)。「年金博士」として知られる社会保険労務士の北村庄吾氏はこう解説する
「年金受給額だけで考えた場合、20年強の勤務では“働き損”になってしまいます。加給年金とのダブル受給を目指すなら、最大19年11か月で退職するといい。厚生年金の加入期間は結婚前などのOL勤めの時期を含むので、足し忘れに注意してください」
厚生年金に加入しないパート主婦として働く場合は、年収130万円を超えると妻は「3号」ではなくなり、国民年金に加入して月1万5020円の保険料支払いが生じる。これではせっかく働いても、保険料の払い損になりかねない。
「妻の就職」は子育てなどの問題も絡むだけに、銭勘定だけで決められるものではないが、年金額が爆発的にアップする魅力は捨てがたい
韓国人を端的に示す四字熟語
《外華内貧》とは、朝鮮半島で創作された数少ない四字熟語の一つだ。意味は漢字を見れば、一目瞭然だろう。
「ボロは着てても心の錦、どんな花よりきれいだぜ」──水前寺清子が歌っていた「いっぽんどっこの唄」の心とは全くの逆。つまり、中身はボロでも構わないから、外側だけはピカピカに飾り立てたいというマインドだ。
私は、この四字熟語ほど韓国人とは何たる者かを端的に示す言葉はないと考えている。
「韓国人は息を吐くように嘘を吐く」と言われる。私は、一九八〇年から五年間のソウル特派員としての取材活動、さらにその後の韓国人との付き合いを通じて、彼らは本当によく嘘を吐くと思っている。
私の見立てが正しければ、彼らが吐く嘘の大部分は、《外華内貧》のマインドから発している。
私が最初に「嘘吐きの民」を実感した体験を紹介しよう。
八〇年の春のことだ。
六十歳代前半の韓国人男性と昼食をとった。焼きソバのようなものだった。
彼は、「私は両班(貴族)の出だ」と言った。この言葉は当時、韓国の高齢男性にとっては、初対面挨拶の定型句のようなものだった。すでに、何人もの韓国人から「私は両班の出」と聞かされていた。
「またか」──彼は私の冷笑を見て取ったのかもしれない。
彼は焼きソバ風の麺を盛った皿が届くや、「私は両班の出なので、どうしても豚肉を食べられない」と言い始めた。そして、口に一度含んだ豚肉を「ペッ、ペッ」と店の床に吐きだした。
豚肉を箸で摘んで皿の横に除ければよかろうに、ガバッと張っては「ペッ、ペッ」だ。旧宗主国の食事“不”作法と全く同じだ。
それから数カ月後、今度は夜、彼と酒を飲んだ。
かなり酔った彼は、「どうしても一度、うちに来い」と言う。
行ってみた。そこそこのマンションだった。再び飲み始めてからしばらくして、夫人がサムギョプサル(豚の三枚肉)の炒め物を持ってきた。
もうヘベレケの彼は、天井を向けて開いた大口にサムギョプサルを運び、モグモグしながら「旨いよ、あんたも食いなさい」。
「両班の出」であることが嘘なのか。それとも、「どうしても豚肉を食べられない」だけが嘘だったのか。私は早々に辞去したが、本当に呆れた。
もしも私が、「あなたは両班の出だから、豚肉はどうしても食べられないのではなかったのか」と詰問していたら……。彼はきっと、「いや、これは済州島で育てた特殊な豚だ。この豚だけは食べられる」とでも言い、済州島産の特殊な豚の飼育方法について滔々と弁じ始めていたことだろう。決して嘘だったとは認めないのだ。
嘘だったと認めて謝ること──それは彼らからすれば、《外華》のマジノ線である「体面」すらも失うことだ。だから、韓国人は謝らない。
逆に他人に対しては、謝らせたくて仕方がない。そもそも嘘である「従軍慰安婦」を問題にして、日本に執拗な謝罪要求を続ける背景には、こうした体質がある。
「アメリカは奴隷という言葉に敏感だ」と見れば、何の新証拠もないのに、平気で「従軍慰安婦とは、実は性奴隷だった」と嘘の上塗りをするのだ。
14〜20世紀初頭まで朝鮮半島を治めていた朝鮮王朝。その王宮の後宮では、ドラマ顔負けの愛憎ラブストーリーが展開されていた。歴史書には載っていない”王宮ラブ”の実態を知ると、韓流時代劇はもっとおもしろくなる!
1392年から約500年間、栄華を極めた朝鮮王朝(李氏朝鮮)。そこでは、独特な後宮文化が形成され、多くの歴史的事件が起きた。その舞台のひとつになったのが内命婦(ネミョンブ)だ。内命婦とは朝鮮王朝内の女性品階組織のこと。メンバーには、王妃や側室、女官、内人(ナイン・女性の使用人)、宦官たちが含まれていた。内命婦の役割は、王の私生活、王子の育児や学習、祭祀や来賓の接客など王宮の生活に関わる事柄全般。王妃の絶対的権力が行使されていた。
日中韓には、『後宮3000人』、『大奥3000人』という逸話が共通して見られる。ただ、この数字が意味したものは観念的な”多数”。決して正確な数ではなく、日本の大奥は13代・家定の時代に約580人。それに対して、朝鮮王朝の内命婦は21代・英祖の時代に約700人。中国・清朝の後宮には1000人ほどの女性がいたという記録が残っている。
王朝の性生活と聞くと、『ハーレム状態の王様』というイメージが浮かぶが、実際は王朝のしきたりによってさまざまな規制を受けていた。王朝存続のために”血統”が最重要視された朝鮮王朝では、王宮SEX=後継者作りのための国家行事という意味合いが強かったからだ。当時、快楽の追求なんて二の次。そもそも側室を抱えた理由も、王妃に後継者ができない場合を想定したリスクヘッジという側面が強かったそう。
さて、気になる王宮SEXは、まず相手と日時の決定からはじまる。これは大殿尚宮(テジョンサングン)という女官が女性たちの運勢を見て選ぶのが一般的。意外にも王様のタイプで選ぶのはNGだった。その後、寝室に必要な道具(蚊帳、人を呼ぶ鐘、ろうそくなど)が用意されると夜長衣(ヤジャンウィ)と呼ばれる寝着を着た主人公たちが入場。そして、寝床の準備をしていた宮女たちが退室すると、60〜70代の宿直尚宮(スクチクサングン)が寝室を最終確認し、晴れて夜の営みを始めることができた。
寝室の周りには8つの部屋。8人の宿直尚宮たちが待機し、中には王の精力が尽きた際に”生き血”を飲ませるために生きた鶏を持つ女官も。また、時には「オッチェル センガク ハシヨ クマンハシプシオ(お体にさわりますので、もうおやめください)」と、興奮した王を制止するコーチの役割も果たしたとも。いっぽう王妃や側室たちはチャンスを逃すまいと、懐妊前後問わず、あわびやお餅など精がつく料理で体をケアしていたそう。
最後に『対食(テシク)』。これは『向き合って食事をする』ことだが、また、ガールズラブを指す言葉でもあった。宮中では特に宮女たちの対食が盛んだったといわれている。というのも、”王の女”として10代から王宮に勤めはじめた宮女たちは、一生にわたり男性との接触を禁じられていたから。奇跡が起きないかぎり、ほとんど生涯独身という理由から、対食に走る女性が少なくなかったそうだ。